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遅咲き(短編小説)

「自立してください。」
彼女が口にしたその一言で、2ヶ月ぶりの再会というピンと張りつめた緊張の糸は面白いぐらいあっさりほつれた。
「はい。」
含み笑いを堪えながら、真剣な眼差しを送る彼女に返事をする。
あれだけ毎日突き合わせていた顔もこれだけ合わせないと、こうも新鮮なのかと感じてしまう程に彼女の顔を改めてマジマジと眺めてしまう。
「そういえばこんなところにホクロあったっけ!」とホコリの被った昔の日記をめくった時のように染み染みと記憶の中の彼女と答え合わせをする。

「もっと自分の身の回りの事はちゃんと出来るようにならないと、これから苦労するのは貴方ですよ?」
彼女の僕を叱る声は優しいのに、どこか他人行儀なところに時間の経過を感じる。
あの頃の二人から、僕らは少しは大人になれたかな?

「2ヶ月に一度、土曜の朝、辻堂駅の改札口のカフェでお茶しませんか?」
仕事帰りの終電の車内で、開いた彼女から届いたメールの本文には俄かに期待を感じさせるものがあった。
その瞬間、一日の喧騒の中で溜め込んだ僕の疲れは吹き飛んだんだ。

その夜から土曜日までの間、思い上がらず平然と居るべきなのは分かっては居ても、彼女に会えるというだけで勝手に膨らむ想像は、僕に期待できる未来を与えてくれたんだっけ。

ところが「期待していたような甘い時間は訪れる事なんてありえませんよ。」とでも言うかのように席に着いた彼女は僕の顔を見つめながら、僕のダメなところを10個並べ始めた。
あれほど期待していたものとは真逆の展開に終始俯きながら、ガッカリを隠しきれなかった。

そんな事をかれこれ4回も続けて、今回でそんなこんなの5回目。
最初は「ただの憂さ晴らしかよ」と不貞腐れる自分も、回を重ねる毎に減るどころか、より具体的に、より濃ゆいものに精度を上げていく彼女の指摘に、今ではちゃんと聞き耳を立てている。
あのね、その度に僕は改めて自分を戒めているんだよ。

「君はどこまでも僕を見ていてくれていたんだ」と。

僕は君を守ると口にしながら、背中を向けながら生返事ばかり返していたよね。
「ごめん。」
いつからだろう?彼女の指摘を聞くのが楽しみになったのは。
いつからだろう?彼女の不器用過ぎる優しさの表現方法に触れる度に嬉しくって照れ臭くて、下唇を噛むようになったのは。
いつからだろう?彼女と過ごすこのひと時が自分の中で必要不可欠になり、彼女に会うことが楽しみで仕方なくなったのは。
いつからだろう・・・この時間がいつか終わるのかと思うと、不安で、嫌だ。
怒った顔でも
ウンザリした顔でもいいから
ずっとこのまま君の向かいに座っていたいと思い始めているんだよね。

頼りない僕を君は怒るだろう。
でも、その時間だけは君をまだ感じられる。
これって幸せと呼ぶには不格好かな?

僕は思うんだ。
「告白する時は腹の底から大きな声を張り上げることが出来た。なのに、なんで引き止める事をできなかったのだろう、なんで何の言葉も口に出来なかったのだろう。あの日僕がペンを握らなければ、君を留まらせることはできたかな?」

そんな僕の空想を遮るように彼女は言う。
「桃くんと別れて良かったって思う。桃くんと別れなかったら知り合うこともできなかった人に出会うことが出来たんだもん。たぶん、これが運命。」

時間が巻き戻ればいいと思った。
それ以上聞きたくない。この世界から音が無くなれば良いと思った。
こんな残酷な時間が来ると分かっていれば、時間なんて・・・・重ねなかった。

「・・・そうなんだ!素敵な巡り合わせがあって良かったね!?」

本音を隠して、君が良いように転がるように持ち上げてしまう。
多分僕が浮かべる作り笑いは不細工だ。
恐らく僕は紛れもないバカだ。
そうだ、今までも同じ過ちを繰り返してきたんだから、今僕は馬鹿なんだ。
そうか。だから、あの日君は僕の向かい側の席を立ってしまったんだよね。

「行ってらっしゃい」
君が何度も言ってくれた僕へのエール。今でも耳に残ってるんだよ?
どんな朝も君は僕の背中を押してくれてたんだね。
「おはよう」
「行ってきます」
「ただいま」
「おやすみ」
一人で言葉にしてみても、僕の声量より静寂が勝つんだよね。
帰宅する時、家の明かりが恋しくてわざと電気を点けたまま会社に行くんだ。
電気代って意外と高いんだね。
知ってた?実は今でも間違えて前の家に帰っちゃうことだってあるんだよ。

情けなくていい。
意気地なしと死ぬまで後ろ指指されてもいい。
「やり直したい。」
じゃない。
「ここからでも良い、続きを君と作りたい。伝えてみたい言葉がまだきっとあるから。」

・・・今でも思う。

あの日、君と交わした離婚届は今この世界のどこに行けば、もう一度手にすることが出来るだろう?
もし手にすることが出来たなら、僕はソレを力一杯破り捨てて、火に掛けるだろう。
そして、その手はまた君の肩を抱き寄せるだろう。


僕の向かいで立ち上がる君の顔は「まるでもうここには帰ってこないよ」と告げていた。
少しも振り返るそぶりの無い君の背中を見送りながら、僕は最後に一言、言葉をかける。

「スキだ」

吐息と共に吐き出された言葉は、下を走る電車の通過音に掻き消された。
僕の気持ちとは裏腹に、梅雨明けの空は清々しいくらい晴れている。

おしまい。

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