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【ショート】ノイズだらけのふたりだけの嘘 ⒈

日本がまだバブルに浸っていた時代。
あの部屋で彼女と会う時間だけが唯一の呼吸できる瞬間だった。

「あなたもいい歳なんだから」
なぜ母親とは、あれほど世間体を気にする生き物なのだろうか。
聞こえの良い会社を好み、見栄えの良い生活を望み、気立ての良い女性を求める。
親の心配とは、いつの時代も先走り過ぎている。
「わかってるから」
たとえ、そう返したとしても「心配してるから、言ってるんやないの」と決まり文句。
この三十年何度繰り返しても更新されないやり取りは、俺の嫌いなものとして定着していた。

「お前の好きなようにやりなさい」
なぜ父親とは、自由と引き換えに要求をする生き物だろうか。
勉強嫌いだろ?でもな、志望校に入れたら、ウォークマンを買ってやる。
車の免許ぐらい取っておけ。そしたら、遊びに行くのに俺の車を使っていいぞ。
母さんの顔も立ててやれ、せっかく見つけてきたお見合い相手だぞ?
会うだけで良いんだ。そしたら、お前の望み通り一人暮らしでもなんでも好きにしていい。

だから、俺はお見合いをした。させてもらった。
張り切る両親の間で萎む俺。
終始畳の網目を観察する男に気を遣う相手型の女性。
大層失礼なことをしていたのはわかっている。
女性の顔より、畳の網目の方が鮮明に思い出せるのも悪いと思っている。
だけどさ、名も知らない女性さん。
「あなたも俺に興味なかったでしょ?」
「お見合いって言わば、親の仕組んだ策略結婚みたいなもんでしょ?」
「俺とあなたは親の希望を叶えるコマでしょ」
喉元まで出かかった言葉を掬い上げようとしたら、父親に背中を叩かれた耳打ちをされた。
「失礼だろ。シャキッとしないか」
「そう思われるように態度で示してんだよ…」とは、言い返せなかった。
顔を上げた時、その場にいる俺以外の全員が「大丈夫?」みたいな哀れむ視線を向けていることに気づいたから。だから俺は、独りよがりに気づいた俺は居心地悪くなり、無言で部屋を立ち去った。
背中には、色んな言葉が俺を引き止めようとぶつかって来る。
でも、もう…限界だった。

夜道をトボトボ歩いて、環状線の見えるアパートに帰ってきた。
ここの場所は、両親には教えていない。ただ俺だけの城。
鉄筋コンクリートで固められた簡素な造りだが、駅が近いのが利点だった。
家賃はそこそこ高いが、このアパートにはアレが付いている。
階段を3つ上がり、一番奥の部屋。
【405室】、誰にも邪魔されない聖域。
なのに、今日はノイズが外に漏れている。昨日は実家に泊まったから、無人のはずなのにドア越しに大音量で「ザザッ」と聞こえる。

施錠された鍵を開け、ドアを開くと真っ暗な部屋の中に誰かがいるのがわかった。
「誰?」
俺よりも先に聞いてくるしゃがれた声は、女だった。
「そっちこそ。泥棒?警察呼ぼうか?」
怯むことなく返答する俺に、暗闇から女が鼻で笑う音が聞こえる。
「…もう私の部屋、なくなっちゃった」
暗闇から足音が自分の方へ近づいてくる。
綺麗。部屋の前に設置された頭上の蛍光灯で写し出す彼女は、泣いていた。
「ごめんね。鍵、返す」
彼女は塗装が剥げ何かわからないキーホルダーの付いた鍵を俺に握らせると、するりと部屋から出ていく。
「離して」
彼女は涙目で俺に訴えかける。
俺は無意識で彼女の腕を掴んでいた。
いや、無意識というのは嘘だろう。捕まえたいでもない、ほっとけないでもない。
ただ、彼女はこの部屋にいるべき人なのだろうと思ってしまった。

彼女の名前は、佐久間水月。
以前はこの部屋の住人で、婚約者と同棲をしていたのだそうだ。
しかし、会社が倒産、親と死別するも、浮かび上がってきた多額の借金。
彼女が気づいた時には、婚約者は冷静を保つことが出来なくなっており、ある朝彼女の前から姿を消していたそうだ。
それでも彼女はこの部屋で彼を待ち続けたそうだが、次第に生活が苦しくなり、この部屋を出た。しかし、その後も諦めきれず何度もこの部屋に忍び込んでいたそうだ。それが今までは空室だったが、今回は俺が居たそうだ。
「なんだよ。鍵くらい変えておけよ」
ぼやく俺に、「ダメだよね、あの大家」と肩を震わせる水月。
「で、ここで何してたの?」
俺の問いに水月は下を向いたまま、部屋に設置された有線を指差した。
「アレ、点けてもいい?」
「どうぞ」
水月は有線の電源入れ、ボリュームとチャンネルのダイヤルを慣れた手つきで回していく。

水月が目を瞑る。俺も釣られて、目を瞑る。
室内には、電車のホームの雑音が響き渡った。

「これね、私と彼が嘘つく為の口実なんだ」

水月は瞼の裏で、思い出を辿り始めた……。

つづく、

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