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小野神社

現在、小野篁を祭神とするが、1888年(明治21年)の小野路村誌では、
天下春命あるいは小野篁、としている。

小野路の地は古代から鎌倉街道の重要な中継点の一つとして知られていたが[天禄年間(972年頃)に武蔵国司として赴任した
小野孝泰(小野篁の7代後の子孫)が、この地に祖先の小野篁を
祀ったのが始まりとされる。

Wikipedia

小野篁(おのたかむら)とは


小野篁(おのたかむら)

小野篁(802年〜852年)は参議小野岑守の子。
嵯峨天皇につかえた平安初期の官僚で、武芸にも秀で
また学者・詩人・歌人としても知られる。
小野妹子の子孫で、小野小町の親戚と言われ、孫に小町道風がいる。
文章生より東宮学士などを経て閣僚級である参議という
高位にまでなった文武両道に優れた人物であったが
不羈な性格で、「野狂」ともいわれ奇行が多く
遣唐副使にも任じられたが、大使の藤原常嗣と争い
嵯峨上皇の怒りにふれて隠岐に流罪されたこともある。

歌人としても有名

参議篁(さんきんたかむら)

参議篁(小野篁)
 わたの原八十島かけてこぎいでぬと人にはつげよあまのつり舟

今、私は、罪を得て隠岐に流されるためにこの港で風待ちをしている。
この地は、かつて私が、はるか唐土に渡航するために
胸膨らませて船出をした地だ。
渡航は、二度にわたった。どちらの航海も失敗し
命に従って三度目の乗船をしたが、わけあってそれも断念することになり、それがために私は今、罪人として護送される身となって、この港にいる。
出港の時は近いようだ。遠近の海面に小舟を出して魚を追っている漁師たちよ、あの立派な遣唐使船とは何もかも違った粗末なこの私の船を、どうか見送っておくれ。そして、都の身内や友たちには、この篁は大海の数多の島をめざして、立派に船出をしたと語っておくれ。

官吏小野篁とその流離

参考サイト

小野篁は閻魔大王の側近だった?


六道珍皇寺にある小野篁

六道珍皇寺(京都市の仏教寺院)には篁が冥界への出入り口として
使ったといわれる井戸が今も残っています。
「珍皇寺参詣曼荼羅」(桃山時代)にも描かれ、中世の頃の六道まいりの様子を描いた絵とされていることから、室町時代頃にはそのような
伝説が語られていたことが分かります。
篁は毎夜、この井戸から冥土へ通い
閻魔大王の傍らで閻魔大王に助言をしていたのでしょうか。
「今昔物語」にこのような伝説が残されています。

小野篁が隠岐国へ島流しになったときに、西三条の大臣であった藤原良相(よしみ)が親身になって助けてくれました。このことを篁は神通力で分かっており、恩義を感じていました。

ある日、良相は病気にかかり命を落とします。閻魔大王の前に連れてこられた良相がふと前を見ると、閻魔大王の冥官の中に篁がいます。篁は「この人は高潔な人物で、世の中に必要な人物なので蘇生をさせて欲しい」と閻魔大王に頼み込み、良相は特別に蘇ることを許されるのです。蘇った良相があるとき篁と二人きりの時にこのことを尋ねようとすると、篁から「二人だけの秘密にしておいて欲しい。決して口外しないように」と言われたそうです。しかしこれはおのずから世の人に知られ、大変おそれられる存在になったとのことです。


kotoshirube

参考サイト


この場所は、心霊スポットでは無いのですが
小野路の「心霊スポット巡り」をするスタート地点にあるので
参拝するために、訪れました。

僕が参拝した時は、12月31日の大晦日っていうのもあって
鳥居以外にも石碑にも、しめ縄がされていたりしました。

小野神社と刻まれている石碑
地神塔

地神塔(じじんとう)とは…
関東の地神講で祀る地神は作神(農耕神)の性格を持ち、春と秋の社日に祀られた。社日とは春分・秋分に最も近い戊(つちのえ)の日であり、春は五穀豊穣を祈願し、秋は収穫に感謝する。作神が春の社日に来て秋の社日に帰るという伝承もある。古代中国に由来する観念が日本に伝わり、農耕神と習合し、さらに地神信仰と習合した。 仏教において地神とは地天のことであり、十二天の一つとして梵天に対比される。

Wikipedia
しめ縄のされた鳥居
案内板にある「天満宮」
小野神社の由来が書かれた看板
小野神社の境内

境内には、初詣の「のぼり」が立てられていました。
狛犬にもしめ縄がされ、マスク着用を促すラミネートも
貼られていて、初詣に備えらています。

小野神社の奥

境内の奥に進んでみると、境内が奥行きの建物だと
知る事ができました。
この通路は「殿中」の様な場所なのでしょうか?

境内にある鐘

逆側に行ってみると本殿に鐘が釣られているのを発見

小野神社の鐘の由来

応永十年(一四〇三)には、小野路村の僧正珍が寄進を募り、交通の安全を祈願して宮鐘を奉納した、朝夕に別当寺の清浄院(現在廃寺)の僧が宮鐘を撞いて旅人に時を知らせたという。 戦国時代の文明年間に、両上杉の合戦で、この宮鐘は山内上杉の兵によって、陣鐘として持ち去られた。 現在は、神奈川県逗子市沼間の海宝院に保管されている。

猫の足跡

参考サイト


現在の鐘は1984(昭和59)年の奉納。

鳴らす事が出来るかと思ったら、縄で固められていて
動かす事は、出来ませんでした。

地元に方々に凄く、大事にされているんだろうなぁと
感じる神社でした。
小野路に訪れた際は、是非訪れてみてください

心霊スポット巡りに行く際は、必ず参拝をすることを
お勧めします。

なにせ、この地に鎮座している神社なので
ご挨拶は、大切です。


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