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【試し読み】よしのももこ『土民生活流動体書簡集(一)バックレ可(笑)』1通目

9月末の発売開始以来、書店流通しない本にもかかわらず、作家・山下澄人さんのX〔旧Twitter〕での感想や装画(moineauさん)のインパクトなどで、じわじわと反響と取扱店が広がっている『土民生活流動体書簡集(一)バックレ可(笑)』(土民生活流動体著/よしのももこ編)。
ちょっと気にはなってるんだけど…という方のために、同書の1通目と6通目を試し読みできるようにしました(6通目のみ期間限定)!
試し読みしてみて、続きが気になる!と思ってくださった方はぜひ下記の取扱店でお求めになってください。もしくは、お近くで本を仕入れてくれそうなお店(本屋に限らず)でリクエストしてくださるのも大歓迎です!

1通目  バックレ可(笑)

 わたしたちが首都を脱出してこの離れ小島に流れ着いてから数年が経ちます。ほとんどの知り合いには何も言わずに脱出し、そのまま移動してしまいました。後から報告した人もいれば、しないままの人もいます。住んでいるところを移動するとき、それも同じ町内とかではなく遠いところへ移るとき、多くの人にとっては「なぜ移るのか」とか「何のために移るのか」という理由めいたものがあったほうがおさまりがいいらしいのですが、わたしたちにはそれがなかったので何とも言いようがなかった。

 脱出時のわたしたちは人間3+猫2の計5名、人間のうちの一人はまだ結構小さな子供でした。その子のことを「セガレ」とここでは呼ぶことにします。脱出前、首都で暮らしていた頃のセガレは「学校」と呼ばれるところに行っていました。学校に行っている子供が別の学校に移ることは「転校」と呼ばれますが、いざ転校するとなると、学校の同じ部屋で「クラス」と呼ばれる集団の一員という設定で毎日一緒に過ごしていた他の子供たちだとか、「先生」と呼ばれる年長者などがお別れの会を開いてくれたりする。このときのセガレも他の子供たちから手紙を渡されたりしていましたがその手紙の温度もいろいろで、セガレがクラスからいなくなることへのショックや悲しみを表明している子もいれば、先生に「書きましょう」と言われたから書いただけなんだろうなというのが丸出しの子も当然いておもしろかったのですが、いずれにしろ「お父さんの転勤で〜」などといったわかりやすい引っ越しの理由がなかったのに加えてかなり急に決まった話だったので、子供たちも保護者も先生もどうリアクションしていいかよくわからなくて困ってる間にさっさとバックレてしまった、という感じになっていたようです。

 今、さらっと「バックレてしまった」と書いてしまいましたが、この「バックレ」とは「しらばっくれ」を略したもので、知らないフリや気付いていないフリをすることです。そこから転じて「連絡もなしに来なくなる」とか「途中で黙っていなくなる」ことなどをあらわすのに使う。この「バックレ」という言葉で思い出すのは、確か首都から脱出する2、3年くらい前、どこかの駅前を歩いているときに手渡されたポケットティッシュの中に折りたたんで入れてあった求人広告のことで、お酒を飲みに来た客のテーブルについて一緒に飲んだり雑談したりカラオケに付き合ったりするアルバイトをやりませんか? 時給は×××円、シフトの融通がききます、帰りのタクシー代が出ます、衣装の貸し出し有…というような条件の中にまぎれて、

 週1日2時間〜OK! バックレ可(笑)

 とあった。そのときわたしはただ何となく文字を目で追っているだけだったけど、その文字列がピッ、と発した小さな信号に反応してしまったのです。それまでに見た求人広告の中にも明るく楽しい雰囲気の職場だということをアピールするために文中で「(笑)」を使っているものはありましたが、そういう狙いが透けて見えた時点で読んでいるこちらはシラケてしまうものです。でもこの「バックレ可(笑)」はそれとはなにかちょっと違っていました。広告料まで払ってわざわざアルバイトの募集をかけているのに「途中で黙って来なくなってもOK」とあらかじめ宣言するんだから、ちょっとどうかしている。このお店が実際にバックレを許容していたのかそれとも単なるウケ狙いだったのかはわからないしそれはどっちでもよくて、雇う前からバックレを許可するというのがただただよかった。なにより、この言葉のよさは声に出して読むとわかります。

 バックレ可(笑)

 「バッ」で溜めたエネルギーが「クレ可」と一気に流れ落ちるような抜群のリズム。躍動感。「可」のあとの余韻。わたしの体内に入り込んだ「バックレ可(笑)」の響きはそのまま根を張って何年もの間そこでじっと潜伏していたらしく、ついさっき「バックレてしまった」と書いた途端ふたたび生々しく浮かびあがって来た。オモテの意識はそんなこと完全に忘れていたのに。

 バックレ可(笑)

 あの広告を打った人がわざわざバックレが可能だと書いたのはたぶん、この世の中では(といってもここから見える範囲の話)原則としてバックレは不可、してはいけない、という設定になっていることが多いからで、確かに日本と呼ばれるこのエリアでは「バックレること=途中で黙っていなくなってしまうこと」は他の誰かに迷惑をかける悪い行為だからまともな大人ならやるべきではない、そういう認識を持っている人の方が多数派のように見えます。

 「途中で投げ出すなんて無責任だ」
 「あなたの勝手な行動でたくさんの人に迷惑がかかるのですよ」
 「一度始めたことはやめてはいけません」
 「つらいのはあなただけじゃない!  もっとつらい状況で頑張ってる人だっているのに」

 みたいな声を聞いたり、文字で書かれているのを見かけたりしたことが誰にでも一度や二度、いや、なんならかなりの回数あるのではないか。

 (これ、ちょっとおかしいんじゃないかな…でも…)
 (これ、明らかにまずい方向へと進んでる…でも…)
 (いざやってみたら、わたしには全然合ってない…でも…)
 (体調が悪い…でも…)
 (あの人が痛い思いをしてる…でも…)

 周りの人々を巻き込んで動き出してしまった以上、
 わたしが今これを投げ出したら、
 いろんな人に迷惑がかかっちゃう、
 から‼︎
 今さら!
 やめるわけには‼︎
 いきませんからー!!!

 と、バックレを強く禁ずる圧力を感じて動けなくなってしまうことも珍しくはない。その圧力は「周りの人々」の数が多くなればなるほど強まること、そして「職場」や「学校」と呼ばれる集団で特に発生しやすいことがわかっています(※わたし調べ)。

 誰か(x)が誰か(y)に「ここから逃げ出すこと」に対する罪悪感を植え付けようとするとき、xはyを意のままにコントロールして、利用したいと考えている。これはわたしの予想です。yが自分の持っている力をそのまま出せないよう何らかの小細工をしたうえで「今ここから逃げ出すのはとても悪いことだ」とyに強く深く思い込ませることができれば、xはyに対する〝優位〟をずっとキープできるからです。そういうセコい計算が「バックレ禁止」の根っこにあるとして、その、自分は永遠に圧力をかけるxの側でいられるというナゾの自信はいったいどこからくるのか。

 今わたしは当たり前のようにx→yの向きの圧力だけを書いてしまったけど、たぶんyが勝手に「ここからは出られない」と決めてかかっているだけのパターンもたくさんあって、足元を落ち着いてゆっくり見回してみれば思ったよりも簡単に小さなほころびや脱出口が見つかるのに、最初からこういうもんだと諦めて目をつぶってしまっていたりする。そこから抜け出たあとで「何であんな風に思い込んでたんだろう?」と笑っちゃうようなことだけど、渦中ではそれがわからない。

 いちばん恐ろしいのは小細工でも圧力でもコントロールでも何でもなくて、xとyの双方が「このままずっとここにいたい」と心の底から願っているパターンかもしれません。もしかしたら、まさかとは思うけど、わたしが今いる《ここ》も実はそのパターンにとっくに組み込まれているんだったりして?

続いて6通目を読む→

本書の目次

・長く空き家だったというこの家を借りて、
・1通目 バックレ可(笑)
・2通目 閉所恐怖
・3通目 脱出口
・4通目 エスカレーター
・5通目 ミショーさんの本屋
・6通目 設定が違う
・7通目 気がついたら出てた
・「手紙」を読みはじめたのは遅めの昼食を済ませたあとだった
・8通目 悪夢と胃の腑の鍵
・9通目 セルフ島流し
・10通目 土民生活流動体
・11通目 あやとり
・12通目 糞尿博士
・13通目 アウト・オブ・眼中
・今から五十年後百年後の誰かがこれを偶然読む、


『土民生活流動体書簡集(一) バックレ可(笑)』
著者:土民生活流動体
編者:よしのももこ
発行元:NIJI BOOKS(虹ブックス)
判型:B6(180頁)
定価:1,600円(税込)
発売日:2023年9月29日ごろ


『土民生活流動体書簡集(一)バックレ可(笑)』の取扱店リストほか、詳細は下記のページをご覧くださいませ。


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