風景への疑問ー住宅は個人のものだろうか<書籍「郊外を片づけるー住宅はこのまま亡びるのか」からの問題提起>
住宅専門紙「新建ハウジング」を発行している、私たち新建新聞社では、建築家・野沢正光さん(野沢正光建築工房)に執筆いただき、書籍「郊外を片づけるー住宅はこのまま亡びるのか」の発刊準備を進めています。その一部(第1章〜)をこのnoteでβ(ベータ)版として公開、「郊外の問題をどう考えどう片づけるのか」、さらには「住宅はこのまま亡びるのか」といった大きなテーマの問題提起としたいと思っています。そのなかで頂いたご意見も反映しながら書籍を完成させていきます。
まずは第1章のβ版の一部を公開します。
1章 住宅は個人のものだろうか
1-1 風景への疑問
中央自動車道を西へ向かって走ると、やがて広大な関東平野が終わり奥多摩の山々に入る。あるときこの山々のかなり上に至るまで住宅地開発が進行し、いくつもの住宅群がそこに張り付くそれまでと異なる光景に出会った。
それを目のあたりにした日の驚きを今も印象深く記憶している。
それはバブルの頃、90年代初めのことであった。
当時、土地価格は異常なほど急騰した。宅地開発は広大な関東平野をすでに覆いつくしていたから、その結果、奥多摩の山にまで至ることとなったのであろう。
もちろんそれよりだいぶ以前に、すでに新幹線から見る東海道メガロポリスと呼ばれる平地のほとんどは住宅で埋め尽くされていた。
その風景、山に登る住宅群に出会ったとき、直前のブラジル旅行中あちこちで遭遇した不法占拠のまち「ファベーラ」(写真下)を眼前にしたときの驚きを唐突に思い出した。
それによりこの記憶は私の中でより消し難いものになったのだろうと思う。
もちろん、ファベーラはブラジルのことであり、国政選挙の期間などいわば「お上」が忙しい警備の手薄な時を狙っての一気に行われる不法占拠である。
家のない人びとが一夜にして他人の土地、多くは都市郊外の山地にバラバラとバラックを建て占拠し住み着く、もちろん当初、水道電気などインフラが整うわけはない。
不衛生、不法なエリアがある。そしてそれがいつの間にか恒久のまちと化す。
インフラも行政が仕方なく最低限の整備をする。人びとの多くがそこに住む以上行政はそうするしかないからだ。ブラジルの大都市周辺の山々はこうしたバラックがあふれ少なくとも私が訪れた頃、そこは警察権力も立ち入らない無法地帯として恐れられてもいたようだ。
東京郊外のケースはもちろんファベーラとは違っている。こちらは少なくとも計画的であり、手続きも至って合法的なものではある。
だが、はたしてこのまちに住む人々は、個人の意思でこの山の上に住みたいと思ってここに住宅をつくったのだろうか。
そうではないはずだ。
「ハーメルンの笛吹き男」のように誘導する何者か、いわゆるディベロッパーがここにいた結果、住民たちは従順にもここに家を買い住むことになったと、私はそう思うのである。
彼ら、笛吹き男の意図により結果「住宅地」は山の上に登っていったということではないか。その結果遠目にはファベーラとさほど違わない風景がここに現れているのではないかと。
いや、むしろファベーラのほうが、実は不法ではあるが笛吹き男がいない自発の行動であるだけより面白いものに見えたりもするのではないだろうか。私はそう考えた。
「笛吹き男」、それは言うまでもなく経済至上主義、金融優先というこの国のおかしなシステムと、その先兵としてのディベロッパーのことである。
さらに思う。
日本の国土の大部分は森林であり、緑豊かな国である。この美しい風景をつくる森林を開発し、山間地にまで住宅地が侵食したのである。
余談ではあるが、太田猛彦氏の著書「森林飽和 国土の変貌を考える」[*1]によると、私たちが知る山野を豊かに覆う緑は近世から戦後にかけて今よりも乏しく、森林の劣化荒廃が進んでいたという。
当時の里山は燃料や材料を供給する基地であり、山村近傍の山々は人々の生存のための木材伐採によりハゲ山であったというのだ。
そこはいま私たちが雑木林と呼ぶ森である。
何のことはない長く薪炭を熱源としていた社会、そこから石炭石油にエネルギー源が急速に変わる。
その結果として放置された山野は繁茂し縄文期以前の風景を取り戻したといえるのかもしれないのだ。
読みながらなるほどと納得したことを印象深く記憶する。
山村近傍の新しい森が、急速な住宅地化により再びハゲ山と化したのだ。
この時の平地はどのような状況であったのだろう。
本来、平地は田園だったはずであろう。
そしてその一部に集落が穏やかに存在していたはずである。
たどればその風景の名残はあちこちに確認できるのではないか。
しかし、そこはすでにほぼ住宅で埋め尽くされていた。
都市周辺の平地で農地が急速に消滅し住宅地化が急速に進んだのだ。
いまや東海道新幹線の車窓風景に住宅が途切れることはない。
拡散した郊外、そこに建つ住宅、その大部分は戦後急速に拡大したいわゆるハウスメーカーや大中小さまざまな不動産業者の手によるものだ。
この国独自の住宅地拡散の景観はこのようにつくられたし、今もなおつくり続けられている。
*1 NHKブックス、2012年