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タナバタ

「タナバタ?」
 セシリアは聞いたことのない言葉に首を傾げた。肩で切りそろえた金色の髪が揺れる。少しずれたサングラスを指で押し上げながら、セシリアは奇妙な質問をしてきた少年を見上げた。セシリアに謎の質問を投げかけたチャドは、にこりと微笑んで頷いた。
「さっき来た姉さんたちが言っていたんです。今日は「タナバタ」っていう昔話で、年に一度しか会えない恋人たちが唯一会うのが許された日なんだそうで。セシリア姉さんは知っていましたか?」
 すっかりこの店の仕事も板についたチャドは、笑顔を浮かべたままそう言った。そばかすが愛嬌となり、十代半ばという年齢の割に幼さを感じさせる少年は、この店のウェイターだ。地下都市エイキン生まれ、エイキン育ちのチャドは、地上都市と同等の教育を受けたことはなく、母親と二人でこの街で饅頭を売って細々と生きてきた。
 この店で働けるように口利きをしたのがセシリアだ。当初はうまくやっていけているかが心配だったが、今ではすっかりこの店でかわいがられている。人受けのする愛嬌のある笑顔を絶やさないため、接客に向いていたようだ。
 中でもエイキンで暮らす人生に疲れ果てた大人の女性からは、チャド君かわいい、癒し系よね、と言われていることはチャドの耳には入っていないようだったが……
「聞いたことないわね。あんたは?」
「ねぇよ。つうか、俺が知っていたら気持ち悪いだろ」
「ま、そりゃそうよねぇ」
 セシリアの視線の先、赤毛の青年、ロニー・フェリックスは心底呆れたように言い放つと、サンドイッチをぺろりと平らげた。
 ダークスーツに青い開襟ワイシャツ。元々の赤毛をさらに赤く染めた髪に、ピアスだらけの耳朶。目元や鼻にまでピアスをしているが、この街では特別目立った容姿ではない。
 ここは地下都市エイキン。犯罪者たちの背徳の都。二大マフィアが牛耳る、法律から見放された常夜の街だ。
 そのエイキンでガウトと呼ばれるマフィアのナンバー・フォーの地位にいるのが、この青年だった。常に倭刀と呼ばれる長い刀を帯刀し、いざその時になればためらいもなくそれで人を殺す。
 そんな恐ろしい青年であったが、セシリアといるときだけは雰囲気が柔らかい。ただうかつにセシリアに親しく振る舞うと、殺されてしまうのではないかという程の殺気を放つこともある。
「あんた結構かわいいこと言うわよね、チャド」
 そういうとチャドは頬を赤らめて手を振って否定して見せた。
「ち、違いますよ! 俺が知っていたことじゃなくて、店に来ていた姉さんたちの噂話ですってば。チャド君知ってる? とか言われて教えられたっていうか……なんでもお願いすると願いが叶う日でもあるんだそうで」
「何それ? ご都合主義な話ねぇ。そもそも一年に一度しか会えないとか、長続きしなさそうじゃない? 気持ち冷めているんじゃないの?」
「そうでもないぞ」
「あらやだ、あんた意外に乙女チックね」
 そう言ってからかうように笑うと、ロニーはにやりと笑った。
「一年に一度しか会わねぇ現地の女が日替わりでいるかもしれねぇ」
「うわ、最低」
 思わずそう呟くと、チャドは微妙に強張ったように笑った。恋に夢も憧れもない大人たちの生々しい推測は、実にエイキンの住人らしい発言だった。
「しかしそれがなんで願いをかなえる日になるわけ?」
「さぁ? 会いたいと願って願いが叶った日だとか?」
 チャドも理由についてまで深くは考えていなかったようで、確かになぜ恋人が会える日が願いを叶える日になるのかと、今さらながら疑問に思ったようだ。
 会いたいと願って会えた日ならば、なかなか会えない人と会える日のほうが余程しっくりくる。
「それって本人同士の問題なのにね。他人がどうして便乗するのよ」
 普段は地上暮らしで、週末だけエイキンにやってくるセシリアだったが、すっかりエイキンに馴染んでいるようで、ものの考え方がドライだ。ロニーはバカにするように唇の端を歪めて笑った。
「人間は強欲だからな。こじつけられればなんでもいいのさ」
 ロニーの発言にセシリアは目を丸めた。割と単純思考なわりに、時々鋭いことを言う。
「意外。あんたのことだから、もっとバカにするのかと思った」
「バカにしているぞ? だがバカがこの世からいなくなれば、俺たちのカモもいなくなる。俺たちの商売は基本バカ相手にしているんだから、バカは上得意様だぜ?」
 ドラッグ・売春・武器密売。暴行に殺人と、非合法な世界で生きている男は、わずかの間その瞳に闇を宿した。思わず言葉を失った瞬間、ロニーはふっと目を細めて笑った。そのギャップの差に目を瞬かせると、ロニーに腕をつかまれて引き寄せられ、セシリアは唇をふさがれた。
「ちょっと!」
「欲しいものがあればこうやって奪えばいいのさ。願いを叶えてもらおうとしている時点で負けだ。欲しいものは取ればいい。力づくで」
「ロ……あー!」
 唇が触れるだけのキスをしてきてもっともらしいことを言っているかと思えば、ロニーの手はセシリアが食べていたピザに伸ばされており、最後の一切れがその手に渡っていた。キスはセシリアからピザへの意識を逸らすためのものだったらしい。
「ちょっとロニー! 返しなさいよ!」
「嫌だね。油断していたセシルが悪い。ここはエイキンだぜ? うかうかしていると、カモにされるぞ」
「もっともらしいこと言って、泥棒しているんじゃないわよ!」
 とはいえ、食べかけのピザを返されても癪に障るだけだ。苛立ちを隠そうともしないセシリアと、ピザを奪って食べるロニーを前にしていたたまれなくなったチャドだったが、助け舟のように厨房から声がかかって離れていく。
 セシリアはその後姿を見送りながらため息を漏らす。
「本当に信じられないくらい身勝手よね」
「身勝手上等。清楚で控えめなマフィアなんているものかよ」
「……」
 開き直りともとれる発言だったが、親切で気遣い万全で優しい紳士的なマフィアなんているわけがないと思いなおし、ため息をこぼすことで溜飲を下げることにした。
――願いをかなえてもらおうとしている時点で負け、ねぇ……
 特に意識しての発言ではなかったのだろうが、その言葉には賛同する。セシリアはかつて願うばかりで自ら何もしようとしない側の人間だった。
 そして自分の中の欲望とも言える、自由に生きることを実現するために、セシリアはそれまでのすべてを捨て去り、自らが望んだ自由を手に入れた。
 生きてきた環境も生い立ちも、そして現在の生き様も何もかも違うロニーではあったが、そうした物の考え方に少し共感してしまう。
 セシリアはロニーの珈琲に手を伸ばして一気に飲み干す。
「あ、おい! それは俺のだぞ」
「うかうかしているからカモにしてやったのよ」
 セシリアはそう言って微笑んで、ロニーの前に空になったコーヒーカップを置いた。


タナバタ ―完―

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