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04 殺戮のBB

 すでに西日は地平線の向こうへ隠れ、空は薄闇を広げ始めていた。街を歩く人間は見るからにアウトローな連中ばかりで、そうではない人間は足早に家路へと帰る。日が暮れれば、この街は完全に牙を向く。その牙は逆らう者へ容赦なく突き立て、噛み砕き、そして食らう。慈悲などなく、一度噛み付けばその命を最後まで食らうのだ。
 そんなデッドシティ、フォーストリートに店をかまえるデッドエンドは、主に夕刻から明け方近くまで営業しているバーだ。店主の堂妙寺という男が料理の腕を振るい、もう一人いるウェートレスが料理を運ぶ。主に酒を提供しているが、軽食程度は出す。
 当然、客層はデッドシティらしく、素性の明るい者は滅多に足を踏み入れない。
 中にはテーブル席が六席あり、それぞれ四人掛け。あとはカウンターに面する席が八席ある。
 いつもはカウンター席に座るビアンカだが、今日は生憎込み合っていた。
 酒と食べ物と煙草の臭いがフロアに全体に広がっていた。
 カウンターは満席で、テーブル席が二箇所空いているだけだったので、テーブル席に座ると、赤毛の女が近付いてきた。
「注文は?」
 吊り目のきつめの顔立ちだが、目鼻立ちはくっきりしていて美人だ。ビアンカより身長はやや低いが、高いヒールを履いているため、並ぶと同じくらいになる。
「よう、儲けているようだな」
 ビアンカはそう言って笑うが、対するウェートレス、通称ナオは相変わらず不機嫌そうなままで見下ろしてくる。
 スタイルは抜群で、そのプロポーションを隠そうともしないミニスカートにキャミソールは、とりあえず男ならしげしげと見てしまう。
「見ての通りよ。それで注文は?」
「取りあえずビールと、ピザ。それと果物はある?」
「なんでもいいの?」
「あぁ。食えればそれでいい」
 煙草を取り出し一本咥えて火を灯す。ほんの悪戯心でナオの胸を鷲掴みにしてみると、ナオが手にしていたトレイで頭を叩かれた。フロアにゴンッ! という硬質な音が響き、ビアンカとナオに視線が集まる。
「いてぇ!」
 思わず首をすくめてから見上げると、片方の手を腰にあてて、ナオが眦を吊り上げて見下ろしていた。
「なにすんのよ、この痴女! そんなに乳揉みたきゃ、自分の乳を揉んでなさいよ!」
 仁王立ちになって睨みつけてくるその姿を、苦笑したままビアンカは見上げた。
「自分の乳揉んでも面白くねぇじゃん。いや、あたしより大きいなぁと思って、つい」
 そう言ってから自分の乳房も掴んでみる。質量は向こうが上かもなぁと、客観的に判断する。
「ふざけないでよ! あんたは自分より胸の大きい女がいたら、誰かれ構わず揉むわけ!」
 その騒動は当然客の興味を引く会話となる。いいぞー、もっと揉め! という野次が聞こえてくると、ナオは益々眦を吊り上げた。
「うるさいわね!」
 ナオが野次を飛ばす客に一括した。ところが、
「うるさいのはおまえだ!」
 そう聞こえると同時に、カウンター越しに布巾が飛んで来た。ナオは難なくそれをトレイで受け止め勢いを殺す。
「俺の店で騒ぐんじゃねぇ」
 そして不機嫌そうな低い男の声が聞こえた。
「だってこの馬鹿女が」
 ナオは不満そうに言い、ビアンカを指さすが、当然ビアンカに反省の色などない。
「片乳揉まれたくらいでぎゃぁぎゃぁ言うな」
 黒髪を後ろに撫でつけ、眼鏡をかけた店主・堂妙寺が、口の端に煙草を咥えたまま不機嫌そうに言い放つと、ナオの怒りの矛先が堂妙寺へ向った。
「じゃぁあんたは男に金玉揉まれて、片方の玉だったら黙って揉ませるわけ!」
 その爆弾発言に、テーブルのあちこちで笑い声と、飲み物を吹き出す現象が現れた。食べ物を喉に詰まらせて、胸を叩いている客もいた。
 その発言を受けて、堂妙寺は眉をひそめる。
「相手が男という時点で殺す」
 そのやり取りを聞いていたビアンカは笑いながらテーブルを叩いた。
「最高っ……! あー、今日の疲れが吹き飛ぶ笑いだぜ」
 笑い過ぎて煙草を吸えず、指に挟んだままで笑い転げていると、ナオはビアンカに冷ややかな視線を残して、カウンターの向こうへと戻って行った。
「ほら、あんただって耐えられないじゃないのよ」
 愚痴りつつ、それでもビールの用意をしていると、堂妙寺が口元に笑みを浮かべた。
「わかったわかった、言い直せばいいんだろ? コイツの乳を揉むのもしゃぶるのも俺だけだから、他の人間は揉むな」
「堂妙寺!」
 眦を吊り上げてナオが叫ぶが、堂妙寺はどこかとぼけた様子だ。
「ほら、オーダーを言え」
「ピザ! それと果物」
 噛み付くように言われても、特に怒るでもなく頷くばかりだ。
「了解」
 そんな会話を残して、堂妙寺は奥の厨房へ戻って行く。
 デッドシティには他にも飲食店やバーがあるが、ビアンカはここが気に入っていた。
 第一の理由はピザがうまいこと。
 その他の理由として、その他の食べ物もビアンカの口に合うことだ。
 ビアンカの体形は普通だ。ただ仕事上、体が資本のために鍛えているため、しなやかな筋肉の上に、女性らしい脂肪があいまって、健康的で均整が取れたプロポーションだ。
 そして動き回るからか、とにかく腹が減る。趣味はと訊かれると食べること、好きな事はと訊かれると、やはり食べることと即答するほど、食べることが好きだ。
 次いで酒がうまい。
 さらに同じアウトローな連中がたむろする場所ではあるが、ここは店主の堂妙寺が目を光らせているために、客が好き勝手なことは出来ない。
 ドラッグを始めようものなら、文字通り叩き出される。変に薬がキマって騒ぎ立てる馬鹿がいないことがいい。
 そうしていると、ナオがジョッキのビールを持ってきてテーブルに置いた。
「来た来た」
 礼も言わずにジョッキを掴むと、一気に喉の奥へと流し込む。荒野を歩いて失った体は、水分を欲していた。無論、アルコールは逆に脱水症状を促すものだが、それでも乾いた喉を湿らすには十分過ぎるほどだった。
 炭酸の弾ける刺激と、空になった胃袋に染み渡るような爽快感に、ビアンカは嬉しそうな表情で溜め息を吐き出した。
「くぅぅぅぅ! うまい!」
 その様子を傍らで見ていたナオは、微かな溜め息を漏らした。
「おっさんくさいわね、あんたって」
「ほっとけ。どうせピザは遅いんだろ? 先に果物くれよ」
「はいはい」
 腰まで届く赤いストレートの髪をなびかせて、ナオが戻って行く。カウンターの内側に戻る前に「俺にもビールくれ!」と他の客に言われて、ナオは軽く手を上げて応えた。
 特に相手もいないので、煙草とビールを交互に消費しつつ店内を眺めると、銃の分解掃除を始めている男もいた。これから仕事なのだろう。そんなものは家でやれと言いたくもなるが、電気代が高いために家では電気を使用せず、そのため銃の手入れをする際は暗くて見えないので、照明の灯る店で分解をしているのだろう。
 ビアンカのフラットも電気は通っているが、馬鹿高いためにあまり使わない。貧富の差は当然、この犯罪都市にも平等に存在する。
「なぁ、BB! これから一仕事あるんだけど、オマエも来るか?」
 奥のテーブルで手を振る男がいた。一緒に仕事をしたことはないが、前にカジノのスロットで並び、話したことがある男だった。
「パス! あたしは今日疲れてるんだ。ここで腹いっぱいになったら、戻って寝る」
 ビアンカがそう言うと、残念! という返事が返ってきたきりで、直ぐに興味を失ったらしい。元々、強い誘いではなくて、一人で暇そうに見えたので声をかけてみただけだろう。
 そうしていると、ナオが前を通り過ぎて、別の客にビールを持って行った。
「なぁ、あたしのフルーツは?」
 少し不満そうに唇を尖らせて言うと、ナオは振り返った。
「ガキじゃないんだからちょっとは待ちな」
 そう言い捨ててすぐに通り過ぎる。この小気味のいい反応が面白いので、わざとちょっかいを掛けたくなるのは、ビアンカだけではない。
 これだけの美人なのだが、誰かに媚びる様子は絶対に取らない。それが逆に人気になっていて、堂妙寺の出す料理のほかに、ナオを見たくてやってくる客もいるようだった。
 しかし常連客ならばナオが堂妙寺の女であることは誰もが知っている事で、本気でナオを口説くような馬鹿は存在しない。存在しないが、先程のビアンカのようにわざと胸や尻を触っては、トレイで叩かれる音が店内に響き渡ることはよくあることだった。
「お、混んでいるな」
 そうしていると、また客がやってきたようだった。空いている席はテーブル席しかない。新しい客はずかずかと入り込み、向かい合うようにして座った。
「おい、姉ちゃん、ビール二つくれ」
 そう言って二人の男たちは、持ってきた小さなカバンをテーブルの上に置いた。
 デッドシティの人間を網羅しているわけではないので、ビアンカとしても知らない顔が多い。だがその二人の客は、明らかに新顔の匂いがしていた。

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#裏社会 #バイオレンス #ハードボイルド #遠未来



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