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44 殺戮のBB

 咄嗟に駆け込むと、そこには一人の男が血まみれで倒れている。
「先生!」
「茜君!」
 匂いに気付いたのはビアンカだけではなかった。ほぼ同時に悠里も気付き、遅れることなく駆け込んでいた。
「ボネットさん……西郷さん……」
 茜は床に直接座り込んでいた。返り血を浴びて、壮絶な姿に見えたが口調がしっかりしていることから命に関わるような怪我はないと判断できた。
「バート!」
「いったい何事ですか?」
 さすがにビアンカよりも銃に慣れ親しんでいる男は違った。すでにローマンカラーに隠れているホルスターから銃を引き出し、安全装置を外して警戒している。
「茜君、何があったの!」
 そういうと茜は力なく首を振った。
「それがよくわからないんだ。要さんに言われたエイベルさんが来たのは西郷さんが帰った直後。朝からガードを一人置くからって要さんに言われていたんだ。エイベルさんはだから来た。しばらくは診察室にいて話していたんだけど、外から声がして、様子を見るために彼が外に出て、僕はカルテの整理をしていたんだけど、声が大きくなったから、僕も様子を見ようと思って廊下に出た途端にエイベルさんが伏せろと叫んで、そして彼が撃たれた。僕は彼の背に守られる形になったけど、エイベルさんは……」
 男の死体は目を撃たれていた。頭蓋骨内を旋回した弾丸は、首の付け根から肉を食い破る形で排出され、動脈が切れて血しぶきが茜に降りかかったのだろう。
「それはいつの事!」
 悠里が叫ぶ。それにビアンカもはっとした。この男は即死に近かっただろう。けれど、まだここに死体があって、茜が血まみれのままで佇んでいるということは、そう長い時間は立っていないということだ。
「一・二分くらい前……」
 それを聞いた悠里は茜に断ることなく診察室の奥へと入り、電話をかけ始めた。ビアンカは茜の前にしゃがむ。
「先生さ、撃った奴の顔は見た?」
「わからない。エイベルさんの背が高いから、よく見えなかったんだ……」
 無理だとわかっていながら、それでも手を尽くそうとはしたようだ。血に塗れたガーゼが散乱している。医者であること、またそれもデッドシティで医者をしているくらいだ。見た目は頼りない男ではあるが、死体を前にしても、また目の前で撃ち殺される瞬間を目撃したのだとしても、落ち着いている。けれども顔色は良くない。
「死体袋、あるんだろ? いつまでも置いておくものじゃねぇ。乾物屋でも呼ぼうか?」
 そう言うと茜はゆっくりと首を振った。
「まずは要さんにこのことを告げないと。エイベルさんに家族がいるのかどうかわからないけど、親しい人やハウンドの方たちも、別れを告げてから埋葬すると思うから」
 そう言ってやっと茜は立ち上がった。
「ビアちゃん、バート君!」
 奥で電話をしていた悠里が電話口を押さえて叫んだ。
「二人はすぐにこの周辺を中心に探して。茜君に手を出したからには、やはり無関係だと思えない。この街のルールを知らない人間よ。やみくもに探しても簡単に見つかるものじゃないのはわかるけど、まだそう遠くじゃない」
 悠里の言葉を受けて、一応納得はできるものの、それでもやはり無駄なことに思える。
「先生さぁ、顔は見てないんだよな?」
「うん……でも男性だ。複数だと思う。最初に声が聞こえた。独り言を言いながら来たとは思えない」
「でも大人数じゃねぇ。そうだな?」
「そうだと思う。銃の口径は大口径じゃない。大口径なら今ごろ彼の頭は吹き飛んでいるし、排出口が比較的小さい。二度、三度と撃ってこなかったのは、外にハウンドの連中を見かけたからかもしれない」
 おっとりしていてもさすが医者であり、この街でこれまで生きて来られた人間だ。状況を冷静に判断し覚えている。
「それだけわかれば上等だ。いくぞ、バート」
「はぁ……」
 いまいち乗り気ではないバートの腕を掴んでビアンカは踵を返した。とりあえず医院の前まで引っ張ると、やはり面倒臭そうな表情を隠そうともしないバートが溜め息を漏らした。
「いったい私は何の仕事を引き受けているんでしょうねぇ?」
「知るかよ。やればタダ働き、サボればハウンドの狩りの対象。どっちがいいか選べ」
 正直な話、ビアンカとて好き好んでやりたいわけではない。むしろロハでの仕事など馬鹿馬鹿しい。ビールを飲む傍ら、たまに見聞きしたことだけ話すくらいなら、協力してやってもいいくらいの内容だ。
 相手がハウンドでなければ……
 好き好んで社会の底辺に転がり込んできたバートは、根本的なところでビアンカとは違う。
 ビアンカは最初から社会の底辺だった。いったいいつ処女を失ったのかも記憶にない。パンの一欠けら欲しさに男の物を口で咥え、満足にイカせられなければ気絶するまで殴られて、パンの一欠けらを欲しいがために人を殺して品物を奪って生きてきたビアンカと、質素ではあるだろうが毎日用意される食事を口にし、教育を受け、神に祈りを捧げることが毎日の仕事だったバートでは本質が違う。
 だからこそビアンカはわかる。
 ハウンドに逆らったらもう死にもの狂いでこの街を捨てて逃げるしかないと。
 バートはそれでもいいと思うだろう。けれどビアンカには逃げる先が見えない。
 見えるのはごろつきたちがたむろする墓場だけだ。そういった場所でなければ、生きていけない人間だから。
「しょうがないですねぇ。あの男はいけ好かないわけですが、乗りかかった船です。しかしこのままロハでというのはいただけない」
「交渉したいなら今がチャンスだ。沢本はことさらここの先生に甘い。ハウンドのお抱えというわけじゃないらしいが、ガードのために人を割こうとしていたことがどういう意味がわかるだろ? 恩を売るなら絶好の機会が到来している。ジャックポットは目の前だ。わかって狙わないのは馬鹿のすることだぜ?」
 そう言ってたきつけると、ようやくバートも納得したらしい。
「なるほど。お気に入りの先生を傷つけようとした奴を捕まえれば、一連の事件に関係していようとしていまいと、報酬の交渉の材料くらいにはなりますね。やっとやる気が出てきました」
 バートはそう言って微かに笑うと、ポケットから煙草を取り出した。
「煙草はしまえ」
「えぇー?」
「さっき先生がヒントくれただろ? ハウンドの連中を目撃したからか、それ以上は撃ってこなかったってな。実際あたしらがナインストリートから出る前に走り出していた車が多数あった。そいつらに不振に思われぬように、そいつらは何食わぬ顔をして歩いている。ちんたら煙草吸ってるんじゃねぇ。あとにしろ」
 そう言って軽く胸を叩くとビアンカはぐるりと通りを見回した。ナインストリート方面からやってきた車を避けるなら、どの方向へ足を向けるだろうか?
「バート」
「えぇ、来たばかりですが、そちらでしょう」
 ハウンドから来た他の車はみなナインストリートを背にしている。ならば捜索の手が一番手薄になるのは、ナインストリートだ。
「しかし複数の男たちといっても、一人一人に聞いて回るわけにもいかないでしょう?」
「そんなもの銃を見せろと言えばいい。見せないようなら皆殺しだ」
「やれやれ。不必要に悪名をばらまいてどうするのです?」
「箔がつくってものさ」
 そう言って笑うと、バートは苦笑した。
「では私は裏通りからナインストリートへ。集合場所はどうせならカジノへしましょう」
「あの女はマンツーマンで動けって言ってたが?」
「知りませんよ。私たちはハウンドじゃない」
「まぁな」
 ビアンカとバートは顔を見合わせて笑うと、互いに手を上げパンとたたき合うとそのままその場で別れた。実際捜索するなら二手に分かれたほうが広範囲を探せる。
 今のところ少なくとも二人はBBであってハウンドではない。
 ならばBBとしてのやり方を通すまでだとビアンカは思った。

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