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38 殺戮のBB

 夜の闇の中で見る睡蓮華は、白亜の建物であり、眩いばかりの明かりに彩られている。おかげでその壮麗さを目立たせていた。しかし昼に見上げる今日は昨夜の爆破のために破損した箇所の改修工事のために業者が出入りしており、まったく場所のように思える。早くも足場を組み立て、修繕工事に取り掛かっていた。デッドシティでも金も権力もある睡蓮華だからこそできる力技だ。
「……」
 ビアンカは修繕工事中の睡蓮華を見上げて、小さな溜め息を吐き出した。
 そもそも娼館の営業形態がわからない。夜に営業していることだけはわかるは、日中はどうしているのだろうか?
「中に入って大丈夫か?」
 入り口で作業服を着た人間に声をかけると、いかにも蔑むような視線を向けてきた。おそらくデッドシティの外の人間なのだろう。犯罪者たちの楽園という名で親しまれるデッドシティは、確かに多くの犯罪者たちが集まり、非合法な取引も商売も多い。
 けれど中には犯罪者ではないまともな人間も存在している。しかしそれを理解している人間は少数派で、大多数の者はここにいる人間は犯罪者だと思われている。
 そのため、街に出入りする人間をあからさまな差別を持って蔑む人間は多い。だが一々ビアンカは傷ついてはいられないし、元よりそんな細やかさなど存在していない。
 怯む事無く見つめ返す。視線を先に逸らしたのは向こうのほうだった。
「ここの人間なのか?」
 忙しいのか、目を合わせたくないのか、男は肩越しに言った。
「ここの人間に用がある」
「俺は店の人間じゃねぇから勝手にしろよ」
「じゃぁ勝手にする」
 建物の中に入り、階段を途中まで登って振り返る。現在は足場を組んでいる段階で、本格的な工事には至っていないらしい。割れたガラスからは隙間風が入り込んでいるし、床や手の届く範囲の壁は清掃されていたが、天井などに飛び散った血肉の後はまだ残されていた。
 更に階段を上っていくと、黒服の男が歩いてくるところだった。
「誰だ、おまえ?」
 店の娼婦には見えないビアンカを見て眉をひそめる。その手が銃に伸ばされるのを見ていたが、ビアンカは肩をすくめるだけに留めた。
「BBの相方だって言えばわかるか? ビアンカ・ボネット」
「あぁ、昨日姐さんを助けたと。その節は世話になった」
 ようやく懐の銃から手が離れた。ビアンカは首を振った。
「別に、助ける意図はなかったさ。条件反射。ところであたしの相方はこっちにいるのか? それだけを聞きに来たんだけど」
 一応ニーナの耳にも入れた方がいい情報かもしれない。そうは思ったが、ニーナに直接言わずともこの黒服に伝言を頼めばいいだろうと思った。
「ワイマンさんなら今姐さんと話している」
「バートと?」
「ここで待っていろ。いや、やはり着いてこい」
 そう言って黒服の男は踵を返した。ここは娼館だが娼婦でもありオーナーでもあるのがニーナだった。ここの男たちはニーナに仕えている。
「いいのか? 勝手にして」
 睡蓮華は高級娼館であり、建物に立ち入る人間は関係者か客だけだ。
「どうせ、爆破のことだろ?」
「まぁ……そうだな」
 確証のある話ではないが、可能性は残されている。昨夜とは反対方向の廊下を歩き、途中から別の階段を上がる。
 さすがに昼からの営業はないらしく、他の女たちも客の姿も見えない。
 三階にたどり着くと、廊下の雰囲気が更に変わった。より豪華でけれど落ち着いた白を基調とした空間だ。磨き込まれた大理石の床は、まるで鏡のように光って見えた。
 奥へ奥へと進んでいくと、恐らくここがニーナのプライベートエリアなのだろうという部屋の前で立ち止まった。黒服の男がドアをノックする。
「お話し中申し訳ございません。BBの……」
 今しがた名乗ったのだが、忘れたのかこちらを見た。
「ビアンカだ。バートに話がある。ついでに姐さんの耳にも入れた方がいい情報かなと思うこともある」
 そう言うと、中からニーナの声で「お通しして」とだけ聞こえた。黒服がドアを開けて脇に寄ったのでビアンカは中に入った。そして思わず口笛を吹く。
「金かけてんなぁ!」
 思わずそんな第一声を漏らしてしまった。ビアンカがこうした部屋に入るのは一生で一度、あるかないかだろう。
 ここはどうやら応接室のようで、華美になりすぎない程度の調度品と、応接用のソファーにテーブルがある。ここがデッドシティにあるとはにわかには信じがたい。そしてソファーには黒のローマンカラーのバートと、向かい合う席に座るニーナの姿があった。
「はしたないですねぇ、ビアは」
 やれやれと言いたそうにわざとらしく嘆いて見せるバートに、ビアンカはしれっとした表情を見せた。
「生まれも育ちも卑しいものでね」
 悪びれるでもなく本当のことを告げると、ニーナは少しだけ楽しそうに笑った。
「正直ね」
「そうだろ?」
 そう言って席を勧められずとも、バートの隣に座った。
「あまり時間がないので長話は省く。昨日ここで木端微塵になった奴、明らかに薬キメてるって顔だっただろう?」
「えぇ、そうね。要のところもそうだと言っていたわ」
「あたしの部屋の隣の奴、爆弾屋だったわけだが、そのボマーもジャンキーだった」
 状況を直接見たビアンカと、間接的にしか聞いていないバートでは情報量が違う。バートはその関連に口を出したそうではあったが、代わりに目の前の紅茶を飲むことでそれを押さえたように見えた。
「昨日あたしはここへ来る前、ファイブストリートのデッドエンドという店で食事をしていた。その時、明らかに新顔という男が薬の商売を始めようとしていた。一連の爆破はデッドシティの権力者を狙っている。爆弾を運んだ奴はみなジャンキーだった。だから新顔の売人はとりあえず一度マークした方がいいと思ったわけだが、ここで一つ大問題がある」
 ビアンカは断りもせず、テーブルにあったクッキーに手を伸ばしそれに噛り付いた。さすがにニーナの御用達というわけか、歯触りの軽い上品な味のクッキーだった。
 それを飲み込み、ビアンカは言葉を続ける。
「そのデッドエンドに来た二人組のうち、一人は足を撃たれ、もう一人は手にフォークを刺されている。まぁ、刺したのはあたしなんだけど。ともかくその二人、バウンティーハンターの三嶋の獲物だ」
 するとバートの表情が変わった。それもそうだろう。人の顔を見るなり獲物扱いをしてきたような女だ。このデッドシティは三嶋にとっての禁猟区。けれども元々追ってきた獲物だけは例外だ。仕留めるまで狙うだろう。それを邪魔する者なら、笑いながら「ごめんねぇ、悪いけど邪魔だから死んでよ?」と言って銃口を向けて引き金を引くことに躊躇いがないような女だ。
「あのラムダークでお会いした方……ですよね?」
「あぁそうだ」
 そう言うとニーナは目を細めて意味深に笑った。どうやら三嶋のことはニーナも知っているらしい。

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