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03 運命の女

 ロニー・フェリックスは不機嫌さを隠そうともしない顔で、テーブルに足を上げた格好のままで煙草を吸っていた。
 元々の赤毛は染めることで真紅になり、耳朶にはピアス、目元や鼻にもピアスを開けている。服装は黒のパンツスーツにブルーグレーのシャツ。襟元はボタンをいくつかはずして楽にしている。
 足を乗せたテーブルに立てかけているのは、漆黒の鞘に収まった倭刀と呼ばれる長い長刀だ。片刃の細長く湾曲した武器であり、軽くて丈夫で扱いやすい。
 もっともそれは長年扱っているため、そう感じるだけで素人が使いこなせるような得物ではない。一メートルを少し超える刀剣は、本気で振えば首を簡単に切り落とせる程の威力があった。
「……」
 紫煙と共に溜め息も吐きだす。この場所はいつ来ても苦手だとロニーは思っていた。
 女たちの身にまとう香水の香りに化粧品の匂い。この空間にいるだけで吐き気を誘う。
 できるだけ視界に女の姿を入れたくないので、窓の外の通りをずっと見ていた。着飾った女たちを眺めるより、浮かれて歩く観光客を見ているほうがましだった。
「早くしろよ、まったく……」
 思わず忌々しそうに呟いてしまう。煙草は随分短くなっていた。
 この場所はロニーが所属するマフィア・ガウトが背後につく売春宿だ。元々地下生まれの人間もいれば、行き場を失ってこのエイキンに流れ着いた、別の都市の生まれのものもいる。
 どちらにせよ、ロニーにはまったく興味のない話だった。売春婦だった母親はドラッグにはまり、幻覚を見るたびに怒声を上げてはロニーを殴って蹴った。このままでは殺されると思ったロニーは、七歳にして母親をナイフで殺した。
 それが最初の殺人だ。
 沢山血が流れれば人は死ぬ。それをこの街で幾多も見て育っていた。殺すことが悪なのだとは思えなかった。自らを守るために殺すことに、なぜ善悪の感情が必要なのだろうか? 
 警察が警察として機能しない背徳の街では、犯罪は日常茶飯事で、誰もが見向きもしない。ロニーの殺人も誰もが無関心のままだった。部屋を貸していた大家は死体の始末に頭を抱えて、マフィアに連絡をし、金目のものは死体の始末代として全部奪われた。
 それからというもの、女は嫌いだと思うようになった。
 母親が最低の部類だったからといって、女のすべてがそうだとは限らない。それは頭ではわかっている。わかっていても、ガウトのボス、ベネット・ウォーレンに拾われて、マフィアの雑用で糊口をしのぎ、そしていつしか組織の一員として生きてきたロニーの目に映る女の大半は売春婦であり、媚びた態度も作った甘い声も何もかも大嫌いだった。
 近付かれるだけでも吐き気がするが、触られるだけでも蕁麻疹が出る。それほどに嫌いなのが女性という生き物だった。
 煙草の灰を床に落として再び咥える。物音に気付いて視線を巡らせば、店長として雇っている男が焦ったようにして走って戻ってくるところだった。
「いや、お待たせして申し訳ない!」
「早くしろ」
 悪びれもせずそう言って、テーブルに乗せていた足を下す。店長の男はケースに入った現金をそこに置いた。
 ロニーは煙草を灰皿に押し付け、それから確認もせずケースをポケットに入れた。
「あの、確認はしないのですか?」
 売り上げの中から毎日決められた割合でみかじめ料を払う。その代わりこの売春宿で起こるすべてのトラブルはガウトが請け負う。
 逃げた売春婦は捕まえて連れ戻すし、支払いを踏み倒す客には身ぐるみはがしてでも支払わせ、場合によっては人体のパーツで支払わせる。
 ロニーは立ち上がり、テーブルに立てかけていた倭刀を掴むと、店長を冷やかに見下ろした。
「わずかにでも足りない時は、おまえの首をこのテーブルの下に転がしてやる」
 それは警告であり、本気でもある。この倭刀を振って人を殺した事は何度もある。誰を殺したのかもう覚えてない程に殺したし、それに良心の呵責を感じたことは一度もなかった。
 ロニーの冷たい宣言に、店長は震えあがりすっかり顔色を無くした。
「あ、あの、もう一度、計算させてくれませんか!」
「うるせぇ。俺はもうこの場所はうんざりしているんだ。これ以上いてたまるか」
 蕁麻疹が出るほどの女嫌い。もはや女性不信、女性嫌悪、女性アレルギーと言ってもいい。彼女たちに罪はないと知っているけれど、嫌いなものはどうしても嫌いだった。
 そんな女嫌いのロニーが、よりによって売春宿のみかじめ料の回収を任された理由は、商品である女の子に絶対に手を出さないからという理由がある。マフィアである立場を利用して、金も払わずにタダで抱こうとする連中もこれまでにはいた。避妊もせずに抱いて、商品である女の子の体を傷物にすることがあったため、女嫌いのロニーが適任と判断された。
 確かにロニーならば指一本触れない。性の対象はこれまで同性だけだった。そのかわりロニー自身には精神的な苦痛を伴う仕事だった。
 だからこそ一刻も早くこの苦痛の場から逃れるために、ロニーは大股に歩き出した。
「ねぇ、ロニー」
 歩き出したロニーがあと少しで出口というところまでやって来ると、ロニーを呼び止める声がした。視線だけを向けると、黒髪の女はロニーに笑いかけた。
「女嫌いって本当?」
 品定めをするような視線を受けても、ロニーは冷やかな視線を崩さない。
「だからなんだ? おまえに何か関係あるか?」
 殊更素っ気なく吐き捨てるように言うと、女は少し鼻白んだようだった。
 割と最近やってきた娼婦だ。元は地上で同様の商売をしていたらしいが、向こうの別の組織から逃れてきたらしいという噂がある。自分ならそんな噂がある女など、商品としての価値もないと切り捨てるが、普通の男を喜ばせる手管だけは上物らしい。
「あたしで試してみない?」
 媚びたような上目使い。誘うような濡れた唇。大抵の男をその気にさせてきた仕種なのだろうが、ロニーにとっては嫌悪しか湧かない。
「冗談じゃねぇ。気持ち悪い」
 心底軽蔑するようにそう吐き捨てると、女の頬が羞恥から赤く染まり眦が吊り上った。
「何よ、このホモ野郎!」
 ロニーの女嫌いは有名だ。知っている者はだからこそ、絶対にロニーに女性を勧めたりはしないし、女性も話しかけたりはしない。
 しかしこの女は新参者。だからその噂がどこまで本当なのか知らず、またマフィアの連中に自分を売り込んで覚えて貰おうと、必死になった結果がこれだ。
 ロニーは侮蔑するような視線を注ぐ。さすがに言い過ぎたと思っても今更撤回することもできず、女は怒りと気まずさ、そして羞恥と開き直りと忙しく表情を変えていった。
「……」
 これだから女は嫌いだ。
 男なら誰もが股を開く女に乗りたがると思っているような娼婦は、その中でも極悪の部類だ。
 頭も悪い。自分とて褒められた知能ではないが、これよりもマシだと思う。
 そう思いつつ、ロニーは溜め息をついた。
「何とか言ってみなっ、きゃっ!」
 ロニーは抜刀し、その切っ先を首筋の直前で寸止めにした。このまま切り落とした方が楽だ。寸前でぴたりと止めるほうが技量がいる。つまりそれだけロニーは倭刀の扱いに長けているということだ。
 肩から降りてきた黒髪が刀身に触れると、それだけでハラハラと切断され落ちていく。
 あとわずかに刀身が進んでいれば、切り落ちていたのは黒髪ではなく、自分の首だったと知り蒼白になった。
「女はそれほど偉いのか? え? 股座濡らして足を開くしかねぇてめぇらが、それほど高尚なものだとは思わねぇんだけど。なぁ、俺が女を犯さねぇからって舐めた口きいてんじゃねぇぞ。調子に乗りすぎたら、いくらおまえがこの店の「モノ」だとしても殺すぜ?」
 刀身をそっと動かした。照明を反射してきらりと光りを跳ね返す。ロニーの持つ倭刀は最高の物をいくつか用意し、絶えず手入れと砥ぎ直し、あるいは打ち直しに出している。それはいつでもヴィズルの連中と殺し合いができるための用意だ。
 ガウトに拾われてガウトに育てられた。だから漠然とガウトのために生きて、ガウトのために死ぬのだろうと思っている。
 少なくともそんな生きざまに不満はない。娼婦の子供で、エイキン育ちだ。まともな教育を受けていなくても、少なくとも自分の力で生きていけるだけまだマシな部類だろう。
 それに倭刀を操って殺し合いをしている時は、少なくとも生きている実感がする。
 冷やかな視線を注ぐと、黒髪の娼婦は真っ青な顔になり震えた。ロニーは小馬鹿にするように鼻で笑い、そして倭刀を鞘に納めた。
「用がなければ俺に話しかけるな。触ったりしたらぶっ殺すぞ」
 そう言って今度こそ店の外に出た。

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