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03 セシリアと猫

 今更だが、まさかジョルノまでゲイなのだろうかと、向かいに座るロニーの顔を見てしまう。ロニーはゲイだったというべきなのだろうか?
 基本的に女は嫌いだというが、男が好きだというわけでもないらしい。女よりマシ、という印象だ。今現在例外としてセシリアは運命の女だと公言しているが、セシリア以外の女性はまったく興味は湧かないし、触れば蕁麻疹が出ると言い続けていた。
 はっきり言って迷惑だし、迷惑だと告げたところでロニーの行動は何も変わらない。大きな犬がご主人様に飛びかかって、尻尾を千切れんばかりに振りながら顔中舐め回してくるような、そんな感覚に陥ることがしばしある。
 ただ油断すると犬ではなく、こいつも一端の男なんだなと意識させられるような行動に出てくるので、気を引き締めていないといつどこで迫ってくるかわからない。
 これまでに何度か危機的な状況を迎えたことがあるが、その都度何とか逃れてきた。真剣に拒絶できないのは、ロニーの諦めの悪さと、年下の男の真剣さに少しほだされているのかもしれない。
 そう思ったところで、この思い込みの激しい馬鹿は、扱いやすい時と扱いにくい時の落差が激しすぎた。
「猫にすら仕事を出し抜かれるのか。へっ、ざまぁみろ」
 口元は笑っているのに目が笑っていないという表情のロニーを見て、チャドが顔を引きつらせた。
 セシリアから見て大きな犬に見えるロニーも、チャドにとってロニーはマフィアでしかないので、怖い存在であることに変わりはない。
「あの、俺。仕事に戻ります! ごゆっくり!」
 チャドはそう言い残して厨房へ向かって速足で戻って行った。セシリアはそれを見送って笑った後、アンニンドゥーフーを口に運んだ。ロニーも匙を手に取ったところで、セシリアは溜め息交じりに言い放った。
「ロニー、あんたは冗談でも、子供の前で凄まないでよ」
「冗談? 冗談を言ったつもりはないけど」
「……」
 心の底から本気でジョルノが猫に仕事を奪われるのを祈っているのかと知って、セシリアはジョルノに心の中で同情した。
 馬鹿正直さゆえに現実でもよれよれの生活だというのに、想像だけの世界でもぼこぼこにされるとは……
「あ、今の話だけど思い出した」
 チャドから聞いた直後は思い出せなかったが、似たような話を聞いたことがある。
「普通に考えたら空の気団と気団を繋ぐ道っていうのも嘘くさいわけだけど。空の気団から海底都市だろうと、地下都市から空中都市だろうと自由に移動できる猫がいて、その猫を見失わずについていければ、自分も移動できるんだって話。昔聞いたことがあったな」
 あまりにも昔なので忘れていたし、それは夢見がちな親友の作り話か、もしくは言い伝えを信じているのだと、そう思っていた。
 もう二度と訪れる事のない場所で聞いた。
 すべてが美しく輝かしかった、けれど徹底管理された牢獄のような場所。
 そこで聞いた物語だ。
 思い出すだけでも胸が締め付けられる。涙が出そうなくらいに懐かしいけれど、セシリアが自由を得る代償に捨てたそれまでの人生のすべてだった。
「でも猫がいなきゃどこにも行けねぇってのも、不便な話だ。それくらいなら俺は自分の足で自分の行きたいところへ行くさ。第一、そういう不確かな眉唾な話を信じて待つより、自分で動いたほうが早くね?」
 現実的なロニーの提案にセシリアは笑った。
 そうだ、夢を見て自分を連れ出してくれるきっかけを待ち続けるよりも、自らの足で踏みだして走り出した方が早い。
 セシリアは実際にそうした。誰かが連れ出してくれるのを待つのではなく、自分で道を切り開いて飛び出したのだから。
 その選択を後悔したことは一度もない。今ここで生きている自分が好きだ。あの場所では何もかも嘆くばかりで息苦しかったから。
「あ、でもあれだな。その猫捕まえちまえば話は早いよな。そうしたら空の気団にも入りたい放題じゃん」
 ロニーの単純な発想を聞いてセシリアは笑った。そしてかつて親友だった少女が教えてくれた話をそのまま口にする。
「その猫の話の続きだけど。猫を喜ばせないと、思ったところには連れて行かないんだそうよ。気に入らないと、知らない場所に置き去りにされるんだって」
「使えねぇ猫だな。ならやはり自分で行ったほうがよさそうだ」
 しかし今なら親友がその物語を口にした時の思いがわかるような気がした。
 当時はどこにも行けない自分たちがいた。
 だからそんな自分たちですら連れ出してくれる存在がいるとしたら、どんなに不確定なものであっても待ち望んでいただろう。
 小さな箱庭のような、完成された調律ある美しいあの学園は、実に狭い場所なのだと気付いた途端に息苦しくなる。
 不便のない生活に目つぶって、空の豪奢な牢獄に囚われたままで生きるか、それとも約束された安定した将来を捨てることで、不確かで不安と希望が入り混じった自由の世界で生きるか。
 結局セシリアは後者を選んだ。何もかもを捨て去って、自分の力で未来を切り開く選択をした。
 かつての親友は今も空で生活しているのだろう。自分の代わりに世界のどこへでも行ける猫に自分を重ねて空想して、見えない茨に囚われたまま美しい世界で自由以外のすべてに囲まれながら。
 どちらの生き方が幸せかはわからない。ただセシリアは自由を選んだだけだ。そして選んだことを後悔せずに生きている。それが答えだった。
「そうね。自分の行きたい場所へは自分で向かったほうが早いわ。でもそういう猫いたら、一度くらいはどこかに連れて行って欲しいな」
 そう言うとロニーはしばらく考えたのち、にやりと笑った。
「その前に、セシルは猫に触らせて貰えねぇんだろ? それなら無理だ」
「っさいわね!」
 猫が好きでも、猫に好きになってもらえない身としては、現実に世界を渡り歩く猫がいたところで、触れる事すらできない。当然猫を喜ばすことなど無理に違いない。喜ばせる前に逃げられるのだから。
「猫を撫でるコツを教えようか?」
 あまりにも得意そうに言うので、逆にセシリアはむっときた。
「いらない! 別に猫を撫でられなくても不便はないもの」
 そっぽを向いてデザートにがっつくと、ロニーがニヤニヤと笑っていた。


セシリアと猫・完

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