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08 運命の女

 ガウトは他にもナンバースリー、ナサニエル・スレーターが襲撃され、一緒にいた運転手が死亡し、ナサニエルは被弾したものの命は助かったらしい。スペンサーが携帯端末機の向こうで悔しそうに言った。
 組織が動揺している。ナサニエルとロニーが同日襲撃され、それぞれが負傷している。それは組織の安定力に影響を与える。今は戻った方がいいとロニーは思う。
 しかし連中はいつ・どこから襲撃してくるかわからない。自分がヴィズルの側の人間なら、どちらかを確実に仕留めたい。ナンバー付きを殺害することで得られる自信と言う名の、圧倒的な有利性を手に入れたい。特に新しいメンバーが加入し、ばらついているならば結束力を高めるために効果的だ。自分なら血眼になって探す。
 ロニーはそんな現状に苛立ち、舌打ちをした。
「ちくしょう、絶対連中をぶっ殺してやる」
 確かにエイキンは法の外にあるような背徳の都だ。しかしながら無秩序な秩序が存在してきた。それは常にぎりぎりの調律であり、ほんのわずかにどちらかが重くなれば、或いは軽くなれば、瞬く間に不協和音を奏で崩れ去るほどのものだ。
 例えばこれ程の殺し合いをしていても、爆発につながるような攻撃はしない。地下都市という特殊な空間で、その地下の存続を揺るがすようなことをすれば、誰もかれもが生き埋めになる。だから大口径の銃も爆発物も、絶対に使用しない。それが暗黙の了解だ。
 だが今のヴィズルはそうしたことをやりかねない雰囲気が感じられた。これは危険な兆候だった。
「……わかった、こっちに来る前にもう一度連絡してくれ。じゃぁな」
 そうして通信モードをオフにした。溜め息をついて、テーブルの上に携帯端末機を置いた。
 鎮痛剤はじっとしている分には効いているようだが、やはり動けば痛みを自覚する。顔を歪めたまま立ち上がると、セシリアがいるであろう、キッチンへと向かって歩き出した。
 そう広い部屋ではない。元々単身用の部屋と思われる。そのためどの部屋も大きな造りではない。
「おーい……」
 先ほどまでこっちにいたと思っていたら、別のドアが開いた。
「わっ! 何よ、うろうろするんじゃないわよ」
 驚いた顔を見せつつ、セシリアはふと手にしていた袋を持ち上げた。一つは小さいもの、もう一つは大きいものだ。
「そうそう、これ。あんたの着ていたジャケットのポケットに入っていた物よ。こっちは血まみれのシャツとジャケットね」
 売春宿からみかじめ料を回収してきた。しかしその現金を入れたケースは被弾し、ケースが破壊され、札には穴が開き、一部が血に濡れている。
「……マジかよ」
 受け取ったそれはとてもじゃないが、使えるようには見えない。
「ご愁傷様。どんな経緯で手に入れたお金か知らないけど、闇金でも換金してくれないと思うわ。穴が開いて血まみれのお金なんて」
「……俺が弁償するのか」
 絶望的は気分でそう言うと、セシリアは頷いた。
「当然じゃない。あたしのせいじゃないわ。あんたの脇腹がそれで済んだのは、これに一度当たって軌道が変わったからね。ジャケットのポケットの位置からして、もしもポケットにそれが入っていなければ、案外足の動脈に弾が移動していたかもよ。そうなったら傷よりも出血の多さで、今頃生死の境よ」
「……」
 いっそ死ねば弁償しなくても済んだのにという考えすら浮かんだが、あいつらをぶっ殺してうさはらしをし、それから財布から取れるだけ取ってやると固く誓った。そう思わなければやっていられない。
「なぁ」
「何?」
「もう少しここにいてもいいか?」
「怪我人に出ていけとは言わないわよ。あたしの身の安全は、あんたの性癖によって守られているみたいだし」
「いちいち、うるせぇよ」
 そう言うとセシリアはおかしそうに笑った。間近に見えるセシリアの薄紫色の瞳は、あまり見る事のない不思議な色合いだなと思う。
「あ、こっちにきたついでに教えておくわ。この奥が洗面所兼ユニットバス。それから向こうの部屋はあたしの寝室。とはいえ、ベッドとテレビしかない寝室だけど」
「……おまえさ、ここで生活しているの?」
 殺風景にも程があるだろう? と言いたくなる空間なだけに質問してみると、セシリアは首を振った。
「ここは寝るだけの部屋よ。エイキンにいるのは週末だけ。だから週末寝るだけにここに来ているの。普段は地上にいるわ」
「ふうん……儲けているようだな」
 第一区画・第二区画は商業区画でもあるため、ここに住居を借りるにはそれ相応の家賃が必要だ。安全面でもこちらの方が比較的安定しているために、部屋代は高騰している。
 そこそこに収入がないと借りることなんてできない。
 セシリアは軽やかな笑みを浮かべた。
「まぁね? 表の仕事もこっちの仕事も充実しているわよ。行動を選択できるって生きている実感がするじゃない。わからない感覚かもしれないけど、自分で選んだ生き方ができるって、本当に実感できるもの」
 そう言ったセシリアの表情がわずかに曇った。目が覚めて話してからほんの一時しか経過してない。しかし絶えず明るい方向に変わっていた表情が、初めて暗い方向に変わる。
 セシリアでもこんな顔をするんだなぁとロニーは意外に思う。
「行動の選択ができないって刑務所か?」
 法の力が及ばないとはいえ、それはエイキンでの話だ。地上で犯罪が露見すれば、たちまち法で裁かれる。
 肝が据わっているようだが、刑務所帰りには見えないセシリアにそう言うと、意外そうに眼を見開いて、それから声をあげて笑った。
「なるほどね! そう言われると似ているかも!」
 セシリアはあの暗い表情を払拭し、少し楽しそうな表情になってしまった。しかしそれ以上の言及することなく、リビングへと向かって歩いて行ってしまった。
 今の口ぶりからすると、刑務所ではないようだ。
「……」
 ロニーは袋の中の現金の残骸をもう一度覗き込んで、ボスになんて言ったらいいのかと頭を悩ませた。


 二時間程仮眠を取ったあと、スペンサーから迎えに行くという連絡を貰った。スペンサーが着替えを持って迎えに来て、礼は改めてするというと、セシリアは快活に笑って「当分エイキンを離れるから、礼はいらないわ」と断られた。
 どこからどう見ても女性であるセシリアと一緒にいることに、スペンサーは驚きの表情を隠せずにいた。しかしセシリア本人の前で聞いていいものか迷ったらしく、スペンサーは浮遊車に戻るまで余計なことは口にしなかった。
「ロニー……」
 無言の車内の空気に耐え切れなくなったのは、スペンサーだった。聞いていいものかどうか、ずっと迷っていることは空気で伝わっていたが、それでもロニーも黙っていた。
「聞くなよ。俺にだって、よくわからない」
 女嫌いのロニー。売春宿でどれ程上物の女がいても、指一本触れない程の筋金入りの女嫌いで有名であることは、自分でも自覚している。
 それがなぜセシリアだけ無事なのか。
 セシリアが言うように、触れる直前に女と同じ空間にいると意識し、それから女に触れる、あるいは触れられると考えてしまうから出てしまう自家中毒なのか……
「状況はさっき話した通りだ。奴らに撃たれて逃げた時に、セシルとぶつかってそのまま助けられたんだよ」
 その際の細かな状況は話さない。すでに被弾し、痛みと出血でくらりとしていたとはいえ、女に膝蹴りにされて気絶したとは絶対言うつもりはなかった。
「それよりもボスたちはどうするって言っていた? やるなら俺はすぐにでも出るぞ」
 倭刀の鞘に触れてそう言うと、スペンサーは首を振った。
「二発も食らって、ボロボロだろ。それにあのサングラス姐さんが言うには、応急処置程度だから病院へ連れていけって言っていたじゃねぇか」
「……」
 セシリアはスペンサーが迎えに来ると言ったら、急にサングラスを掛けだした。普段からかけているらしい。ただロニーとぶつかった衝撃で一個壊れ、更に自室にいたのでかけていなかったのと、ロニーにはもう素顔をみられたので開き直ったが、『サングラスがトレードマークのセシル姐さんだからね』と自分で言って笑っていた。
 素顔を晒したくない理由がある程度には、やはり何かしら後ろめたい事でもあるのだろうとロニーは思った。
「かちこみより先に、まずは病院だ。ヤン先生のところには連絡しておいたから」
「おう……」
 スペンサーに持ってきてもらったワイシャツの上から、脇腹をそっと撫でる。触っただけでも確かに痛い。
 そしてまたセシリアの事を考えた。
 他の女との違いがわからない。
 もしかしたら売春婦じゃないからだろうか? と考え、それが一番答えに近いような気がした。

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