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23 殺戮のBB

「馬鹿が」
 だが沢本は短く吐き捨て、そして容易くナイフを叩き落とした。ビアンカがもう一本のナイフを引くより先にナイフを奪い、ピタリと頚動脈に押し当てる。
 これがハウンドのボスと呼ばれる男の実力だった。流れるような自然な動きにわずかな隙も見当たらない。あともう少し力が入っていれば、ビアンカの喉は掻っ切られていただろうし、いつでもそうできるのだというように、沢本はナイフをさらに強く押しててて来た。ビアンカは思わず息を止めた。
「図星だからって、熱くなるなよ」
 これまでビアンカはそのナイフの腕で生きてきた。だが沢本はそれをいとも容易く封じ込めた。頭に血が上っていて、周囲が見えていなかったこともあるが、こうも容易く封じ込められたことがショックでもあり、悔しくてならない。
「あんたに何がわかる!」
 そして思わず悔し紛れにそう叫んでしまった。
 すると沢本は吐き捨てるようにして言った。
「知るかよ。不幸自慢はよそでしてくれ。この腐った世の中じゃ、石を投げるだけで不幸な奴に当たるぜ? それともしてみるか? 不幸自慢を。生きるために殺した。殺すために殺した。目障りだから殺した。邪魔だから殺した。食うために殺した。殺して食った。あと他にあるか? レイプされた。金欲しさに体を売った。金の前では屈辱なんて、腹いっぱいになるほど突っ込まれてもよかった。そのくらい金が欲しかった。この街にいる連中の殆んどがそんな連中だ。それで? おまえはどんな不幸自慢がしたいんだ?」
 サングラス越しに見る沢本の目は冷ややかだった。これ以上ないくらいに凍てついていた。
 今言ったことの全ては、自分も当てはまっているのだろう。
 結局は同じ穴のムジナ。
「はっ、馬鹿馬鹿しい」
 沢本はそう言って、ナイフを放し、ビアンカにナイフを差し出した。
「自分の不幸に酔いしれてるんじゃねぇよ。まぁ、ガキだからしょうがねぇのかもしれないが。悔しかったら俺を見返してみやがれ」
 そう言って、沢本は地面に落ちたナイフも拾い、ビアンカのナイフのホルスターに納めた。
「おら、行くぞ」
 先を歩き出した沢本は、まるで今の出来事がなかったかのような傲慢さを発揮し、歩き出した。ビアンカは沢本から受け取ったナイフを見つめて、それから沢本を見た。
 確かに沢本も最初から全てを手にしていたわけではない。今の様子だと相当辛酸を舐めさせられ、それでも全てに戦いを挑んで勝ち取ってきたのだろう。
 ビアンカは苛立たしげに舌打ちをし、それから面倒そうに歩き出した。


 バートと待ち合わせをしたナインストリートのラムダークは、昼はランチなどを提供し、夜は酒を提供するダイニング・バーだ。店の作りは広く、わりとカジュアルなために客層を選ばないが、少々値段が高い。
 店の前に辿り着いた二人だったが、ビアンカは足を止めた。
「沢本」
「なんだ?」
 振り返りはしたが、心底面倒そうだった。
「あたしは当分の間の金がない。マネーゲートで金を下ろしてくるから、先に行ってくれ。バートなら目立つから直ぐにわかる。黒の腰まで届く長髪、神父服。胸にはクロスを下げている」
「なんのコスプレだ?」
 そう言って沢本は苦笑した。先程までの刺々しい空気がようやく緩和する。
「詳しくは聞いてないが、一応前は神父やっていたみたいだぜ」
「変わり者揃いのデッドシティで、更なる変わり者か。おもしれぇ。それとなく目に付いたら声をかけておく。おまえも逃げるなよ?」
「逃げてどうする? 仕事の話だろ」
「あぁそうだ。とっとと行けよ」
 そう言うと沢本はもうビアンカに興味をなくしたかのように、店の中に入っていった。
 ビアンカは溜め息を漏らし、それからナインストリートの奥へと歩き出す。
 先程のやり取りは正直堪えた。何より頭に血が上っていたからといって、容易く封じ込められたことが腹立たしい。
 確かに沢本は強いのだろう。見かけ通りの優男と舐めてかかれば、そうとう痛い目に遭わせられる。さすがに数々の噂をこのデッドシティに流すだけはあるようだ。
「ったく、調子狂うよなぁ」
 ビアンカがついた溜め息は、ぼんやりとした空に吸い込まれていった。

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