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07 運命の女

 一通り食べて言われるままに鎮痛剤を飲んだ。セシリアがテーブルを片付けている間、毛布に包まって横になっていると、満腹のせいか薬のせいか、眠気が押し寄せてきた。
 微かな物音がキッチンから聞こえる他、この部屋には何もない。テレビもなければ音楽を再生するオーディオの類いもない。ごちゃごちゃしているよりもマシだけれど、あまりにも殺風景だった。
 普段こんな何もない部屋で、セシリアはどうして過ごしているのだろうかと考えながらうとうとしていると、セシリアが戻ってきた。
「あのさ……先に謝っておくわ、ごめん」
「……なんだよ?」
 我ながらこの警戒心の無さはどうしたんだ? とロニーは自分に呆れた。確かにセシリアからは敵対する意思は感じられない。けれどもここまで無条件に受け入れてしまっている自分は、いったいどうしたんだろうかと思う。
 初めて訪れた部屋で、危うく眠りこけてしまいそうだった。だが起きていても傷口は痛むだけだ。セシリアの手当は応急処置程度であって、このまま放置しておくわけにはいかないだろうということは、これまでの経験上わかっている。
 それを思うなら寝ている場合ではないのだが……
 どうしてなのか、この殺風景な部屋は妙に居心地がよかった。
 ロニーが寝転がったまま見上げると、申し訳なさそうな顔でセシリアが腕を伸ばした。
「これなんだけど」
 そうしてセシリアが差し出してきたのはロニーの携帯端末だ。地下都市専用に開発されたそれは地上では使えないという不便さがある。
 たまに息抜きや武器弾薬、薬の売り買いのために地上に出向くと、地下都市と連絡が取れなくなり、公衆電話を利用しなければならない時もある。それに不便だなと思うことはあるが、殆どを地下都市で過ごしているため日常の不便さはそう感じない。
「壊したのか?」
 さすがに不愉快そうに言うと、セシリアは首を横に振った。
「壊した覚えはないけど、うるさいから冷蔵庫に入れた」
「……なんでそうなる」
 手を伸ばして受け取った携帯端末機は、冷蔵庫に入れたというだけあってひんやりしている。手に取ると瞬く間に全体の表面がうっすらと曇ってきた。
「だってあんたの手当てしている時に、ビービーなってうるさくて。それであとで相手しようと思って、その冷蔵庫に入れたのよね」
「……」
 セシリアの思考回路も行動も、どうにもロニーには理解しがたいものだった。
 しかし腹と背中から血を流すどこの誰とも知れないマフィアの男を、ここまで運び込んで手当てをしている最中に、執拗に鳴る携帯端末機に苛立ったのだろう。そう思うことにした。
 着歴を見ると、履歴が残っている。異様に何度もスペンサーから入っている。スペンサーは行動を共にする相棒だ。ロニーとは違って長物は得意ではなく、ハンドガンを愛用している。
「ごめん。壊れてないかな?」
「多分平気」
 履歴が表示されているくらいだから大丈夫だろう。風呂にでも落としたなら防水機能はないのでまずかったかもしれないが……
「ならよかった。仲間呼んで迎えに来てもらいなさいよ。まぁ、一晩そこのソファーに寝ているっていうならそれもいいけど。ロニーを信用しているというわけじゃないけど、あたしを襲う気にはならないでしょ?」
「ならねぇな」
 茶目っ気交じりの軽いセシリアの口調に、ロニーもまた苦笑交じりにそう言い返したところで、再び呼び出し音が鳴った。
「はい」
 応答すると、やはりスペンサーだった。ひどく焦ったように安否を確認してきた。
「音信不通で悪かった。俺もヴィズルの襲撃を受けたぞ。脇腹と肩に一発だ。連中、次に会った時は生かして返さねぇ。今? 今は……ここどこだよ?」
 そう言えば、触れる事ができる女と出会ったという衝撃もあり、色々なことを忘れていたようだ。そんな初歩的なことも確認せず、セシリアを信用していたという事実に逆に愕然とした。
 するとセシリアが言葉に詰まったロニーの手から、携帯端末機を取り上げた。
「あ、おい!」
 手を伸ばすがセシリアは歩きだし、ロニーから少し離れた。仕方なくロニーも起き上がった。傷口が引きつれて痛み、思わず顔をしかめる。強引に奪い返すこともできるけれど、別にセシリアはひったくりではない。余計な事を言うんじゃないと思いつつ、セシリアの横顔を眺めた。
「初めまして、こちらトラブルシェーターのセシルよ。この場所は第二区画。正確には第三区画の境目あたり。裏のバーグ通りのあたしのフラット。大通りからは浮遊車は入れないから、途中からは徒歩で迎えに来てくれるかしら? 特に目印らしいものもないから、近くまで来たら何度かこれに連絡してよ。あとロニーの上着もシャツも滅茶苦茶。血まみれで、着られたものじゃないから上に着せられそうなものも持ってきて頂戴。一応手当はしたけど、応急処置程度だから病院の手配もして。あとはそうね、あたしからはないからロニーに変わる」
 そう言って取り上げた携帯端末機を返した。セシリアはロニーに答えられない質問に答えたついでに、要望を簡潔にまとめただけのつもりだろう。
 しかしこちらは筋金入りの女嫌い。スペンサーもロニーが娼館のみかじめの集金時以外に、女性といるところを見たことはないだろうし、話しているところなんて、ましてや世話になっているなどと、寝耳に水だろう。
 さてどう答えたものかと思って携帯端末機を耳にあてると、向こうでスペンサーが混乱していた。
「もしもし? あー……」
 ロニーの女嫌いはスペンサーとて知っている。まさか女がロニーの携帯に出るとは思っていなかっただろうスペンサーは、二重の衝撃を受けているらしく言っていることが混乱気味だった。
「うるさい、落ち着け。俺だって自分から女に助けてくれって言ったわけじゃなくて、不可抗力……わー、悪かった! やめろ!」
 セシリアが再び拳を固めて振り下ろしてきた。冗談でじゃれ付くような生易しいものではなく、まともに受けたらそこそこの痛みを伴う立派な攻撃なので、ロニーはそれを手のひらで受けとめた。ずしりとした手ごたえが手のひらから腕、肩、脇腹へと伝わる。それに合わせて傷口が痛んだ。
「洒落になんねぇよ! 痛いって! 悪かった! だからそっちに座ってろ!」
 自分で叫んでいてもこうなのだから、携帯端末機の向こうのスペンサーは「おまえは誰だ! ロニーはどこだ!」と叫びたい程衝撃を受けていることだろう。
 ロニーが一通り叫ぶと、セシルは拳を納める気になったのかそれとも飽きたのか、不意に姿を消した。キッチンでやり残した仕事に戻ったのだろう。
 ロニーは溜息をついてソファーに背を預けた。せっかく効いてきた鎮痛剤だったが、再び痛みが蘇っていた。
「なんかよくわかんねぇけど、こいつは平気らしい」
 触れて蕁麻疹が出ないこともそうだが、あの気持ちの悪さを感じない。
 他の女とセシリアの違いはなんなのか、それはロニーにもわからない。けれども一緒の空間にいても嫌な気はしなかった。
 おそらくセシリアの間の取り方がうまいのかもしれない。或いは人間性か?
 媚びるでもなく嫌悪を示すでもなく。踏み込んで来るけれど、引き際を心得ている。風のような女だった。
「それはともかく。連中、なりふり構わねぇ。ナンバーのある連中を取ることで、勢いづこうとしている。挟撃でくるぞ。相手が一人とみれば、三人以下のパーティーじゃ来ない。それ以上だ。おまえの手しか空いてないなら、今は来るな。必ず複数で来い。長物より飛び道具だ。いや、状況によりけりだからどちらも用意したほうがいいし、区画に関係なく襲ってくる。俺が襲われたのも第二区画だ。イヤールクが黙っているのも今だけだ。連中ももうすぐ切れるぞ」
 イヤールクは本拠地を第二区画に構える傭兵人材派遣所だ。依頼とあれば、どこへでも向かう。地上で活動することもあれば、空中都市の気団に空賊狩りに派遣されることもある。個人的な依頼でも、組織的な依頼でも、傭兵としての仕事ならば何でも引き受ける。
 それがマフィア同士の抗争であっても、依頼なら受理される。もちろん、それ相応の賃金を支払わねばならないが、連中はありとあらゆる荒事のプロだ。金さえ支払えば、今日までガウトの助っ人、明日にはヴィズルの助っ人と立場も変わる。
 そんなイヤールクだが、自分たちが根城にしている第二区画で、マフィア同士に騒がれるのは好まないだろう。一度目は偶然として見逃す。しかし二度目はない。連中が束になって本気になったら、厄介なんてものじゃない。立ちふさがる障害はすべて排除する。女だろうと子供だろうと、誰であろうと敵とみなす。その点はマフィアと一緒だが、連中の攻撃手順は効率的で無駄がなく、殲滅の作法が徹底的だ。これ以上イヤールクの見ている場所で、こうした戦闘はしない方がいいが、下手な鉄砲数打ちゃ当たるの理論で、外部から新参者を大量に補充しているヴィズルの連中は、末端へ下る程に情報統一がされていないようだった。煽りを食らうガウトとしては迷惑過ぎる話だ。

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#小説 #オリジナル小説 #アクション #バイオレンス

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