すべては「心地よさ」
前の記事で、「安心の状態である」ということが、自分の人生を好転させ維持させ、その維持の状態が底上げされていくということを書きました。
じゃぁ、
「いやいや、この状況で?どこに安心があるの?全く安心とはほど遠いんですけど…」とか
「それってキレイゴトだよね。良く言われてるけどさ…」とか
あなたの心が反発してしまっている時。
どっちかというと、こういう状態の時の自分って、上のふたつの心境の時の方が多いんじゃないかなって思ったりする。
少なくとも私の場合は、こんな話を見聞きして、頭では理解するんだけど心が追い付いてくれなかった。
感情は要らない、呪文のように唱えるだけでいい、
とかいうところにすがって言ってみたところで、その都度心がザワってして
「いやいやいやいや、、、なってないよね?現実味ないよねー」
って心の中でノリツッコミの自己対話。
だから何年経っても叶わない。
現実をしっかり生きようとする人ほど、でも、一方で言霊の力とか、態度・言動・意識が現実を創り上げるってこともしっかり理解している人ほどこのループに嵌っちゃうんじゃないかなって。
今は、それに気づいてる。
順番が違ってたんだ。
それだけのことだった。
そして、第一番目に行動しなければならない、かつ、最重要ポイントだったんだ!って気づいたその行動とマインドを
私は一番、心の根っこの部分で受け入れられていなかったってことに気づいた。
それって、究極の自分を受容することだったから。
だから、「努力家」で、「人は一気に成果を出しても一過性でしかない」とか「地道な積み上げは何よりも強い人生の土台になる」って感覚が、経験上や、先行く先輩方の背中を見て結論を出していた『自分』や、その考えが自分を支える軸になっていた『自分』や、『自分』をもっと向上させたい!って気持ちがものすごく強い私にとっては、それが「わがまま」とか「甘え」とか「逃げ」のカテゴリーに自動的に分類されていて、
『断固拒否!』
って心の中の労働組合の一致団結の答えとして懸垂幕を掲げていたって状態だったんだなって。
余談だけど
この『自分』ってのが、そもそも『エゴ』ってやつだったんだ、って気づけたときは、何か憑き物が落ちたように肩が軽くなった感覚がした。
つまり、外側の世界について、どう感じているかってのが現実を創り続けるってことなんだってことに、気づいたの。
だからいくら、意識の表層面で「神様言葉」を呟いても、自分を洗脳させようとしても、自分の根っこの部分の自分が冷静にツッコミを入れている状況が続いている限り、自分のその不快な感覚が続く今が創られていくということなんだなと。
じゃぁ、どうすればいいの?
成功したい!
幸せになりたい!
素敵な出会いが欲しい!
自分にとって、欲する自分の理想の姿ってそれぞれだと思うけど、その状態になかなかなれないのはフラストレーション溜まることで、モチベーションを維持するのもしんどくなってくると思う。
それを唯一打破するのが
「心地よく在ること」
つまり「ゴキゲンであること」なんだ。
今が、絶体絶命であったとしても。
いや、絶体絶命のピンチであればあるほど、この感覚を先に取り戻すことがとても大事になる。
自分のベクトルを上向きに軌道修正し、加速度を上げていく唯一の方法ではないかと思っている。
「心地良く在る」ということは、究極に自分を整えられているということなんだ。
ここがなかなかうまく自分を取り扱えないから、間違った方法を続けてどんどん軸がズレて行ってしまう人も、少なからず居ると思う。
自分の取り扱いって、そんなにEasyではないから。
いや、一番厄介な存在かもしれないね。
正直に素直に生きることを決めてしまえば、一気に滑剤が十分に満たされた滑車のように巡航し始めるんだけどね。
まず自分の感情が、どう動いたか?
「ザワッ」なのか「ホワッ」なのか。
これってすごく大事な感覚。
目の前のあの人と話している時、「ホワッ」なのか、「ザワッ」なのか。
あの集団の中で過ごした数時間の後、あなたは「元気に満ちている感じになった」のか、それとも「ぐったり疲れた」のか。
あの事を考えると、とっても背中や肩が重たくなって、楽しくなくなるのか。
それとも待ち遠しくなるのか。
それは、あなたの道しるべ。