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ライオン広場

新宿や渋谷の夜は、とにかく色んなものが詰め込まれて散らかっている。
5年前までの田んぼ道は、確実に過去のものになりつつある。

"TOKYO"に住んでいると、
女は綺麗でいなければいけないという十字架と引き換えに市民権を得て、
男は儲かる方はどこかと常に周囲を見渡しているように思える。

物足りなさはすでにない。
どちらかと言えば毎日の大量の刺激にも慣れ始めた。
裏路地ですらも東京は東京で、いかに人口が増えているかが分かる。

実は上京してからの方が歩くことが増えて、今日はもう疲労している。
カラフルな光のせいで思考が散らかる。

辛いことがあったわけではない。
でもなぜか、嫌いで飛び出した地元の友の声が聞きたくなる。
地層になった僕の過去の、一番下にある砂は入れ替えることは出来ず、
時たまの地震で表面化する。

普通で終わりたくはないとエネルギーをぶつけることが、何よりも普通なのではないかと思うことがあったり、
何でもあるように見えて、実際に何があるのかは分かっていないことだったりと、思春期がまたぶり返したようだ。

僕は何度も、健全な不安と称した不安を抱えてきたが、22歳にして初めて押しつぶされそうな夜を知った。
近頃はベッドの上でどうしても誰かの手を握りたくなる瞬間が定期的にくる。
強がりは続かないと知っているから、できるだけそっと、あの子に吐き出したりした。

選択することの難易度の上昇は進む時間に2をかけた正の相関だ。
明日はもっと隣の芝は青くなっているだろうし、百聞が一見になっていくような怖さがある。

誰に、どこで、いつ正直になればいいのだろうか。
少しずつ、少しずつ殻にヒビを入れて、いつかはスカイツリーを真上から見たい。

迷子の田舎者には、どうしようもなくビルが高く見える。
明後日には「おかえりなさい」と言われたい。

締りのない残暑を振り切るように、
ライオンの像を横切った。



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