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灘五郷酒所 あたらしい日本酒ツーリズムの誕生

▶エリア:兵庫県神戸市
▶文化財カテゴリー:食文化(日本酒)
▶事業名:灘五郷初!後継者を育成する灘の日本酒ルーツツーリズム

五郷

 兵庫県灘沿岸部に位置する、西郷、御影郷、魚崎郷、西宮郷、今津郷の5つの地域からなる日本を代表する酒どころが「灘五郷(なだごごう)」だ。

 その歴史は古く、室町時代から記録があり、江戸時代では隆盛を極め、その発展は現代まで続いている。日本酒に詳しくない人でも名前を知っている大手酒造メーカーのほとんどが灘五郷に集結しており、今日でも生産課税出荷量が全国の約25%を占めている。それだけ長い間、日本人に愛される酒を作っている地域といえるだろう。
 灘五郷がなぜそこまで発展したのか? 輸送に便利な立地だったからのほか、いくつか理由があるといわれている。
 その最大の理由はやっぱり味だ。「灘の酒」といえば、良質な日本酒を代表するといわれてきた。その秘訣は酒造に適した水(宮水)が豊富に湧き出ていることだ。六甲山の花崗岩を通り抜けてきた宮水は、酒造りに害となる鉄分が少なく、ミネラル成分が多いため、麹や酵母の栄養分となり酵素の作用を促進。これが味の決め手となっているといわれている。
 そして良質な酒を造り出す技術力もあった。灘五郷は現在、日本の酒造りとして知られる基本的な技術のほとんどを生み出し、広めたといわれている。例えば日本酒を作るうえで最上とされる酒米品種・山田錦も兵庫県から生まれている。豊かな自然環境と人の技が揃ったことから、灘五郷は日本人に愛されるようになったのである。

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日本酒と灘の状況

 だが、そんな一大勢力を誇った灘五郷の経営陣も、日本酒の国内需要低迷への危機感を募らせている。
 「日本酒をめぐる状況」という農林水産省 農産局の資料には、以下の記述がある。

○ 日本酒の国内出荷量は、ピーク時(昭和48年)には170万㎘を超えていたが、他のアルコール飲料との 競合などにより減少傾向で推移。平成30年以降は国内出荷量の減少幅が大きくなり、これまで堅調に推移 していた特定名称酒(吟醸酒、純米酒等)についても減少に転じ、令和2年では42万㎘程度まで減少。
○ 令和2年については、新型コロナウイルス感染症拡大の影響等により、業務用の日本酒を中心に国内出荷 量が対前年比▲10%と減少。特に、酒造好適米を多く使用する特定名称酒は対前年比▲14%と大幅に減少。

 一説には、需要低迷の最大の要因は「若者のアルコール離れ」だといわれている。だが、その実態は若い人ほどシラフを好む、お酒が飲めないわけではないがあえて飲まない選択をするSober Curious (ソバーキュリアス)にあるというのも興味深い。

 ソバーキュリアスの本質はSNSカルチャーにあると私は考える。SNSが発展した現代において、酔って失態をする行為は人生の命取りになりかねない。その結果、もともと悪酔いしやすい人が、自衛もかねて酒を飲まないという選択をするのは正しい選択であろう。
 要因はさまざまで、近年ブームになっている糖質制限ダイエットの影響もあげられる。日本酒を飲むと太る、というイメージがつき、日本酒が好きな人でもハイボールやレモンサワーなどの蒸留酒へシフトした人も多い(私もその一人)。実際、ウィスキーはハイボールブームもあって売上は堅調に伸びている。
 そして灘にとっては「クラフトサケ」の流れも好ましい状況ではない。大手ビールメーカーに対抗する形で生まれたクラフトビールにあやかって、小規模なロットで、多様で個性的なお酒を作ろうという若者が増えてきた。また国内の日本酒好きの間でも、地方の小さな酒蔵が作る日本酒に価値を見出し、ありがたがる風潮がある。これは大手の蔵が集結し、大量の酒造りを長年にわたって進めてきた灘からすると、相反する流れともいえる。
 そして酒を起点としたツーリズムの問題も灘にはある。ワインのワイナリー見学のように、日本酒の業界でも蔵に来てもらい、風土と酒を味わうという流れを作ろうという潮流が生まれている。

 しかしながら灘は阪神・淡路大震災で多大な被害を受けており、歴史的な建物群が崩壊。建て替えられた現在は、巨大な工場のような外観が立ち並び、お世辞にも旅情をそそるともいえない。こうした複数の問題が重なりあって、灘五郷は名門ならではの苦しみを一身に受けているのである。

難航するツーリズム課題と剣菱の気概

 今回、灘五郷を盛り上げたいと企画提案してくれたのは株式会社ARIGATO-CHAN代表取締役社長・坂野 雅さんであった。

 当初、坂野さんが提案してくれたのは灘五郷の酒の本質をめぐるツーリズムであった。山田錦の生産地をめぐり、六甲山の風を感じ、宮水の素晴らしさを知り、酒蔵に向かうという流れである。だが、エリアが点在することから移動時間が長く、景観も旅行者が満足するには至らないという理由から断念することに。なにか打つ手がないかと模索していたところ、打開策となったのが創業1505年、灘を代表する酒蔵・剣菱酒造の見学会だった。

 「忠臣蔵」の赤穂浪士が討ち入りの際に飲んだお酒が剣菱といわれている。
 そんな歴史ある剣菱の社訓は「止まった時計でいろ」。現在代表となった白樫政孝さんが社長に就任した2017年に、昔ながらの製法を守るべく木工所を設立。暖気樽をはじめとする酒造にかかせない道具を制作し、ほかの酒造メーカーにも販売。また奉納する酒樽に巻き付けるわら縄がビニール紐になっていることを問題視し、国内唯一現存する機械を引き取りわら縄も社内で製造。酒造りに必要でありながら失われつつある文化に投資を行い、大手酒造だからこそ実現できる文化継承に注力している様子に感銘を受けた。

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わら縄の酒樽を前に灘五郷の日本酒を語る剣菱酒造株式会社代表・白樫政孝さん

 白樫さんによれば、剣菱は創業以来、PR費用に金をかけるのであれば酒に金をかけろという教えが残っているのだという。
 判官贔屓の好きな日本人である。私たちは大手の酒よりも小さな酒蔵の酒をとかく有難いものとして受け入れているが、大手酒造の取り組みの気合度は並大抵のものではない。このスゴさは酒造見学を一度でも体験すれば、伝わるはず。そこで坂野さんと今一度話し合い、灘五郷を中心としたツーリズムで再検討することを私たちは決めた。

灘五郷酒所

 とはいうものの、先にも書いたが灘一帯はさながら工場地帯のような景観である。また酒蔵はそれぞれ独立した資料館や記念館を持っており、灘五郷全体を体感できるような施設や酒場がなかった。そこで灘の酒をすべて飲むことができ、灘の歴史を体感、勉強しながら、酒蔵訪問に迎える、灘の観光案内所のような場所が必要だとの話になった。
 場所作りとなると、費用は巨額となる。どうするべきか悩んでいたところ、白樫さんが灘のためになればと剣菱の利用してない酒蔵を提供、お店まで準備いただけるという。そこから話が一気に進展。こうして駆け足で「灘五郷酒所」が誕生した。
 巨大な「コ」の字カウンターに、酒蔵をそのまま使用した贅沢な空間だ。
今回の事業では、オープニングイベントを行うことになり、コーチングでは、主にデザイン・PR・イベント運営などを重点的に行った。

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「まずここで灘の酒のことを知ってもらうことができますね」
「酒蔵同士の交流にも使えますね」
「蔵人が結婚した際の二次会にピッタリな場所ですね」

 先日プレス向けの内覧会を実施したが、来場者からさまざまな声があがり、灘五郷の魅力を初めて知ったという人が多かった。
 灘五郷酒所については以下の記事を読んでもらいたい。この場所がどれだけ特異で、力が入った場所か理解できるだろう。

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 「日本酒を知りたい」と思ったら、灘五郷を知ることは避けて通れない。
 そして海外の日本酒好きの人々も、灘五郷が育んだ長い歴史に触れたいと願うはずだ。
 今後灘五郷酒所を出発点に、坂野さんが灘への新しいツーリズムの形を作っていくだろう。コーチした私や関係者一同、楽しみにしている次第である。

文化観光コーチングチーム「AMAMI」

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