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木を食べる未来は必要か?

冬の寒さが終わりを迎え、春の息吹が賑わいをみせている。

木々は生きる力を輝かせながら僕たちに季節の変化をゆっくりと教えてくれている様だ。

人々の生活と自然との繋がりは切っても切れないものだと思っている。ただ、東京にいるとそんな当たり前のことさえも意識しないと忘れてしまいがち。空を見上げることさえも意識しないと感じない。1日の大半はスマホを見つめ、仕事上のコミニュケーションもテキストベース。そんな今の当たり前は、いつから当たり前になり、それによって僕たちはどう変化して来たのか?

利便性の代償に僕たちは大切な何かを少しづつ確実に失っている。そしてそれは自分たちが考えているよりも恐ろしく速いスピードで。日本の今を、これからを意識して生きている人はそう多くない。




僕は料理人として仕事の大半を過ごして来た。『食べる』という行為は原始的で、生きる上で必要不可欠なもの。実家が農家だったこともあり、自然と食の周りのことへの関心は普通の人よりも高い。それでも地方や日本の現状になんて意識を割く余裕はなく、日々を生き抜くので精一杯。多くの人達と同じ様に自分とその周りの人達の事くらいしか考えられなかった。

そんな僕の考えや意識が変わったのはフランスへ行ってから。フランスの人々はみな自分の人生をどう楽しむかを楽しんでいた。彼らは幸せになるために人生を生きていて、今まで仕事だけで生きてきた自分には衝撃だった。もちろん料理自体は好きだけど、それだけで人生が幸せかというと僕はそうじゃない。家族との時間や自分の時間があってこその幸せな人生だからだ。そんな当たり前のことを僕はフランスで再確認した。自分の時間と余裕を持つことで、見えてくるものは沢山ある。ひとつのものに集中する時期は必要だが、ミクロな視点ばかりではだめだ。



色々な気付きを得た僕は日本に帰ってきてから全国各地の生産者を巡る様になった。農業、水産業、醤油や日本酒、オリーブオイルまで様々なものを。忙しい中で時間を作り、普段の自分の生活圏を出る。旅をすることで感じることは本当に多い。生産者の話を聞くことで感じる想いが沢山ある。自分の知らなかった日本の現状や自然環境とその未来。普段生活している世界だけではわからない、日本と世界の今を実感する。

料理で言えば、今当たり前に使えている食材は10年後手に入らないかもしれない。それは環境の変化なのか生産者が減るからなのか、もしくはその両方か。真綿で絞め殺すかの様に、世の中は静かに確実に変わっている。そこに僕たちは気付くべきだと僕は思う。

僕たちに必要なのは短期的な便利さではなく、本当に良いものを良いと思える時間と心の余裕だ。

量と種類が求められる時代は終わった。これからはより本質的なものが価値を持つ。その価値があるものがなくなる前に、守らなくてはいけない。日本の文化と伝統を後世にも。そんな中で僕はサスティナブルとエシカルという文脈に注目している。

続けること、守ること、伝えること。

料理をいつまでも美味しく続けるには作物と生産者を守らないといけない。そのために料理人にできることは沢山あるが、その先には環境問題なども待ち構えている。料理人は料理を作るだけでは料理を続けていけないかもしれない。その先を見据えて、未来のために行動する必要がある。

良い食材を探すことから、守ること、そして創り出すことへ。その道の先には環境への配慮や自然との共存。持続可能な新しい技術の開発も必要になる。自然だけではなくテクノロジーの進化も至上命題だ。どちらか一方ではなく、手と手を取り合い、伝統的な技術をテクノロジーでさらに先へ。


だからこそ僕は木を食べてもらいたい。 

木を食べることは面白おかしくてやるわけじゃない。食べる価値と意義があるからやっている。そこには美味しさを超えた想いがあり、価値があり、未来がある。何気無く生きているだけでは、未来は訪れない。自分たちがこの地球を、環境を守る意識で行動しないといけない。まだ見ぬ自分の息子や孫の世代まで、日本という国が素晴らしい国であるために。

なぜ今木を食べるのか。その想いは以下のリンクから見てもらえます。

僕の料理と製菓の技術が、多くの人に想いを届ける潤滑油になる様に。



本当の意味で自然と共に生きていきたい。




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