こうづかはるみ

30代半ば。現在、無職。前職は適応障害で退職しました。 自分ではアニオタなんだと思って…

こうづかはるみ

30代半ば。現在、無職。前職は適応障害で退職しました。 自分ではアニオタなんだと思っていたけれど、最近はただのサブカル好きなのでは?と疑い始めていたりします。

最近の記事

太陽のたまご

先日、母方の祖母からマンゴーが送られてきた。 昨年に引き続き二度目だ。 宮崎ではどうやらいろんな農家の人たちが困っているみたいで、祖母曰く、いつもは見ないような立派なマンゴーが道の駅に並んでいたらしい。 普段ならどこかに出荷されていたはずものが、行き場を失って、そこにたどり着いたのかもしれない。 箱を開けた瞬間にびっくりするくらい綺麗で、真っ赤なマンゴーが入っていた。 それと同時に甘い匂いも溢れてきてそれだけで幸せになる。 ちなみに去年も今年もマンゴーを切るのを失

    • 適応障害で退職して2ヶ月目になりました

      適応障害で一度退職してから、派遣社員で再就職し、8ヶ月働いた後、またぶり返して退職しました。 先月は頭がぼんやりするのに、noteの更新頻度を上げてみようとしていたのですが、それが辛くなって、しばらくお休みをしていました。 どうしたら現状を乗り越えられるのだろうと四苦八苦していたのですが、noteの更新に対して「やらねばならない」と自分を縛ってしまい、休むことができていないと気がつくことができました。 せっかく通勤しなくていいのだから、自分のためにも、しばらくだらだら生

      • 適応障害で二度目の退職をした

        一昨年の年末、適応障害で半年の休職を経て退職した直後に、世の中が激変して、再就職活動は難航した。 無職期間を積み重ねていくよりも、少しでも働いた方が自分のメンタルにも良さそうだったのもあって、派遣社員として働くことに決めた。 紹介予定派遣ではないけれど、上手くいけば契約社員から正社員になれるらしいということで、希望を持って働き始めたその職場で、私はまた適応障害になった。 毎日、めまい、吐き気、耳鳴りを繰り返しながら出社していたけれど、今年の初めまではまだ大丈夫だと思って

        • 餃子にも派閥があるらしい

          県をまたいだ移動の自粛が求められて、地元の宮崎に帰省できなくなって、一年以上が経過した。 私の出身は宮崎県の木城町という人口5,000人に満たない小さな町だ。 その隣町の高鍋町では餃子に派閥があるらしい。 『餃子の馬渡』と『たかなべギョーザ』、この二つは「マツコの知らない世界」でも取り上げられたことがある。 実家では『餃子の馬渡』を好んで食べていた。 その出会いはおそらく小学校高学年の頃だったと思う。 父が「馬渡の餃子が美味しいらしい」と、どこからか噂を聞いてきて

          宮崎でチキン南蛮が食べたい話

          最後に宮崎の実家に帰ったのは、去年のお正月だった。 それまでの私は少なくとも年に3回は実家に帰っていたし、1回は地元住む両親と弟が上京して来ていた。 こんなに長い間、家族に会えないのは上京して来た10年前、全くお金がなかったとき以来だ。 事態がいつ収まるかが全くわからない今、宮崎に帰ったら何をしようと考えることで、寂しい気持ちを紛らわせている。 その中でも、自分の食への執着がすごいことに気が付いた。 特にチキン南蛮への思い入れは一番かもしれない。 不思議なことに宮

          宮崎でチキン南蛮が食べたい話

          祖父の思い出

          私の祖父は二人とも亡くなっている。 母方の祖父は脳卒中で高校生の時に60代、父方の祖父は老衰で今から3年前の1月に89歳で亡くなった。 父方の祖父は実家の離れに住んでいたので、思い出も多い。 コロナの影響でお盆の帰省を諦めたので、その話をする人もいないんだなあと思って、それをnoteに書くことにした。 釣りが好き祖父は釣りが好きだった。 よく釣りに出かけていたらしいけれど、釣れた魚は必ず逃がしていたこともあって、釣りをしていたことすら知らなかった。 あれは小学校低

          今思えば、適応障害の症状だったのかなあと思うこと

          私は適応障害が原因で、前職を退職したのですが、それを自覚するまで、長い時間がかかってしまいました。 今思えば、その前から体調面でいろいろな兆候があったので、それをまとめたいと思います。 身体的な兆候1.めまい 入社3ヶ月もしないうちに、ベッドから起き上がれないほどの、めまいを感じました。 当時、弟と同居していたのですが、朝、まっすぐ歩けず、壁に激突する姉に、弟がトーストを持ったまま、固まったのは覚えています。 これがはじまりで、その後、何度もひどいめまいに襲われまし

          今思えば、適応障害の症状だったのかなあと思うこと

          死ぬのを選びそうになったときの話

          前職を退職するきっかけが適応障害だったのですが、そう診断される前に、出社できなくなったので、そのときの話を書きたいと思います。 「平気そうな顔して来てるじゃん」こう社長が言っているのが聞こえたのが、出社できなくなったきっかけです。 その社長には業務上、4年間振り回されていました。 そのため、その改善を直属の課長及び、チームリーダーに度々訴えていましたが、「その仕事は貴方にしか出来ない」の一言で片付けられ、解決は見込めませんでした。 ある日、視界が狭くなって頭が働かなく

          死ぬのを選びそうになったときの話

          はじめまして

          noteでの初めての投稿になるので、簡単に自己紹介をしたいと思います。 女性、30代半ば、無職、独身 これだけを書くとなんとなく地雷女な感じがするなあと自分でも思います。なんでこんなことになっているかというと、時系列的には以下になります。 ・前職を適応障害で退職(去年12月) ・退職後、1ヶ月で回復(1月) ・再就職活動の開始(2月) コロナにより、企業の求人活動自体の中止、面接の延期などが度重なって、退職後、半年以上たった現在も無職です。 このことで学んだこと

          はじめまして