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コロナと祭(1)~ 今年の祭は斎籠(いごもり)祭

有斐斎弘道館の講座「日本の祭と神賑(かみにぎわい)」でお話した中からテーマを選んでダイジェストでお届けします。今回は、新型コロナウィルスの流行を受けて企画したオンライン講座「日本の祭と神賑-コロナ禍に立ち現れる祭の力」(全4回)の中から第1回「令和二年の祭のカタチ-今年の祭は斎籠(いごもり)祭」(2020年8月9日)からの抜粋です。令和二年の夏の時点からみた記述としてお読みください。

コロナと祭

講座の概要は以下の通りです。
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長期戦の様相を呈する新型コロナウイルスと人類との戦い。日本文化の最後の砦ともいえる「祭」も大きな影響を受けています。しかしながら、各地の祭は、娯楽的要素の高い「神賑(かみにぎわい)行事」は自粛しつつも、人々の祈りの核となる「神事」は様々な工夫を凝らしつつ斎行するという柔軟性を発揮し、コロナ禍にあっても、氏子・崇敬者、神職の方々は、祭に対して積極的な姿勢をとり続けています。図らずも今年の祭は、例年以上に「祭の本質」が浮かび上がることになりそうです。本講座では、新型コロナウイルスと対峙する各地の祭を見つめながら、未来の日本にとって不可欠な祭の本質に迫ります。
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ここでのポイントは、ほとんどの祭では、祭全体が中止になったのではなく、神職や氏子の代表者ら少数人数で祭の核心にあたる「重要な神事」は行なわれたということです。その限りにおいて、歴史的に見ると、令和二年の祭も中止になったわけではありません。中止・縮小・延期となったのは、祭の中の娯楽的性格の「神賑(かみにぎわい)行事」です。「神賑」は、講座の中でのキーワードとなるので、稿を改めてお話したいと思いますが、ここでは、祭の中で比較的に賑やかな場面、語弊を恐れずに言えば、人々の気持ちがカミ様そっちのけで大盛り上がりの場面を「神賑的局面」と理解しておいてください。

斎籠祭02

担い手の落胆と苦悩

毎年、必ずやってきた祭。それが予想もしない理由で大幅な規模が縮小となり、その本義を問わずにはいられない年になりました。今年(令和二年)は、感染拡大防止の観点から、治療薬やワクチンがない状態での神賑行事の決行は難しそうです。また、寄付集めもままなりません。担い手の中には、収入の減少や失業などで精神的・経済的にまいっているヒトも少なくなりません。

少し長めの斎籠祭

秋以降も、日本各地の祭の多く、特に神賑行事の自粛が予想されます。地元の人々の落胆は察するに余りますが、このような状況下にあっても前向きに検討できることはあります。例えば、祭の意義や歴史、現在の祭の在り方や課題などについて、腰を据えて考えるための絶好の機会と捉えることもできます。神職や年配者が率先して、意義深い祭談義の機会を提供することもできるはずです。祭を楽しみにしている子供たちにも丁寧な説明が必要でしょう。

古来、人々は祭を迎えるにあたって、心を鎮め身を清めました。これを斎籠(いごもり)と言います。今年の祭は、来年の祭に向けての少し長めの「斎籠祭」であると、肯定的に捉えたいと思います。「新しい祭様式」ではなく「いつもの祭」、否、「いつも以上の祭」を取り戻すたけめにできることは何なのか。今年(令和二年)ほど、祭と真剣に向き合わなければならない年はないでしょう。

(了)

<講座・講師について、もっと知りたい方はこちら>
・篠笛 玲月流 ウェブサイト → https://reigetsu-shinobue.jp/
・有斐斎弘道館講座「心で読み解く日本の祭と神賑」について
 → https://kodo-kan.com/
・次回講座、4月18日(日)11:00〜
 日本の祭と神賑「祭」VS「疫病(新型コロナ)」
 申込→ https://kaminigiwai0418.peatix.com/

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