勝っても地獄。能の男が墜ちる「修羅道」
2019年4月開催の「宗一郎 能あそび」のダイジェストコラムです。(構成:沢田眉香子 ヘッダー写真:上杉遥 会場写真:河原司)
テーマは「修羅編〜『男』戦によってあらわになる人間の本性、世の不条理」。能の「五番立」と呼ばれる上演形式「神・男・女・狂・鬼」のうちの二番目「男」は、その多くが「修羅物」つまり、戦いに生きて死んだ、武者の亡霊が主人公の話。男たちは舞台でなにを訴えているのでしょうか?
お話の前に謡「大原御幸」をお聞きいただきます。
2019年4月開催。床の間には端午の節句にちなんで、武者人形が飾られているのにもご注目。
■能の「男」たちは、みんな戦士?
聞き手・濱崎加奈子(以下濱崎):なぜ、男をテーマにしているのに、「大原御幸」なんでしょうか?
「大原御幸」は、女性の語りでしたね。今回、 能の演目の「男(なん)」について、というテーマですが、源氏や平家の武将を主人公としたストーリーが主なんですね。武将以外の男性を主役にしたストーリーもあるのですが、現在、私が属する観世流では「修羅物」を二番目もの、「男」というカテゴリーに入っているんです。
「修羅物」は、主人公が幽霊として出てきて、一方的に「自分はこうだった」と「俺の話を聞け」(笑)と言ってくる。いつの時代の男性もそうですが(笑)。
それに対して、源平合戦の全体のようすを客観的にうたったのが、この女性目線の「大原御幸」だったと思います。
大原御幸は、平家が壇ノ浦で敗れた時に、平清盛の妻である建礼門院が、子供の安徳天皇を抱いて入水。しかし、源氏の武士に助けられてしまった罪悪感で出家。京都の大原で、尼として平家一門の菩提を弔う日々を送っています。
そこへ後白河法皇がやってきまして、「平家最後の様を語ってほしい」と言う。ここで語られるのは六道の地獄です。建礼門院は、その六つを目の当たりにした。それを語るシーンを、謡わせていただきました。
■修羅道=勝っても負けても、地獄の苦しみ
能楽界における 「修羅道」というものは、「平家や源氏、つまり弓矢の世界に生まれた人間は必ず修羅道という地獄に落ちるものという定めに設定されています。戦に勝っても負けても、生きているときに争い戦った人間は修羅道に落ちる。
どんな地獄か。
これも能楽師の解釈ですが、寝ても覚めても、殺しても殺されても、戦うことを続けなければいけない。そんな苦しい地獄です。
そんな苦しみから助けて欲しいから、数々の武将たちはこの世にあらわれて「どうか助けてください」と言う。基本的には「修羅物」は、そのように解説されていますが、「いや、そうじゃないでしょう?!」いうところに今日は突っ込みを入れていきたいと思います。
■亡者たちは、何を求めて能の舞台に現れる?
修羅物とその主人公を列挙しますと、およそ観世流の現行曲として、この曲が定められています。( 配布資料より)
これらの武将が、なぜこの能の舞台に出てくるか? お客さんに見せるためではなくて(笑)、弔われるからなんです。
主人公の舞台上での話し相手は、お坊さんが多いです。たまたまなのか、わけあってそのゆかりの地へ行って、これらの武将のことを弔う。すると、弔ってくれたことに感謝して、武将の幽霊が出てきます。そして自分の生きてきた頃の話「私の武勇伝を聞いてくれ」などと語って、消えてゆく。
これも能の考え方なんですが、「罪障懺悔」(ざいしょうさんげ)。生きていた頃の様子をお坊さまの前で語ることによって成仏できるという考え方がある。だから、語るんです。
■ヒーローたちの「出て来る」事情いろいろ
しかし、主人公が何のために出てきたか? ということなんですけど、それを、それぞれの曲の詞章、型、所作から、最後に何を訴えて念押しして帰っていったか?を類推してゆきました。
「敦盛」
これは成仏のため。
敦盛を手にかけた熊谷次郎直実、のちの蓮生法師(れんせいほうし)が、敦盛を殺めたことの罪悪感から出家するんですね。そして須磨で敦盛を弔っていると、敦盛の幽霊が出てきます。敦盛は生きていた頃の様子を語って、最後に目の前の仇である蓮生法師に襲い掛かろうとするんですが「私のことを弔ってくれるなら許しましょう」と、合掌して終わるんです。
という話の筋から、「敦盛は成仏のために現れた」とわかる。
そういう感じで考えてゆくと、敦盛も「碇潜(いかりかずき)」の平知盛も、「箙(えびら)」も「兼平(かねひら)」今井兼平も、成仏のために出てきたと類推できる。
「清経」
出てきた理由は、「妻への言い訳」(笑)。
ここには、成仏させてくれるお坊さんが出てこないんです。
清経が九州の方で、入水して亡くなります。その前に自分の髪を切って、粟津三郎という家来に託して「これを京都で待っている妻のところへ届けてくれ」と言うわけですね。
それを持ってゆくと、奥さんは「今日は何のために来たんですか? もしかして戦死したんですか?」。家来の粟津三郎は「いえ、実は、自殺されました」と言うと、「それは武将として一番ダメでしょう。こんなもの、受け取れません。帰って」と、奥さんから怒られるんです。
その夜、奥さんの夢枕に清経が出てきて「ちょっと聞いて。僕にも理由があった。どうしても、もうこの世では生きられないから、身を投げたんや」。
そういう夫婦間の争いがあるんですね。清経は「弔ってくれ」とは言いますが、奥さんはあくまでもお坊さんじゃないので、成仏はできたのかな?
でも、自分の中で「ちゃんと奥さんに言ったから」と納得して消えていくのか?
「実盛」「頼政」
数ある武将の中でも実盛と頼政は老体です。ふたりの共通点は、意外と恥ずかしがり屋なこと。
日本の武将たちは、「やあやあ、我こそは」と名乗りをあげて、お互い自己紹介をしてから戦う風習がありますね。しかし、この実盛も頼政も、話し相手のお坊さんの方が先に「実盛やろ?」「頼政やろ」って、幽霊にたいしてツッコミを入れる。すると「黙れ黙れ、まだ言うな。黙ってお経を唱えておいたらいい」と。そして、自分で後から「私が頼政です」と名乗る。
この辺で、僕はちょっとツッコミを入れたくなる気分になるんですけど(笑)。やっぱり武将としては、死んでも名乗りを上げて出てきたい。「わかっていても、言わんといてくれ。まず私から名乗ります」と言いたいものでしょうか。
「俊成忠度」「忠度」
平忠度、この人の出てきた理由が「歌の望みを叶えるため」。
「千載和歌集」という勅撰和歌集に、「行き暮れて 木の下陰を宿とせば 花やこよひの 主ならまし」という平忠度の和歌を選んでくれはったけども、しかし「詠み人知らず」と書かれてしまった。ちゃんと平忠度、と書いて欲しい。この無念を晴らすために現れてくるんですね。自分の歌への執心から出て来る。
「田村」
主人公は、坂上田村麻呂。この人だけ、ちょっと時代が違うんですね。源平合戦よりも随分前の話でして、しかもおめでたい「祝言能(しゅうげんのう)」とされます。
唯一、修羅物の能の中で、太刀をはいて出てきはしますが、抜かないんです。途中「矢を放つ」みたいな型はしますけども、刀は抜きません。清水寺の千手観音様のご加護があって、鈴鹿山脈の逆賊を退治することができました。めでたい、めでたい、と終わるんですね。
ですから「祝言能(しゅうげんのう)」。修羅物には属しているんですが、微妙な位置づけの曲なんです。刀を抜かないところからも「めでたさ」みたいなものが、うかがえる。
■「救ってくれ」と言う男、言わない男
「経正(つねまさ)」
濱崎:これ、ギリギリまで議論したんですけど、最後まで埋まらなかった。これは、皆さんに考えてもらうことで。一言で書けない。お話を紹介していただけますか?
経正が亡くなったあとの話です。京都の御室仁和寺というお寺で、お坊さんが経正のことを弔っています。生前、経正という人は琵琶を愛した武将だったので「管弦講」という音楽法要をもって、経正のことを弔おう、ということなんですね。夜だったのでしょうね。
お堂にろうそくの灯火が灯されている。その灯火の影に誰かが見え隠れする。「あなたは誰?」って言ったら、「あなたが弔ってくれた経正です」というわけなんですね。そして、「琵琶をたむけてくれたこと、ありがとう」と。そして、自分が宮中に仕えて琵琶を弾いたり帝の寵愛を受けていたり、と、そんな事を語るんです。
ひととき修羅道の苦しみから免れて現世に帰って来るんですが、必ず「修羅の時」、つまり修羅道の責めが「戻ってこい」とやってくるんですね。そこで取り乱してしまって、灯火に自分の姿があらわになるのも恥ずかしい、とパニックを起こしてしまって、最後はその灯火を吹き消して、また暗闇へと消えて行きました。
弔ってくれるから出てくるんですけども、一人で「わーっ」となって、消えてゆく(笑)。修羅物の主人公はみんな最後に合掌して「私のことを弔ってください」とか言うんですけども、他にこういうパターンはないですね。
「屋島」
これも、主人公が自己完結して帰ってゆくパターンです。
例の如く、お坊さんに弔ってもらって、義経が出てきます。
何を語るかといったら、自分が平家を滅ぼした総大将としての活躍ぶりを、自分で自ら語る。
そして「弓流し」と言いまして、自分が持っていた弓を馬上から間違って落としてしまった。弓が波に揺られて平家の船の方に流れていく。「これはまずい」ということで、命をかけて義経は弓を取り返した、という話があるんですね。
なぜ命を賭けて取り返したか? 小弓だったんです。
義経は小兵です。とても小柄で非力だったんですね。だから、そういう奇抜な作戦を持って平家をやっつける以外、手はなかった。弓も他の武将が持っているような大弓でない。義経仕様ですから、多分すごく派手だったんでしょうね。敵が拾ったら「これ義経のでしょ。えらい小っちゃいな(笑)」と、小兵なのがバレてしまう。「これはまずい」と、命をかけて取り返した。
武将というのは末代まで名前を残すことを目的として、命を賭けて戦うんですね。だから清経の奥さんは自殺したことに対して腹を立てた。
武士は名前のために命を張るというわけです。
義経は、語るだけ語って消えていくんです。そして「また戦うぞ」と修羅の世界に再び戻ってゆく。
■女武者の物語が「男」?
「巴(ともえ)」
巴御前。これもまた非常に特殊です。
カテゴリーは「男」なのに、主人公は女性です。
この巴を「男」に入れるのは、どうなんかな?と。刃物を持って出てくるから、無理矢理に修羅物に当てはめているだけであって、本当は、女性が主人公の「女物」「かづらもの」でいいんじゃないのかな?と思うんですよね。
巴は、木曽義仲と自身の成仏のために出てきます。
自分と主従の関係である義仲、または恋人同士としての義仲、男としての義仲。まずは義仲のことを、「どうか弔ってください」とお坊さんに願って出てくるんですね。最後の最後に「私のこの執心の事を、どうかお救いください」と、自分の事を言う。
女性ですから多分、巴は修羅道に落ちないと思うんですよ。能で女性は、成仏できないという考えがあるので、多分、男性以上に苦しい思いをしているんじゃないかとおもいます。
「朝長」
「朝長(ともなが)」、これがね、また変わった能なんですね。
源朝長って、じゃあ誰?ということですが、源義朝(よしとも)の息子。頼朝、義経と兄弟です。義経が九男坊だから、九郎判官義経。
朝長が、青墓(おおはか)の宿というところに、命からがら逃げこんで来るわけですね。で、青墓の宿の女主人に助けを求めてやってきます。しかし朝長は、この先、雑兵の手にかかるかわからない。雑魚兵士にやられてしまうぐらいだったら、と、この青墓宿で最後を迎えてしまうのです。
それゆえに、朝長の魂を、青墓の宿の女主人は弔うわけなんですね。
でそこへ、たまたま旅の坊さんもやってきて、「いや実は私もその朝長の身内に仕えた者なんです」と言う。「じゃあ共に弔いましょう」ということで、後半、女主人が一度退場したあと、シテは朝長の霊として出てくるんですね。
唯一前半と後半で人格が変わる能なんです。
「頼政」
老武者ですが、この人も弔われたことによって、出てきました。そして、宇治の合戦の様子を語ります。最後は「私のことを弔ってくれ」と言って、消えていく。
ですから、修羅道に落ちてはいるんですけども「修羅道の苦しみから助けてくれ」とは言わないですね。
本当にこれは成仏を願っているのか?
ために生まれてきた男たちというのは、義経のように寝ても覚めても生きても死んでも戦い続けるような人も中には居るし、経正みたいに、できたらずっと琵琶を弾いていたい、という人もいたりするのかな?と。
今日は能装束を持ってきておりまして、皆さんにご覧いただきたいなと思っています。
当日、参加者に出された特製の菓子。
※この講座のノーカット映像は、オンライン講座で配信予定です
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?