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その4:満壽屋(ますや)の原稿用紙と玉利先生作の竹刀

 東京理科大学在職中のこと。教授から「原稿用紙(400字詰)5枚を毎日書くと面白いよ」と言われた。いいことを聞いたと、その気になって65歳の定年退職まで41年間書き続けた。ただ、最後の5年間は職務が忙しく少し怠けてしまって悔いが残る。

 行きは中野始発で秋葉原→上野→(常磐線下りで)柏、さらに東武野田線に乗り換えて運河という3回乗り換えたが、すべて下りだったので必ず座れた。帰りも車内はガラガラで往復4時間は私の時間だった。

鞄の上に原稿用紙を置いて校名入りのボールペン書き。紙は普通の原稿用紙で、思い浮かんだことをミミズが這ったような文字で書きなぐり、帰宅してから清書して翌朝教授に提出した。だから用紙は二倍必要だった。そのうち三日坊主ではないということで、体育科専用の原稿用紙を作ろうということになり印刷業者に注文してくれた。慣れて書きやすかったので、定年まで同じものを注文して使った。専任教員が5人いたが半分以上は私が使ったと思う。

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 定年退職後5年が過ぎ、頂いてきた原稿用紙が底を突いた。そこで古流の形を一緒に稽古している仲澤武司先生に探して頂いた。仲澤先生はアニメーション関係の用紙を扱う会社を営んでいるので紙には詳しかった。一週間ほどで調達して頂いたが、浅草の原稿用紙の老舗「満壽屋の原稿用紙」だと言う。もっと驚いたことは、その原稿用紙は多くの著名な小説家が愛用したものだった。丹羽文雄やノーベル賞を受賞した文豪川端康成である。

 原稿用紙を前に文字を書く真似をしてみたが、恐れ多くてしばらく筆が進まない。原稿は書きたいのだが肩に力が入っている。内容も浮かんでこない。2・3日考えて最初の一行を書いたらスーッと力が抜けた。しかし、一字一句言葉を選びながら書いているので筆はますます遅くなった。映画やテレビで小説家が、内容に満足せず丸めてポイッなんて場面があるが、そんなことは絶対できない。

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 そういうことを考えているうち、かなり昔のことを思い出した。初めて京都大会に参加した43年も前のことだ。26歳で六段に合格し、早速翌年の5月京都大会の申し込みをした。立合いの相手は背が高く筋骨隆々。緊張の連続で何をしたかまったく覚えていない。終わってから京都在住の先輩から、「相手は京都府警の選手で主将格だぞ、よく頑張ったなあ」と言われ、下腹の力が抜けた。

 初めての経験が終わり帰宅してから1-2週間後、玉利嘉章範士がお手製の竹刀一本を抱えて父を訪ねて来られた。玄関でお迎えした私に、「この竹刀は博さんに持ってきた」と手渡して下さった。

 玉利先生お手製の竹刀は、すでに全国的に有名になっていた。すらりとした刀身で部品すべてが手作り、柄は独特で長めだった。玉利先生と父は日本酒を飲みながら京都大会の話で盛り上がった。酒が弱い父は、「私の代わりに酒を飲みなさい」と傍に呼んだ。玉利先生は飲みながら、私に竹刀を作って下さった理由をおっしゃった。

 「この間の京都の立合いは良かったよ。この竹刀は御褒美だ。この竹刀を使って稽古しなさいよ」。私は思わず答えた。

 「この竹刀はもったいなくて使えません。記念に飾っておきます」。

しかし、先生は次のように説明して下さった。

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 「良い竹刀を使えば無駄打ちをしなくなる。安物の竹刀だと壊れたらまた買えばいいということで稽古が雑になる。そういう稽古を長年続けていると、剣道も雑になってしまう。だから、良い竹刀を使っている人とそうでない人では自ずと剣道や剣風に差が出てくる。壊れたらまた作ってあげるからこの竹刀を使いなさい」。

剣道で本物を目指すなら道具も本物を使え、ということを27歳の時に学んだ。

令和2年(2020)8月27日
於松籟庵

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