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心優しき糸紡ぎの妖精に見守られて

 人と人とが離されて、疑ったり対立したり…。こんな時はどうやって人との信頼関係を築いていったらよいのでしょうか。運命を司る糸紡ぎの守護妖精の姿にその秘訣を探ります。

版画工房フェンリル通信 第99回 2020年 立夏号

(カッコウの鳴く朝)

 今年もカッコウがやって来ました。ここ数年来、我が家周辺では、ほぼ規則正しく5月12日前後に鳴き始めます。カッコウの声に伴って、周囲は新緑の淡い緑から鮮やかな濃い緑へと一変し、すっかり初夏の光で溢れるのです。空の青さを背景に、木々の緑、そしてツツジの赤やタンポポの黄色い反射など、それぞれの色があまりにもくっきりとした輪郭を形作って、どこか嘘みたいな眩しさに思わず我を忘れてしまいます。そこへカッコウの声が響き渡るのです。西洋ではカッコウの最初の鳴き声で将来を占うそうで、自分の寿命をカッコウの初音の回数によって知るのです。ちなみに私が今朝聴いたカッコウの初声は、かなり短いものでしたが…。さらにドイツでは、朝食前にカッコウの鳴き声を聴くと、それは死神からの使いだとされているそうです。まさに毎年、私は朝食前の早朝にカッコウの初音を聴いております。

 まあ、それはともかく、他の鳥の巣に卵を産んで育てさせるカッコウには、どこか得体の知れないところがあるようです。西洋でも特にドイツの民間信仰において、カッコウは悪魔と同一視されており、鳥というよりは妖怪に近い存在として考えられてきたようです。確かに、私が庭で作業をしている時など、「ナンカコウ、モウヤンナッチャウンダヨ、フントニモウ…」という声が空から聴こえてくるので、何事かと思って見上げれば、なんとカッコウが不満ありげな声でぶつぶつ鳴きながら飛んでいるのです。そういった様子を見ると、カッコウが何か企んでいるかに思われてしまうのも仕方ないような気がするのです。

(糸紡ぎの守護妖精)

 妖精もまた、カッコウのように人間の運命を暗示する存在です。妖精の“Fairy”の語は、ラテン語で運命を意味する“Fata”から派生したと云われています。ですから、もともと妖精というのは人間の運命と関わりを持つ存在とも云えるでしょう。イングランドとスコットランドの国境地方には、「ハベトロット」という糸紡ぎの守護妖精の伝承が残っていますが、この妖精なども人間に良い運が向くようにしてくれると云います。ハベトロットは唇が変形した醜い老女ですが、人間にとても優しい妖精です。塚の大石の下に姉妹たちと共に住んでおり、姉妹はハベトロットよりもさらに醜く、鉤鼻や出目であったりするそうです。そんなハベトロットの織った衣装を着れば、どんな病気にもならないと云われています。さて、そんなハベトロットには次のようなお話があります。

ハベトロットnote

「ハベトロット」 2020年 木版画 ©Jiro Ota


 昔スコットランドに、陽気だけれど怠け者の娘がいました。ある日、娘は母親に糸紡ぎを言い付けられましたが、仕事をせずに野原を歩き回っていました。するとハベトロットと出遭い、妖精は娘の代わりに糸を紡いでくれたのです。娘がその紡いだ糸を持って帰ると、母親はその出来栄えに驚き近所に自慢しました。それを知った領主が娘に一目惚れを して、やがて二人は結婚しました。そんなある時、領主は自分のために綺麗な糸で衣服を作って欲しいと娘に頼みました。困った娘は、領主をハベトロットに会わせることにしました。ハベトロットの醜い唇を見た領主は、その理由を尋ねます。すると妖精は、「糸を舐めるからこんな唇になったんだよ」と答えたのです。以来ずっと、領主は娘に糸紡ぎをさせなかったということです。

(運命の糸)

 何だか怠け者の娘は怠け者のままでもいいのだという、このハベトロットのお話の大らかさ。たいていは怠け者の娘が働き者になったとか、妖精に糸紡ぎをしてもらっていたことが暴露して酷い目に遭うとか、そんな展開になりそうなものですが。変に教訓めいていないところが、この伝承の良さでもあります。それだけハベトロットという妖精は、人間に対する善意に溢れているということなのでしょう。さて、ハベトロットの織った衣装を着れば病にならないと云いますが、そんな祝福された衣を織る善意ある存在といえば、やはり“鶴の恩返し”の鶴のことが思い浮かぶのです。この鶴の化身もひたすらに機を織ることで、人間に良い運をもたらしてくれます。どうやら糸紡ぎや機織りのように、糸というものは人間の運命に関わるものとされているようです。例えばギリシア神話には、クロート、ラケシス、アトロポスという三姉妹の運命の女神がいます。人間の運命の糸を紡ぐのがクロート、運命の糸の長さを測るのがラケシス、運命の糸を切るのがアトロポスと、やはり運命は糸として表現されているのです。

(運命との戦い)

  物事が思うように進まないと、まるで運命が自分に敵対しているかのような気持ちになることがあります。もし運命が悪意を持って我々に立ち向かって来る相手だとしたら、人間は常に運命と戦わなくてはいけないことでしょう。そして少しでも油断をすれば、いつの間にか運命に寝首を掻かれてしまうのです。今という時代はもしかすると、このような意識の方に近いのかもしれません。何か悪い事が起こったり、物事に失敗した時など、我々というのはどちらかと云えば、運命を嘆いたり呪ったりする心の働きが起こるのではないでしょうか。そのことは、運命というものが悪意を持って迫ってくるものだと、我々が心のどこかで感じていることを表しているようにも思えるのです。

 けれどもし、ハベトロットのような大らかな存在が運命を司っているのだとしたら。前述の物語に登場する娘のように、どんなに我々が怠け者であろうが、どうしようもない性格であろうが、運命は決して我々を裁くことなく手放しで受け入れてくれるのです。もしそうならば、物事が思うように行かなくても、それは決して運命が悪さをしてくるからではないのです。なぜなら運命はいつだって我々に対して善意でいっぱいなのですから。それでも物事がうまく進まないのであれば、それは自分自身に問題があるからだと考えることができるのです。すると、そこから大きな希望が開かれるのではないでしょうか。自分の自由意思で物事を変えていくことができるという希望が。

(自分自身の中の悪)


 どうやら運命が悪意を持っていると見れば、悪い事は運命のせいにできますが、運命が善意に溢れていると見れば、悪い事を運命のせいにはできず、自分自身に帰することとなるのです。この見方をもう少し進めてみると、運命が善意に溢れ、我々に敵対してくるのでないのなら、悪というものが自分の外にあるのではないということです。現在、世の中では感染症の問題が起きていますが、誰か外の人間が病を持って来るといった恐怖が、人々の間で強く蔓延しているのを感じます。そこには、悪いものが常に自分以外のどこか他からやって来るという見方が根底にあるようです。

 けれど悪というものが外からやって来るものではなく、自分自身の中にこそあるのだと考えたなら、ずいぶんとものの見え方が変わることでしょう。自分の外に悪を見ないという意識を持つためには、よほど運命に対する信頼がなければとうてい不可能なことですから、それは中々に困難な意識の有り方だと思われます。けれどまずは手始めに、我々の運命を司っているのは優しいハベトロットかもしれないと想像することで、悪を外に作り出す意識を越えるきっかけができるかもしれません。そこからようやく、人と人との信頼関係を築くための一歩が踏み出せるのだと思うのです。


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