【第二期 欲求を開発しよう!】Part 5.5 欲求について書いていく前に…

2020.04.12

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【第二期 欲求を開発しよう!】
Part 5 僕には欲が、ないらしい

5.5-1. ここからしばらくのnoteの方針

ここからしばらくは、文字ベースで欲求関係のことを書いていきます。

ある程度書いたら、前と同じようにコラムとして絵付きでまとめてみようかと思います。

(僕の考えをまとめる上でも、一度文字として書き起こしたいわけです。)

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5.5-2. 母性的愛情と父性的愛情について振り返っとく


酵母マンの定義としては、

愛情 = 相手をポジティブに変える力

と考えています。


さらに、愛情は大きく分けると
・母性的愛情
・父性的愛情
があるわけです。

愛着障害克服の目標である、「無条件の愛情」は、純粋な母性的愛情です。

これは、端的に言えば「そのままでいることを受け入れる愛情」

ノート療法とか親の追体験を経ることで、
自分の背後に存在する、過去の系統が自分を愛しているのか!
と実感することで、無条件の愛情の獲得は終了です。

こちらに色々書いてあります。
5-2 破編 「生きるとは?」


この母性的愛情の働きは、
ネガティブに傾かないための愛情」ともいえます。

・赤ん坊への母性的愛情は、
「欲求が抑圧されることを防ぐ」
・他者への母性的愛情は、
「相手を尊重し、なるべくそのまま受け入れる」
・自分自身への母性的愛情は、
「身体的には、心身とも健康な状態を保つ」
「思考的には、見栄とか偽りをなくして、自分という存在を受け入れる」


でも…ずーっと母性的愛情だけを与え続けても
「そのままでいい」わけだから、
未来に向かって変化することはできない!
わけです。

ここから登場するのは、
「そのままから変わる力」= 父性的愛情
です。

ここに、欲求が絡んでくるわけですな。

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5.5-3. 愛着障害克服のゴールとは?


酵母マンとしては…
愛着障害の克服って、「すべてが万事うまくいくようになる」という夢のような話ではなくて、
あくまでも
・感情の蘇生
・過去からの無条件の愛情の獲得

で終了なんですよ(さんざん書いてるけど)。


考えたらわかるけど…
安定型の愛着の人だって、色々苦労してるわけじゃない?
コミュケーションは大変だと思ってるし、
どうやったら自分の価値を獲得できるか、
ってことを悩んで日々頑張ってるんだから。

愛着障害を克服したら、こうゆう問題が全部解決する、ってのは

ただの誇大妄想。

そうじゃなくて、
普通の人達が悩み続けている「自分の未来」について考えること。
そのスタート地点にやっと立つことができたんだ!

無条件の愛情について実感できたときに感じる全能感、幸福感は、
あくまで一時的なもの。

ここからは、かなり泥臭い作業が始まっていきます。

それが「生きる」ということだ、と思う。

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5.5-4. 自分の中の二重生活


母性的愛情の獲得方法は、さんざん述べてきました。
過去の系統から『愛される』」方法です。

ここからは、「未来の系統を『愛する』」側に回るわけです。

でも、未来を愛するって…よくわからん。
これは、後から振り返ったときに、
「あぁ、愛されてたな」
と実感できるもので、
「未来へ!未来へ!」とだけ意識しても実行しづらい。


ところで…

ノート療法を経て、無条件の愛情を獲得すると、
自分の中に2つの人格が存在することがはっきりします。

それは…
・実年齢の、大人としての外見を持った「理性側の自分」
・蘇生したばかりで子供のように幼い「感情側の自分」

こいつらが同居している、と考えるわけです。

愛着障害罹患状態では、理性が暴走して毒親化していた。
克服することで、感情が理性を従えることができるように、立場が逆転したわけです。


克服したばかりの状態は、ここが不安定なんだと思う。

・感情が理性を従えるのか = わがままに生きるのか?
・理性が感情を再び従えてしまうのか
 = 自己否定モードに戻るのか?

ここで再び逆転が起きてしまう原因としては、
・感情側の力が弱い
・理性側の力が強い
の2つが考えられます。

この、感情側の力を強くしよう!というのが、
第二期の欲求開発の目標です。
(蘇生したばかりだから、弱いのは仕方ない)


では、理性側が強くなってしまうのはなぜか?
それは、第三期でテーマになってくる『価値』だと思う。

大人になると、自分の食い扶持を自分で稼ぐ "必要がある"。
そのためには、働かなければ "いけない"。
だから、自分が価値ある存在で "なくてはならない" し、
そのための行動が "要求される"。

こうゆう、
〇〇しなければ
〇〇でなければ
という思考に占領されること。
この状態が「理性側が強くなった状態」。
この強くなって暴走した理性が、
再び自己否定を始めたり(理性→感情の攻撃)、
自分の無価値感を発生させる(理性による価値判断)。

克服メカニズム Figure 2

えーと…
感情側を強くする段階に入るまでは、
しばらくは、こうゆう状態が続くつもりのかも。


この状態から抜け出すための思考法
思考のスタンス:
① 思考している自分自身が「理性側」なのだ、と自覚する。
② 感情側をコントロールすることはできない。
③ 理性側が「親」であり、蘇生した感情が「赤ちゃん」と捉える。

思考の方向性
④ 実年齢の自分を尊重すれば、「他者・社会」発信の要求が強くなる。
⑤ これは、「他者・社会→理性」に対する「すべき」思考になる。
⑥ 蘇生した感情を尊重すれば、「感情」発信の欲求・願望が強くなる。
⑥ これは、「感情→理性」に対する「したい」思考になる。

理性(というか、自分)に求められる振る舞い
⑦ 「すべき思考」に基づく「要求」と、
 「したい思考」に基づく「欲求」の両方を満たす。
平たく言うと…
⑧ 実年齢の大人として、辛くても社会の中で頑張ること
(社会の中での「親」)
と、
⑨ 自分の中の感情さんをしっかり育てること
(家庭の中での「親」)
この両方を満たしていくわけです。


だから、泥臭い作業が始まるんだってば。

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5.5-5. 「価値」の概念

この記事の終わりに、「価値」と「コミュケーション」の概念を改めて振り返っておく。

生きてるだけで価値がある、命の価値、みたいな話があったりしますが。

酵母マン的には、「あらゆるものの基本は無価値
と考えたほうが健康的だと思うのです。

だって、考えてみたらおかしいじゃん?
生きてるだけで価値があるって、具体的にどうゆうこと?
・生きてるだけでお金がもらえるの?
・生きてるだけで評価されるの?

自分の行動を振り返ってみたらわかるけど。
町中ですれちがう人々一人一人に対して、
「価値がある!」「素晴らしい!」って感じてお金配りますか?
ってことよ。

価値ってのは、全体を合わせるとプラスマイナスでゼロになるもの。
ヒトに限らず、動物・無生物まで含めて、あらゆる関係性の間で初めて生じるもの。
お金が集まる状態・注がれる状態が、「価値がある」ということ。

端的にいえば、「横並びの比較」が価値

自己価値観ってのは、
横並びで比較したときに「プラス側だ!」と感じること

それに対して。

自分が生きているということは、そういった相対的な関係性とは全く違ったところに根拠がある。
つまり、「時間的な連続性」が生きている根拠

過去があって現在があり。
現在があって未来がある。

先祖がいたから自分があり。
自分がいたから子孫がある。

こういった、過去を振り返ったときに芽生える感情が、
尊い・尊ぶ(たっとぶ)
というもの。
目上の人とか、偉業を成し遂げた人に感じる感情ってのは、
その背後にある過去の営みとか業績への理解があって初めて生じる。
それが、尊敬

あるいは。
一人ひとりの人生とか、過去の経験・生き様。
そうゆうものを理解して、
「現在という紙しばい一枚」で考えるのではなく、
「過去という時間の厚みを持った存在」として考える。
それが、尊重

respect」という単語がある。
尊敬」という言葉です。
これが形容詞の形になると…
respective = それぞれ」となる。
昔は、なぜこんなに意味が変わるんだ?と思ってたけど。
ひとまとめにせず、一つひとつを尊重する。
それが、それぞれ、なんだと考えるとすごく理解できる。

そして…
自分自身、過去の系統を振り返り、理解することで感じる感覚。
それが、「自尊心」。
過去を振り返ったり、ノート療法を通じて「無条件の愛情」を獲得したときに感じる感覚。
横並びの比較で「愛された!」と感じるものとは違う、
時間的な厚みを持って「愛された!」と感じる感覚。

こいつが、「自尊心」なのだ。
そうすると、
自尊心 = 過去に対する自己肯定感
と言い換えることもできる。


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5.5-6. 「コミュケーション」の概念


コミュケーションってのは、自尊心が確立されることで初めて始まるものではないのか?

しかも、
コミュケーションってのはあくまで「手段」だ。
何の手段かといえば、
自分が進みたい方向(目的)に向かうための手段。

自分が進みたい方向がわからないから、
「どうやって」コミュケーションしたらいいかがわからない。

向かいたい方向がはっきりするからこそ、
「どうやったらいいか?」という方法論に話が進む。


コミュケーションというものを、
「誰でもできる簡単なこと」
と見誤るから、できないことに劣等感とか卑下したものを感じてしまう。

そうじゃなくて、
コミュケーションってのは、
絶え間ない試行錯誤の後に獲得できる「努力の賜物」
と考えられないだろうか?

こう考えたら、
愛着障害の克服=コミュケーションの万能化

じゃないこともわかるし。

愛着障害の克服
=コミュケーション能力上達のスタート地点。

だってこともわかる。

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6-7. だからこそ、「欲求」が課題なの!


だから、今やるべきことは、(←すべきになってる笑)

感情さん(欲求)をどうやって愛するか?

愛情 = ポジティブに変化させること、だから…

欲求をどうやって変化させるか?

なのだ!

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Part 6-1 繰り返す欲求・達成される欲求

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