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悲しくないのに感情が抑えられずに泣いてしまうのは何故なのか

私は子供の頃からよく泣いていた

悲しくて泣くというよりも自分の気持ちをうまく言語化できなくて溢れた感情が涙になるような
自分でもどうして泣いているのかわからない、そんな時に「何が悲しくて泣いてるの!?」なんてキツめに言われた時には更にパニックになって大号泣
落ち着いて泣き止み始めてた時に優しく声をかけられたりした時には感情がフラッシュバックしてまた大号泣なんてこともある

説明がつかない感情の波に襲われることについて全く共感できない人からすれば「すぐ泣く奴はめんどくさい」「泣けば済むと思ってる」なんて言われたこともあるが、こっちだって泣きたくて泣いてるんじゃないわい!とさらに感情が高ぶるので涙が止まらなくなる

かといって優しい言葉をかけられると恥ずかしいやら情けないやら思いやりが嬉しいやら申し訳ないやら色んな感情でごちゃ混ぜになってさらに泣く

最近になってようやくこの現象について自分なりの答えが見えてきたので少しまとめたいと思う


大人になれば治るものでもない

「よく泣く子だった」と過去形では無いのは頻度は減れど社会人になってからも泣いていたからだ

職場で理不尽な目に遭い心ない言葉を投げかけられた時、まずは怒りが先にくる

「どうしてこんなことを言われないといけないのか!」

泣くのはかっこ悪い、恥ずかしい、キャラクターじゃない
「いつもサバサバしていて強気で仕事ができる」
そんなイメージを壊さないためにも怒りの感情でごまかしていた

大抵の人はこんな目にあってもへこたれない強い奴だと騙されてくれたが
世の中には人の気持ちを汲み取るのがとても上手な人たちがいるわけで

「頑張ったね、辛かったね」
「こう言われて悔しいよね」
「あなたは悪くないよ、いつも頑張ってるの知ってるよ」

なんて優しい言葉をかけられると怒りで誤魔化していた気持ちが決壊する
結果大号泣である

自分でも気づかないふりをしていた感情を掬い上げて肯定までしてくれる優しさだったり
そうか、私はこう感じていたのかと改めて気づかされたり号泣しながらも心は淡々と感情の整理をしていた

感情をため込むのは良くないが、都度爆発させているようでは自分自身の消耗も激しい
他人との関係構築もうまくいくはずもなく
仕事面はある程度コントロールが効くがこれが恋愛になると失敗もたくさんしてきた

我慢して溜め込んで溜め込んで爆発させる

正直たまったもんじゃないだろう

自分はこういう性格だしと思って生きてきたが、自己啓発本にハマって読みあさっていた時期があった

自分の感情を理解すること

読んだ1冊の中に「感情は生物だから腐らせないように溜め込まずに小出しにする」ということが書いてあった

自分はどう感じてどんな気持ちになったか考えて相手に伝えるように意識してみると自己理解が深まった気がした

最近の話を例にすると、仕事帰りの電車が遅延していていつ動き出すかわからないことがあった
しかたなく別の手段で帰宅した時にパートナーに「電車が止まってて大変だった」という内容の連絡をした時
「それはついてなかったね」と返事がきた

いたって普通の返信だし、なんの悪意もないはずなのに私の心はグサグサした

そのあともグサグサした気持ちが晴れなくて
「運がないねとかついてないねって言われると傷つくから言わないで」と伝えた
我ながらめんどくさい奴だが幸いにもパートナーは優しいので「今後は気をつけるね、これからも気になることがあったら言ってね」とめんどくさがらずに私の気持ちを大切にしてくれる。

相手は悪気はなくても自分の気持ちがモヤッとした時はすぐに伝えていくことで今のパートナーに感情を爆発させたことは一度もない
きっと相手の懐の大きさもあるだろうけど

心がモヤモヤすることは減ったがどうしてこう感じたのか、本当はどうして欲しかったのかを考えてみた

先程の例から見ると
「運がないね」「ついてないね」という言葉はNGだったが、「大変だったね」という言葉なら全くモヤモヤすることはなかったと思う

なぜなのかもう少し深掘りしてみる

電車の遅延という自分が原因でないことに対して「運がない」「ついてない」というワードはまるで自分の責任のように感じたからだと気づいた
もちろん相手に私を非難する気持ちが全くないのはわかっている
わかってはいても、ついてない→運が悪い自分が悪いという変換をしてしまい気持ちがグサグサしてしまったんだという結論にいたった

そこから過去を振り返ってみると、理不尽な目にあったり自分が原因でないことで酷く傷つくことが多かったように思う
その時に共感や労いの言葉をかけられるとうまく感情を消化できるが、逆に否定されたりすることが私は嫌なんだということに気づいた

我ながら非常にめんどくさい奴だ
常に肯定されて生きていたいのだ

少しだけ生きやすくなったきがする

世の中にはわざと傷つけるようなことを言ってくる人もいる
そういう人とは離れるのが一番だ

もしもどうしても関わらないといけないとすれば、自分はこう言われてどう感じたのかを整理して訳の分からない感情をなるべく明確にする
もしも話を聞いてくれる人がいれば聞いてもらったり、いなければSNSを使って言語化することでしっかり消化させて溜め込まないようにする

大切な人の意図しない言葉で自分が勝手に傷ついた時は相手に伝える
もちろん感情的にならずに、その言動に対してどう感じたか、どうして欲しかったかを自分の中で明確にしてからだけど

こうして思考することで自分の感情に振り回されることはかなり減ったし人間関係もわりとうまくいっている

ただ本質的な性格が変わったわけではないので私はこれからも些細な言葉に傷ついていくだろう

だけどまずは自分自身の感情を噛み砕いて認めること、労うこと、それからどうすれば気持ちが落ち着くのか理解して
それから相手に伝えるなり、第三者に聞いてもらうなり、自己完結するなり解決方法を選択していきたいと思う

おわり

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