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気づけば一年経ちました

お彼岸に時間が取れず、行けなかったお墓参りに行ってきました。

気がつけばnoteを始めて一年が経ち。

昨年のお彼岸にはこんな記事を投稿していました。

昨年のこの記事のタイトル画の枝垂れ桜と今年(4月1日)のタイトル画を比べるとほぼ同じ程度の咲き具合。

やはり今年の開花は遅いことがよくわかります。

まあ、そのおかげで今年もこの枝垂れ桜を楽しめたわけですが(苦笑)

今年も美しかった枝垂れ桜

7年前に母が亡くなり、2年後に父も亡くなりました。

その母が亡くなった年の暮れに叔母(母の姉)が脳出血で倒れました。

私が生まれる頃から同じ街に暮らしていた母と叔母。

弟が生まれて数年後、私達家族は隣町に引っ越してきましたが、それから50年近く叔母とはずっと家族のような関係でした。

母と叔母は六つ違い。

母が亡くなる数年前から独り身だった叔母。

一人いた息子もその数年前に病気で他界していました。

母が亡くなったときには本当に心細かったと思います。

母の葬儀を終えた後、私に向かい「あんた、頼むわな」と冗談めかして言った叔母。

「もちろん。わかってるよ(笑)」そう答えました。

私が生まれる前に父方母方双方の祖父母はすでに他界していました。

ですから私には、夏休み等におじいちゃんおばあちゃんの住む田舎に帰る、という経験がありません(笑)

同じ街、その後も隣町に住んでいた叔母は、幼い私にとって田舎にいる祖父母のような存在でした。
まあ、休みに田舎に帰った時に会うより遥かに頻繁に叔母には会ってはいましたが(笑)

子供の頃から弟と共に、旅行に連れて行ってもらったりと本当に色々と面倒を見てもらっていました。

だから、叔母の面倒を見ることは私にとって特別なことではなかったのです。

その叔母が倒れました。

右半身不随のうえ、言葉を発することもできなくなりました。

厳しい状態が暫く続きましたが、少しづつ状態は良くなり、二つの病院を経てリハビリ専門の病院に転院するまでになりました。

もちろん言葉はまだ話せませんし、普段は車椅子で介護が必要な状態でしたが、恐らく本人は相当苦しく辛かったでしょうが歩行訓練のリハビリも行なえるようになっていました。

しかし高齢でもあり、倒れる以前から心臓や腰など色々と弱っていた叔母ですので、突然容態が悪化し最初に倒れた時の状態に戻ってしまいました。

その当時は亡くなる前の父の世話も一人でしていた私には
24時間介護の必要な叔母の世話までは到底無理な状況でした。

病院とも相談し、特別養護老人ホームに入所することにしました。

それから3年半。

その間に父が他界し、叔母の容態も大きくは変わらず何度か病院の入退院を繰り返して時が経っていきました。

そして一昨年。

年が明け暫く経った頃に叔母の容態が悪くなり入院。
2ヶ月入院した頃、担当医から年齢的にももう回復は難しいが容態も安定しているので退院し特養に戻りましょうと告げられました。

おおよその退院の時期が決まり病院からの最終的な日取りの連絡を待つ日々を送っていると病院から連絡がありました。

院内でコロナウィルスの感染が発生したこと。
叔母の入院階で陽性者が出たこと。
叔母たち他の入院患者にPCR検査等の必要があること。

結果、叔母は陽性でした。

ご存知の方もおられるでしょうが、この当時はコロナ感染対応の専門病院はどこも満室でした。

患者も症状が重度の方から優先的に受け入れる体制でした。

入院先の病院も症状に対処しつつ専門病院を探してくれていました。

しかし空きはありませんでした。

病院から感染の連絡を受けた二日後、叔母は他界しました。

コロナが流行りだしてから特養も面会は基本ダメでした。
病院や老人ホームでの院内感染も多数起こっていましたし。

叔母が入院してからも病院では面会は出来ず、入院階に行くことも禁止でした。

病院から連絡があっても受付ロビーで待ち、担当医がロビーまで来るという対応になっていました。

もちろん仕方がないことです。

ですから私はこの年叔母が入院時に付き添いと入院等の手続きで病院に行き、その時叔母に会ったのが最後となりました。

亡くなった連絡を受け病院に駆けつけたときも叔母には会えませんでした。

仕方がないことです。

ただ、このような状況を叔母がどこまで認識していたのか。
どこまで理解していたのか。

入院時に顔を見せたきり誰も来ない病室で、ただただ寂しかったんじゃないか。

葬儀もできず、火葬に立ち会うこともできず、叔母は翌日の夜、骨になって私の元に帰ってきました。

状況的にどうすることもできないことですが、今でも考えてしまいます。

もっと出来ることがあったんじゃないか。


昨夜、夢を見ました。

夢にありがちなコロコロと場面が変わってく夢でした。

その最後に我が家の階段を普段通り私が二階に上がっていきます。

その先にはベランダがありその窓が開いていて洗濯物が干してありました。

私は洗濯物を取り込み忘れてたかな?と思い、窓に近寄りました。

ベランダには叔母がいました。

私を見て、満面の笑みを浮かべた叔母は洗濯物を取り込んでいました。

嬉しかった。

本当に。

笑顔の叔母を見られて。

枝垂れ桜の下にタンポポが


明日(3日)は叔母の命日です。


思いのほか長文になってしまいました。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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