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今日もどこかで。

私は以前、noteを書くのが日課だった。
楽しかったし、趣味ができて嬉しかった。
noteがあったから繋がれた素敵な人たち。友達、と呼びたい人たちができた。

けれど、この2か月、noteからはちょっと離れてしまっている。

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「どうして毎日書くのか」
ひとつの理由として、「毎日更新が途切れると、noteを開かなくなる気がする」と挙げていたけれど、まさにだなと今痛感している。

本当に開く習慣がなくなり、noteを読む機会はガクンと減ってしまった。書きたい話のメモだけが未完成のままどんどん溜まっていく。

毎日投稿はやめないほうが良かった、なんて言われると、自分への情けなさで気分は沈み、ますます気持ちは遠ざかっていった。

とはいえ、あのタイミングで"お暇をいただいた"ことに後悔はない。
それよりも、今も気分が晴れないでいるのが問題だ。
脳みそに靄がかかっているような。あれもこれも、うんともすんともやる気が起きない。
なんてこった。けれど病んでいるわけでもなくて、人生は楽しい。

単純に、他の楽しいことに心を奪われているだけならいいのだけれど。
たぶんきっと、楽しいだけでもよろしくなくて、哀しいや寂しいや憂う気持ちもどこかで必要なのだ。
秋のセンチメンタルが足りていない模様。

書くも書かぬも自分次第で、書くも書かぬも広い世界の中ではとるに足らないことで、何だってよくって。

今日もどこかで誰かが始めて、今日もどこかで誰かがお休みして、今日もどこかで誰かがさよならして、今日もどこかで誰かがひょっこりただいまって再開する。

それだけのこと。それでいい。

流れにのってゆらりゆらり。

サポートとても嬉しいです。凹んだ時や、人の幸せを素直に喜べない”ひねくれ期”に、心を丸くしてくれるようなものにあてさせていただきます。先日、ティラミスと珈琲を頂きました。なんだか少し、心が優しくなれた気がします。