毎日きつねうどんを食べ続けていた頃。天津飯はごちそうだった。
最近のこと。「こうちゃん、きつねうどんが好きやったよね」と友達に言われた。それは少し違う。きつねうどんは好きだけれど、もっと好きなのは天津飯だった。どっちにしろ餃子の話ではないことを最初にお詫びしておく。
お昼ご飯は学食で
昼食は同じクラスの友達二人と学食(学生食堂)で食べることが多かった。
経済的にはお弁当の方が助かったのだけれど、友達と一緒に過ごせる時間も大切にしたかった。大学生でも一、二回生(関西では一年生は一回生:いっかいせい、二年生は二回生:にかいせい、という呼び方をします)の時には講義が詰まっていた。お昼時は友達とゆっくりできる大切な時間だった。
きつねうどんは好きだけど
学食で一番安いものはきつねうどんだった。一食150円だ。これはダントツに安かった。それでわたしは毎日きつねうどんを食べていた。もちろんきつねうどんは好きだけれど、好きだから毎日食べていたわけではない。でも友達は知らない。わたしも苦学生の端っこにいたのだけれど、なんとなくお金の話はしづらかった。
たまの贅沢はサンドイッチ
何かの間違いで「今日はチャレンジしよう」と誰かが言って、サンドイッチに手を出すことがあった。サンドイッチは文学部にあるカフェテリアで売っていた。煌びやかな女子大生がたくさん集っていてまぶしかった。
文学部に行くためには坂道を上らなければならなかった。文学部と法学部は左手の坂の上に、経済学部と経営学部は校門からまっすぐに奥に進むとあった。右手には理工学部と情報科学部がある。社会学部は情報科学部の裏にあり、キャンパスからは見えない。
一緒にすると怒られるかもしれないけれど、わたしたちはどことなく地味だった。そうだな。わたしは地味だった。ショートカットにTシャツにジーンズで、どこか垢抜けない。
だからカフェに行くのはチャレンジだった。そして360円もするサンドイッチを買って、社会学部の学食で食べた。のんびり食べられておいしかった。
社会学部がどうして裏手にあったのか。それには事情があった。わたしが入学するよりずっと前に、学生運動というものがあった。その時に派手に活躍した学生たちに続く学生をなんとかしたかった。思いついたのが目立たない、建設予定のなかった土地に「社会学部」を建てて、そこに誘導するという作戦だった。
伝説なのかもしれないが、わたしはきっと本当だと思う。
初めて食べた天津飯
誰かが学食の天津飯がおいしいと教えてくれた。250円という値段も悪くはなかったため、時々食べた。その頃に「好物は何か?」と聞かれたら天津飯と答えるくらい好きだった。
ところが中華料理店で天津飯を食べた時、学食の天津飯は天津飯っぽい何かだということが判明した。それでもおいしかったのでいいのだけれど、ただ、違うものだったということは覚えておこうと思った。
存在を知らなかった木の葉丼
先週、友達からメールが来て、久しぶりに学食で食べた木の葉丼が懐かしくて作ってみた、と書いてあった。しかし。木の葉丼って…、なんだそれは。無知だからだろうけれど、学食のメニューにあったなら名前くらいは知っていてもよさそうなものだ。
あまりにも知らないので考えた。おそらく木の葉丼は理工学部の学食にあったのだ。その友達には彼氏がいて、建築科の人だったからだ。
大学生の時に彼氏がいた友達というのは一人しかいなかった。その友達のモテモテ人生のおかげで、わたしもいろいろと面白い体験が出来るようになるのはずっと後の話だけれど、木の葉丼メールで様々な思い出にふけった夜だった。
きつねうどんを食べていた理由は、結局今もなぜだか言えないままだ。
【シリーズ:坂道を上ると次も坂道だった】でした。