見出し画像

回復への道のり〜転職ジプシー編〜

両親(毒親)の不仲という機能不全家族で育ったアダルトチルドレン、自律神経失調症の私は今、カウンセリングを続けている。
最初のうちはかなり辛かった。主治医に「嘔吐しているようなもの」と言われた様に、心の奥底に溜まっていたものを吐き出すような状態で、カウンセリングのあとに激しい怒りが湧き出したり、ほとんどいつも泣いていた。

吐き出すうちに、心の棚卸しは進んでいたらしい。
もっとも悩んでいた転職ジプシー状態を、ついに終わらせられる時がやってきたのだ。

やりたい事など何も無い。
それでも、何かやりたい事を、天職と呼ばれるものを見つけたい。
転職しては、「違う、これじゃない」という事を繰り返し、末期の頃の転職スパンは1年程になっていた。

この衝動が自分の中にあると気がついたのは、転職を5.6回続けた辺りだった。
ちょうどその頃には、自分がアダルトチルドレンだという事を自覚するタイミングにも繋がっている。

私はいつも空っぽだった。まるで穴の空いたドーナツの様だと、主治医に話した事がある。
カウンセリングを通して、自分の場合は「子ども時代は両親の事で常に心がいっぱいだったが、自立して親から離れる事でそこがすっぽり空いた。だから空っぽさを感じるのではないか」と推測された。

その空っぽさを埋めるものが、私にとっては仕事になった。
福祉系の大学だったので、まずはあまりない福祉系の専門職を選んだ。
結局その仕事も長続きはせず、また別な専門職を選ぶ事になる。
私は、特別感が欲しかった。
普通の仕事じゃない、心から打ち込める何か。自分を活かせる素晴らしい仕事が、絶対にあるはずだと、強く思い込んでいた。

この執着にはここ最近まで苦しめられた。世の中に氾濫する「自分を活かして働ける、天職を見つけるお手伝いが出来るキャリアカウンセラー」的なものに、手当たり次第相談をかけていた時期もある。

今思えば、あれは行動力ではなかった。衝動である。抑えられないのだ。
今の職場でも勤めて一年経つ前には「やっぱここじゃない」衝動がムクムクと湧き上がっていた。昼休みには昼飯を食べながら、転職サイトを開いて仕事を漁りだす事が始まった。
しかし、履歴書欄はもういっぱい。流石にこれ以上転職を重ねるのはデメリットだと考えた。

もはや、納得のいかない環境を変える為にはどんな手段も選ばなくなり、次は婚活に没頭し始めた。
目的も手段もクソもない。常に隣の芝生は青く見え、どこにいっても何をしても、自分の居場所に納得出来ない。
自分を埋めてくれる、環境を変えられる何かを探し求めて、自分がどこに向かっているのかさえもわからなくなっていた。

カウンセリングを受けて、かなり早い段階で衝動性は収まった。
婚活は秒で興味が無くなり、転職情報を見ても心が揺れなくなった。

そして気が付いた。
ああそうか。私はずっと、「そっち側」に行きたかったんだ。そうすれば、このどうしようもない空っぽさも埋められると思ってた。

転職する先々で、心からその仕事に打ち込むキラキラした人達がいた。
図らずも、自分の親友がそうであったのだ。

気のおけない親友は、天職と呼べる仕事を見付けられた人だった。それも、同じ業界で。

そんな人と仕事について、仕事とは何かなどキラキラしたテーマを夜のスタバで延々と語り合う自分は、まさに思い描いた通りのキラキラした自分だった。

サイコーな、超イケてる自分だった。

「擬態」という言葉がしっくりくるだろうか。「この専門的な仕事を一生突き詰めていきたい人間なんだぜ」的なオーラを放ち、「こいつ、やる気がある!」と周りの人に思わせて期待をさせる事には、ことごとく成功してしまった。
本当は、そんな気持ちは無かったのに。

そして、そんな擬態をしていることにすら、もう気が付けなかった。それが自分の本心なのだと、本気で思い込んでいた。

勉強自体が嫌いじゃないし、下手に器用貧乏なのもある意味災いした。空っぽさを埋めたい衝動性は、ポジティブな行動力なのだと思っていた。

本当にやりたいことって?
その答えは知らない。だから、自分で「正解」を設定してしまった。

本当の自分は置いてけぼりで、張りぼての擬態した自分がどんどん一人歩きをして、ついにここで力尽きた。

最近、久々にその親友と会った。
いつもの様に仕事の話になった時に感じた、ざわざわした違和感。
あれは「もう擬態するのは終わりだよ、ここで止めにしようぜ」というサイレンだ。

どうしようもない心の空虚さを埋める為に、私は何としても、親友のいる「そっち側」に行きたかった。

私はようやく、働き方を変えるというこれまでになかったやり方を、上司と考えていくことになった。
明らかに、私の仕事でのコンディションは落ちていた。今の仕事が苦しくて苦しくて仕方がなかった。
見かねた上司から、提案をしてくれた。
「〇〇職を続けるかどうするか、決めよう。長く働くために、その方法を考えよう」という上司の言葉に救われた。

何とかしがみついてきた、専門職の肩書きを手放す準備が始まったのだ。

正直、肩書きを無くす事への不安はある。仕事の肩書きがなくなったらもう、私は何者でもなくなってしまうという不安。
親友と対等でいられなくなるのでは、という不安。

専門職を突き詰めたい自分に擬態していただけの私を知ったら、親友は何て思うだろうか。これまでの様に仕事について熱く語り合うフリをする事はもう出来ないけれど、それでもこれからも仲良くしてくれたら嬉しいなと思いながら、私はやっとこさ転職ジプシーを終え、これまでは選択肢に無かった生き方を模索していくことになる。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?