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新たな挑戦

気がつけば11月。残り1ヶ月と20日で今年も終わるみたいだ。
時間が経つのは早い。

今年は世界中の人々にとって計画が狂った1年だった。
それは僕にとっても。
いつの間にか実家の長野で穏やかに暮らしている。
穏やかな暮らしはもちろんいいものだけれど、東京で2年ほど暮らしていた僕にとってはなにか物足りなさを感じていた。
刺激が足りないとでもいうか、もっと思考実験を繰り返したい欲望がウズウズしていた。

今年に関していえば、「コロナのせいで〜〜」なんてのはいくらでも言い訳できる。でも、そんなのおもしろくない。

刺激は自分で求めに行くものだと思っている僕の挑戦が先週、11月3日スタートした。

その挑戦は・・『やさしさラボ』というもの。

パナソニックの公式noteの記事↓

11月から12月の2ヶ月間かけて、「やさしさ」とは何かという命題をトークイベントや、フィールドリサーチワークショップを通じて、実践的にプロジェクトを立ち上げながら「やさしさ」のあり方を実験することを目的とした活動だ。

正直、この「やさしさラボ」を知ったのは大学の授業の掲示板だった。
「説明会に参加し、感想を送れば成績評価の加点材料とします。」

そんな謳い文句に、不純な動機で説明会に参加した。

しかし、説明会に参加しているうちに興味を持っていく自分もいて・・・。

説明会の内容で印象深かったのは2つの問い。
『やさしさにはズレがあること』
『そもそもやさしさって何?』

たとえば、電車の席を譲るような場面。
自分は親切なつもりで席を譲ろうとしたが、相手に断られてしまったなんてことを経験したことがある人は少なからずいるだろう。ましてや、相手が老いて見られたなんて気を悪くしてしまったら最悪だ。

このように自分は「やさしさ」のつもりでも必ずしも「やさしさ」として受け取ってもらえない。これを「やさしさのズレ」という。

そして2つめの問い。
私たちは気づいた頃から「人にはやさしくしようね」「友達と仲良くね」なんて言われて育ってきた。
そもそも「やさしさ」の正体は何なのだろうか。
当たり前に使ってきた「やさしさ」とは抽象度の高い言葉だったのだ。
いわゆる「コミュニケーション能力」なんかもそう。

この問いを少し考えて見たけれど、自分がしっくりくるような答えには辿りつかなかった。
こんな問い、機会ない限り考えない漠然な問いだし、いいチャンスだと思って参加を決めた。

ワクワクの第1回目

そして第1回目のやさしさラボ
初めてということで午前は自己紹介が中心。
学生が多いのかなと思いきや、メーカー勤務の方や海外の大学院に留学していた方、台湾出身の方やハワイから参加している方とかまさに色とりどり。
学生も建築学部生だったり、普段接点のなさそうな人とも出会えた。
オンライン上で全国から参加しているにもかかわらず、同郷の人もいたり。

自己紹介聞いただけなのにいろんな人が参加している「やさしさラボ」にワクワクした。申し込んでよかったと心から思った。

次にアイスブレイク的にやったのが、「身の回りでやさしさを感じるもの」について。自分の家の中で「やさしさを感じるもの」を持ってきて紹介するというのをやった。

僕が紹介したのは以下の2つ。

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たまたま机の上にあった、配布していたティッシュと、高校のとき、友人にもらった人型のライト。

身の回りの「やさしさ」なんて意識することは滅多にないけれど、意外と散りばめられているのかなと感じた。同じグループの中では、整髪剤であったり、ハンドクリームに「やさしさ」を感じたりしていたな〜。

午後のメインイベントはフィールドワーク。
実際に外に出てみて、公の場所から「やさしくないもの」を探してくるというワークをした。
普段、日常的に「やさしさ」を考えている人はなかなかいないと思うが、ふとしたときに気づくのは「やさしさ」だと思う。逆に「やさしくないもの」に目を向けることはないのではないだろうか。(見えていても「しょうがない」でスルーしてしまうことが多いかも)

だからこそ、ワークは少し億劫であった。

実際に外に出て歩いてみる。
周りは田んぼや畑ばかり。すれ違う人も車もあまりいない。

「やさしくないもの・・・・」

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デコボコの道
普段なら農道だからしょうがないとスルーしてしまいそう・・・
お年寄りの方が歩くには不便かもな〜

やっと見つけた「やさしくないもの」は道路。田舎にはこんな道はたくさんあるけれどこの道を歩く人は歩きにくいよな〜と思いを馳せながら歩いてみた。

次に見つけたものはこんな看板。

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『犬のフン、アンタ片づけろ!』
ずいぶん荒い口調な看板だ。

田んぼの畔に立っている看板。
犬の飼い主さんが当たり前のマナーが守れていたら地主さんもこんな看板立てなくて済むのにな〜と感じてみたり。

そして意外と多かったのが落とし物。

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写真ではわかりにくいが車のフットマットの落とし物(?)が
田んぼの畔に置かれていた。

きっとこのマットは道路の真ん中に落ちていて、通りかかった誰かが親切に端に寄せてくれたのだろう。だが、きっとこのフットマットは見つからないだろうし、人の田んぼに置かれてもただのゴミになってしまい迷惑ではないだろうか。
手袋なんかが道端に落ちていたら塀の上や気にかけたりすることはよくあるが、本当にそれは「やさしさ」なのだろうか。

そんなわけでフィールドワークをやったが、身の回りには思っている以上に「やさしくないもの」は存在していることに気づいた。誰の立場になるかによっても「やさしさ」なのか「やさしくないもの」なのか変わることは興味深い。

第1日目の感想としては、これまで目を向けてこなかった「やさしくないもの」が意外とあることに驚いたと同時に、自分では「やさしさ」だと思っていた行為でも「やさしさ」として受け取られないケースは多くあることだと感じた。
また。1日目を終えた時点での「やさしさ」の解釈として、行為そのものだけを「やさしさ」として捉えるのではなく、相手の立場に立って相手の気持ちを考えてみることも「やさしさ」の1つではないかと感じた。その際、相手の立場に立とうとしても、相手の気持ちにはなれないということは当たり前のことではあるが忘れてはいけない大前提であるけれど・・・。

第2回に向けてもワクワクです。
やさしさラボの参加者のみなさん、ナビゲーターのみなさん2ヶ月間よろしくお願いします!

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