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産休8週目の所感

ベビーが無事に誕生して、人生初の入院生活を送った産休8週目。心身の疲労感と相まって、めちゃくちゃに濃厚な日々だった。


1日長くない?

沐浴指導があったのが今朝のことなのに、もう何日も前のような気がする。3時間おきの授乳と、規則正しい朝昼夕の食事と、細切れの失神もとい睡眠。毎日、前日の「お小水とお通じ」の回数を聞かれるのだけど、便通があったかどうかすら覚えていられない始末。

1日のできごとが盛りだくさん過ぎて、24時間の体感がそれ以上になっている。
忙しいとむしろ時の流れは速く感じるものなのに、いや確かに速いのだけど、「もうこんな時間!」というタイプの速さじゃなくて。疲労だな、これは。

新生児室で授乳中に隣り合わせになった他のママさんと、「なんか1日長いですよね」と確認し合った。

隙あらばセルフケア

何週間も前から準備していた入院バッグ(キャリーケース)の中には、産後の心身を労わるための諸々を詰め込んできた。これは、ネットで読んだ先人たちの知恵によるもの。

今までコスパ重視でほぼ買ったことのなかった7枚入りのフェイスパック。なかでもちょっと割高のやつ。普段はお風呂上りだけだけど、入院中は朝晩使って入念に保湿した。パック中に助産師さんが来ないかちょっとハラハラしながら。

リップクリーム、ハンドクリーム、無印のスウィートアーモンドオイル、むくみ取りのマッサージローラーは常にベッドのテーブルの上に配備。

めぐりズムのホットアイマスクはゆずの香り。毎晩寝るときに使っていたけど、日々結構汗だくになりながら授乳していたので暑すぎた。むしろ冷めた後のただのアイマスクとしての用途の方で活躍したような。大部屋だったので、カーテンから漏れる他の人の明かりをアイマスクで遮断することで、ストレスなく眠れた。あと、昼間にちょっと寝たいときにも。

入院中は子育ての練習も大事だけれど、ボロボロになった心と体の回復も同時並行でしていかないといけない。ちょっとしたアイテムが癒しになってくれて大いに役立った。ケアをする人自身が十分にケアされていないと、ケアは果たせない。セルフケア大事!

メディキュットの落とし穴

セルフケアといえばむくみ対策も必須。今までの人生で幸いにも足のむくみで苦しんだことってほとんどなかったのだけど、産後猛烈に足がむくんだ。足のみならず手もむくんだ。

毎日たくさん水を飲んで、メディキュットの着圧ソックスを履いて寝た。ソックスはつま先部分が開いていて、膝上までの長さがあるものなのだが、朝起きたら足の甲が痛い。
何事かと思って見たら、ソックスでカバーされていない部分だけがパンパンにむくんでいてギョッとした。履かないよりはマシかと思って毎晩履き続けたけれど、足の甲が局所的にむくむ苦しみには悩まされた。退院した今も使用しているが、つま先までカバーされるタイプに買い替えるべきか……?

ちなみに顔もむくんだ。
産後4日目からの3、4日ぐらいがピークで、鏡を見るたびに「誰…」と思っていた。顔が変わるぐらいで生活にさほど支障はないのだが、顔面がひどいと気持ちが下がってしょうがない。ベビーのかわいさが凌駕しているから、ここまでなんとかバランスが取れている感じ。

陣痛室からの断末魔の叫び

病棟内に、わたしがかつて壮絶な陣痛体験を乗り越えた陣痛室がある。茶色いパーテーションでベッドが囲まれていて、中は孤独空間。あのパーテーションは防音機能もあるのだろうか。孤独空間の孤独さは、外側には全然漏れてこないのが不思議だった。

病室から新生児室やナースステーションに行く途中、陣痛室の前を通り過ぎる。誰も使っていなくてパーテーションが全開のこともあれば、閉ざされていることもある。いずれにしても、パーテーションのあの茶色が目に入るたびに、あの日の苦しみが蘇った(トラウマ)。
毎日何往復もする廊下だから、だんだんと受けるダメージも薄らいできたけれど……これが曝露療法ってやつかな。

明日が退院という日の晩、孤独空間の結界が破られた。
夜中に響き渡る断末魔の叫び。
「痛い、いたい、イタイーーー!!!」「無理!!!!」「jんfそあ;ぐrhn!!!!」
めっちゃ叫んでいる。呼吸法とか丸無視で絶叫している。だけどね、その気持ちはすごくわかるんだ。わたしは叫びこそしなかったけれど(呼吸に必死だったのもあるし、そもそも叫ぶだけの気力も残っていなかった気がする)、あのとんでもない痛みと、それに一人で耐えなければならない孤独は、絶叫しても余りあるレベルのものだと断言できる。
顔も知らない陣痛室の妊婦さん、えらいよ。あともうちょっとだよ。

ランクアップする親族

家族LINEでベビーの写真を上げて、「かわいいねえ」とか「誰誰似だねえ」とかひとしきり盛り上がった。
このLINEグループには上は祖父母と父母と伯父伯母と弟夫婦とわたしたち夫婦が入っている。夫が面会に来てくれたときの写真をアップして「パパが来たよ」、父母がベビーを抱っこする写真を上げて「じいじ、ばあばだよ」。祖母には「ついにひいばあちゃんか」と感傷に浸り、伯父は「おおおじさんやで」と言う。弟まで「おじさんもベビーに会いたい」と述べる。

わが家に新しい世代が誕生したことで、自動的に古い世代がみんなワンランク昇格していくのがなんだかおかしかった。ついでにネットでいろいろな家族関係の呼称を調べ始めて、甥・姪の子を「姪孫(てっそん)」と呼ぶことを知った。まだ甥も姪もいないけど。

いまだに信じられない

信じられない話かもしれないけど、わたしはいまだにベビーが生まれた事実に対して信じられない気持ちを抱く瞬間がある。
トラウマ級の陣痛室での孤独な戦いを経て、分娩台で喉を痛めるほどいきんで、助産師さんに取り上げられた瞬間のことは確かに覚えている。だけど、今目の前にこの子が存在しているということが、時々信じられないのだ。そして何度でも、「すごいなあ、生まれたんだなあ」とじわじわくる。愛おしいってこういうことかな。いつまでこの感覚が続くんだろうか。

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