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美味しいものを食べることが幸せな日々で充分、それ以上は贅沢で毒である。

私は贅沢な人間になってしまったようだ。
1年前の自分を思い出してそう思う。

あんなに寂しかった日々を乗り越えて見知らぬ土地に来て
孤独だろうが誰も私のことを知らない地を踏みしめることはとても胸の躍ることだった。

毎日1〜3時間の残業を毎日こなして、ひと月の勤務時間が200時間を超えた月もあった。
お金がなかったので可能な限りシフトを入れてもらっていたのだ。
そんな中で美味しいものを食べたり、少し遠出をしたり、仲のいい先輩や同い年の子と食事に行くことが私の癒しであり幸せだった。

そんな日々も瞬く間に過ぎて、
気付けば私は独りじゃなくなっていた。
そばには私だけを愛してくれる大切な人がいる。
死に場所を探しに来たくせに、幸せになってた。
愛知に来て最初にお世話になった職場の方々からは別れを惜しまれた。

誰も知らない、あてもない。
そんな土地で誰かに惜しまれる存在になったことがとても嬉しかった。

今の私はそんなに強くいられない。

なんでかなぁ
独りの時の方がよっぽど強くいられた。
幸せは自分で築くもの
他人ありきの幸せはいつか自分を滅ぼすこと。
そんなことわかっているのに。

最初は話の合う大好きな人が
そばにいてくれるだけで幸せだった。

それが今では「私だけを見て!」と悲鳴をあげている。

私だけを見てくれているのに。

きっと私は「失ってから気付く大切さ」とかいう
馬鹿な言葉を使うことになるんだろうな。
今のまま彼の優しさに甘えていちゃダメだ。

私にはやっぱり大きな幸せは身の丈に合っていない。
幸せになる準備ができていない。

過去の自分は弱いと思っていた。
でも一番弱いのは他人軸で生きている今の自分だ。
1年前の自分に謝りたいくらい。

私の今の幸せは
彼と他愛もないことを電話で話して
彼と美味しいものを食べて家に帰って昼間から抱き合って眠り
彼と夜更かししながらそれぞれが好きなことをしている時間が
途方もなく幸せで、扱いきれない。
ひとりの時間を今では愛せなくなってしまった。
でもそんな私でも愛してほしいとも思う。

なんて贅沢なんだろうな、私は。
この考えはいつか自分の首をしめる。

せめて行動だけは改めて
この考えは自分の奥の方へ追いやっておこう。

でもこれだけは言える。
彼に惚れてよかった。
だからこそ彼を大事にしたい。尊重したい。

そもそも私に恋人なんていなかった。
そう思って日々過ごせばもう少し日々を大切に、
些細なことに幸せを感じるあの頃の自分に戻れるだろうか。

今が踏ん張りどころなんだ。
頑張ってくれ、強い私。

今を乗り越えたらまた見たことのない景色を見に行こう。



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