徒然200614 カムバック理性


23時36分、電気も点けずカーテンも閉めきった暗い部屋の中で、ただパソコンの画面だけが煌々と光っている。なぜかピカピカの晴れの日よりも冷たい雨が好きだから、びしゃびしゃのBGMが聴こえることがすこしありがたい。音楽をかけたい気分では全然ないので。昨年の秋頃から、今日がいちばん死に近づいているという実感のある日は幾度かあって、いちばん、を更新しながら現在に至る。そしてわたしは今日、いちばん死に近づいている。

本当は全然こんなこと考えたくない。書きたくもない。不幸ぶるのはめちゃくちゃイヤだしダサいし、本当はまーたそんなこと言っちゃって、と自分を笑い飛ばして終わりにしたい。ポエミーになりたくない。毎日をできるだけにこにこご機嫌に過ごしたいし、そうなるための努力はなんだって、本当になんだってするつもりもある。やりたいこととか目標に向かって努力して突き進みたい。人に心配されたり同情されたりして満足したいわけじゃ全くなくて、自分の弱ってるところなんてマジで毛ほども見せたくないし、常に自分の良い状態で健やかな人間関係を築いていたい。でもとにかくエネルギーが枯渇していて、すべての「たい」も「たくない」も叶えることがひどくむずかしく感じられる。こまった。

声小さいし土砂降りが好きだし夜に住んでるし一人で本を読むのが好きだけど、わたしという人間は存外そんなに悲劇的ではない、と、自分では思っている。それは落ち込まないことと決して同義ではなくて、たとえ悲しみに浸っていても、それが過剰にならないように、どうして悲しいのかとか自分のどんな質に起因しているのかみたいなことを、必ずどこか理性的に考えている自覚がある、という意味で。

泣きたいほど悲しいときは、密かに「悲劇ごっこ」(いま初めてそう呼んだけど)を発動する。別になんてことはなくて、本当に涙に飲み込まれないようにあえて「これは悲劇ごっこだよ〜」と自分で思いながら悲しむってだけ。悲しがりたい気持ちは満たされるし、ごっこの自覚を持っているから他人にそれを振り撒くこともなくて、便利な技だ。一人でひたすら、あ〜かなしいな〜って思って、たま〜に泣いたりして、おいしいごはんを食べて、悲しみを全身で味わう。不思議なことにちょっと回復する気がする。たぶん、「これはごっこなんだ」と思うことによって悲しみがコントロールの範疇に入ってくるんだと思う。メタ認知って言うんだっけ。一歩引いてみることで、その感情に溺れることを回避している気がする。もちろんちょ〜悲しいできごとだったらそれが1日で終わらないこともあるし、コントロールできるとはいえ、簡単にハイ元気100%!とかはならないけど。悲しみだけじゃなくて、たぶんわたしはすべての感情において無意識にこれを実践している。

ともかく言いたいのは、わたしが決して元来根っからの悲劇的な人間じゃないという前提のもとに、今日この不幸があるということ…文字にすると劇画調すぎてウケるね。たぶんもし今日初めてわたしと出会う人がいたら絶対に信じてもらえないと思うんだけど、でもマジでこれ。嘘じゃないんだよ〜。

なのに、このところ、本当になんでかわかんないけど悲しみがコントロールできなくなってきてしまった。もちろん毎日いろいろ考えてるし、ゴキゲンになるためのあらゆる手法は試しているつもりだし、「なに泣いてんのウケる〜」とか考えるんだけど、なんかどうやっても悲劇ごっこが“ホンモノ”になりつつある感じがする。なんの原因や根拠や筋道もなく、ただ死にたいと思う。元来バイタリティーがなくてあんまり生きたがりではないし、自分なりの哲学における死生観が「生」寄りでないことを差し引いても、あまりにも死にたい。具体的にじゃあこういう方法でとか、遺書を書こうとかじゃなくて、ただコーヒーを飲んだ帰り道、電車がホームに突進してくる瞬間にふと前に倒れこむ自分を自然と想像する。大げさでもなく泣き喚くほどの強い感情があるわけでもなく、ただ静かに、死というものがすごく近くにあって、ふとしたことでポロっと表に出てくるってかんじ。うまく言えないけど。

これまで落ち込んでも強力な理性でどうにでもできてきたから、初めてこんなことになっちゃって怖い。22年間、すさまじい信頼関係にあったわたしの理性はどこ行ったの。調子のいい日もあって、「元気になってきたぞ!大丈夫、なんとかなる〜!」って心の底から思うんだけど、翌朝起きるともうどん底だったりして、訳がわからない。いや自分のことなのにウソみたいなんだけど、ウソだと思いたんだけど、本当に理解できなくて驚く。特に思い当たる節がないから、次に目を開けた明日が大丈夫な日なのかそうでないのかわからなくて怖い。同じ日でもさっきまで大丈夫だったのに突然ダメになったりする。えーなんで。何をしてもなんか灰色に見えて、まあそもそも何もできないんだけど、ヘンな思考回路がいつの間にかできていて、ふだんの自分なら考えもしないようなことを脳みそが勝手に考えている。それでもまだ辛うじて理性的であろうとしてるから、奈落の底のときもふと「自分ウケる〜」が過る瞬間もあって、まだなんとかやっている。でもやっぱりゴキゲンじゃない自分は愛せないので、はやくゴキゲンを取り戻したい。

輪をかけて睡眠が下手になったり悪夢を見たり、食欲なくて体重が落ちたりする(これはラッキーか)こともまあそれなりに辛いけど、でも総じて、自分のコントロールできない自分がいるということが心底不気味で不快でこわい。感情が優位になってしまうのがたまらなくイヤだ。わたしは自分を理性的な人間だと思ってきたけど、本当はものすごく感情的で情緒的だからこそ、それをカバーしたくて過剰に理性を発達させてきたのかもしれない。きちんと理解すれば正しいとわかるはずのことでも、もう思考する前に脊髄反射で傷ついたり拒絶したりして毎日つかれる。受け容れられることが少なくなってきて、ほんとうにダメな日は全神経が過剰に敏感で、コンビニで全く知らん人がちょっと大きい声でしゃべってるだけで泣きたくなったりする。書いてると改めて、我ながらなにこれイカれてんな〜と思う。


ひどすぎると思った今日、それでも、なんとか今日中に(もう日付こえちゃったけど)おいおい自分カンベンしてくれよと思いながら日記をつけられるくらいになったし、まあ大丈夫なんだと思う。だからもし私のことを知ってる人がこれを読んでも何も心配しないで。待ってれば元気が復活するのかもしれないし、でももし何かよいアイデアがあったら、教えてほしい。さあ明日は元気だしたいな。がんばるぞっ


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