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その手と手・成長をともに

Facebookの過去投稿が上がってきた。
娘2歳の時の「手」と私の「手」

大きくなったなーと思うだけでなく、
この7年間のことが走馬灯のように蘇る。
早かったようで、長い。
もう10月には10歳になる。
とうとうティーンエイジャーの仲間入り。

私自身も40代から50代へと移行した。
育児は、育自とよく言うが、本当に私自身もママ9年生として成長してきた。

「成長」なのか?と思う時がある。

ヒトが何故こうやって生まれて、
生き続けているのか?

ヒトとしての機能を考えれば、
母親になることで、新しい機能を使っているとしか思えない。

血縁はあるが、別の人間。
お腹の中で十月十日一緒だった娘が自分から分離し、
どんどん独り立ちしていく。

どこかで、この十月十日は依存関係もあるのかもしれない。

「肉体は魂の乗り物」、と言われているけれど、
この人間が生まれてくる仕組みは、本当にミラクル。

ヒトとヒトが出会って
そこに関係性があるから、
新しい生命が宿る。

誰と出会って、どんな出会いがあって、どう生きるか。

そんな哲学的なニュアンスを頭の中でめぐらせる時間を過ごす日が続いている。

ただただ、穏やかに。
心地よく過ごす。

丁寧に過ごすことそのものが、
自分の生きる源になる。

丁寧に過ごすこと、そのものが、自分自身を丁寧に扱うことにつながっていく。

クウネルアソブダス

これをじっくりやるだけで、生きるベースに立ち戻る。

だから、育児を通して、この生きるベースに立ち戻るレッスンをしている気がする。

だって、育児って、その生きるベースを打ち破る出来事ばかりだから。
立ったままおにぎり食べるとか、
抱っこ紐したまま、トイレに入るとか、
おんぶして、掃除するとか、
授乳しながら寝る、とか・・・

魔の2歳児だった娘も、思春期手前の反抗期に近づく。

その都度、娘を通して「自分を丁寧に扱う」ということをみていくのだろう。

だから、娘とのたわいもない会話や投げかけを、
自分自身が自分を丁寧に扱っているのか?を知るレッスンかもしれない。
反抗期にママ嫌いって言われても、
自分の嫌いなところと言い換えて、自分に指を向けてみよう

そんな出来事が日々起こっている。

ありがとう、2歳、そして、いらっしゃい、10歳。


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