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4. なぜかダンテ神曲の地獄図

小さな青い淵の渓流を過ぎて、まもなく三方崩山からの大ノマ谷との出合である。国土地理院の地図にはこの谷名の記載がない。[1]

「大ノマ谷」は雪崩の谷という意味だ。近年は、標高差1200メートルの滑降を楽しむ山スキーの愛好家の間で知られている。

この先、大白川渓谷の左岸は、下流側から大ノマ谷・岩屋ヶ谷・間名古谷・ワリ谷という谷が、本谷に流れ込んできている。

大ノマ谷の出合から先、本谷は広々としてくる。もともと河道だった場所にも木々が広がり、川の流れは見えない。片側はコンクリート吹き付けや落石防止ネットを施した壁が連続する。

渓谷の入り口から約4.2km来たところに、平瀬発電所の取水施設があった。ここは庄川水系の電源開発の始まりの地だ。大正15年(1926年)竣工だから、その16年前に石崎光瑤が旅したことになる。

昔のガイドブックには、一枚壁と岩屋ヶ谷の間に「広川原」「キンチヂミ(睾丸縮)」「惣右衛門保木ほき」「山の神堂(三つ岩)」などの地名も見える。今の地図ではそれがどこか分からない。失われた地名である。保木とは歩危とも書き、歩くのに危険な難所という意味だ。

光瑤は明治43年春の旅で「ヤタロウの出戸」「広河原」「キンチャミ」を書き留めている。

発電所の取水施設を過ぎると、対岸に岩壁が見える。名称は分からない。

そしてトンネル(約250m)だ。真っ暗な空間に入り込む。異次元にでも入るような感覚だ。極端に狭く、対向車とすり替えはできない。

道は2度の折り返しカーブで高度を増し、川よりも20ないし50メートルも高い場所を走るようになる。

石崎光瑤の明治43年春の紀行文に面白い記述がある。引用しよう。

これよりしばし大白川と全く離れて捧莽ほうもう狼藉ろうぜき、こけむした巨岩の嵯峨たる魔境に彷し間を辿って行く。雪の圧迫に苦しめられた矮木がくちなわの絡み合ったような不快な形をして、雪を破って枝をもたげている。かつてさる絵巻物に、ダンテの地獄巡りの図を描いた中に、数限りなき自殺者が天を仰ぎ、地に伏し、悶え、匍匐はらばい、累々として打ち重なれるまま、寒林と化した凄惨な図を見たことを思い出し、自分も巻中の人となったような気がした矢先、ギーと啼きわたったカケスの声を荒淫の女面鳥が追ってきたのではあるまいかと怯乎とした。

『山岳』第6年第1号(1911年)
※くちなわ=ヘビ

なぜここでダンテの神曲なのか? ホントに花鳥画の光瑤? と疑りたくもなる。「さる絵巻物」とは何か? 地獄図ならなぜ立山曼荼羅じゃないのか? 突っ込みどころ満載である。「魔境」に「荒淫の女面鳥」で光瑤の絢爛なイメージは崩れ去る。[2]

ギュスターヴ・ドレ(1882-1883)の神曲 地獄編13歌第7圏第2環
自殺者の森を描いたイラスト 左の図の左下に女面鳥が見える

登山に熱中していたころの光瑤は針ノ越えや焼岳でも「凄惨な光景」を何度となく書き留めている。

だが、ここでの文章表現はいくらなんでも大げさではないか。灌木の枝が雪の重さで曲がりあるいは折れているだけのことであろう。

芸術家光瑤の連想には驚くしかない。(つづく)

[1]近辺には「桂谷」がある。

[2]『文芸百科全書』(1909年12月発行)の『神曲』解題には、「(一三歌)第七圏第二輪は自己の身に残暴を加えた自殺者等道もなき幽林の醜き矮木と化して囚えられ、荒淫の女面鳥(Arpie)の来たり啄むに任せる試に其枝を折れば姫井と共に黒血迸しる」とある。
『山岳』第5年第1号(1910年3月)に小島烏水による「世界の山岳會及び山岳雜誌」が出ている。この中に「ダンテ神曲」にがあるが、「絵巻物」「地獄」「自殺者」などは出てこない。

表紙写真は、白山1号トンネル東口付近から大白川渓谷下流の風景。谷を埋めるように見えるのはドロノキ(ドロヤナギ)か。この辺りは国内最西端にあるドロノキの大径木が林をなし。6.58haが森林管理局によって「大白川ドロノキ遺伝資源希少個体群保護林」に指定されている。

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