マガジンのカバー画像

光瑤、覚醒す ― 飛騨・大白川渓谷 くるま旅

19
日本画家の石崎光瑤が1907年から1910年にかけて三たび訪れた大白川渓谷を114年後にドライブ。光瑤の紀行文と写真・絵を読み解きながら、時空を超えて光瑤の魂を感じる旅です。
運営しているクリエイター

記事一覧

19. 光瑤生誕140年を祝う

石崎光瑤は1910年5月、14日間かけて往復72里(288km)を徒歩で旅し、春の白山を写生し撮影した…

kotoyo_sakiyama
1か月前

18. 矛盾めいた悲運の名瀑

2024年5月26日、大白川ダムが堰止めた湖「白水湖」の湖畔に立った。標高1240メートル。白水滝…

kotoyo_sakiyama
1か月前

17. 写真OKでも頼りは絵筆?

滝壷の水煙と格闘して撮影した結果はどうだったのか。 雑誌『山岳』に寄せた石崎光瑤の紀行文…

kotoyo_sakiyama
1か月前

16. 濛々たる水煙、曇るレンズ

石崎光瑤(25歳)が立山室堂で洋画家吉田博(32歳)と出会ったのは明治42年8月5日である。 吉…

kotoyo_sakiyama
1か月前

15. 谷の神秘と森の尊厳

事務所に戻り、朝食を済ませると、光瑤は2人の案内人と同行の新聞記者、石黒劒峯に向かって言…

kotoyo_sakiyama
1か月前

14. 一陣の風 湯舟と老樹幻影

明治43年5月14日、土曜日。いよいよ石崎光瑤の「覚醒の一日」がやってきた。[1] 夜が明ける…

kotoyo_sakiyama
1か月前
1

13. 夏秋春の白水滝を総括

原生林のこんもりした稜線の向こうに残雪の峰々。あとで地図を見たら、白山の南に連なる別山(標高2399m)だった。石崎光瑤が「春の白山」を旅したのは5月13-16日だから、筆者のドライブ時期の約2週間前になる。 光瑤は明治43年(1910年)春、3度目いや正確にいえば 白水滝と4度目の対面をしたとき、この風景を総括するように書いている。 これはもう漢詩である。難しい。が、これが光瑤の感受性である。 「寵児」とは自分を指して言ったのか。光瑤は、圧倒的な水量の春の滝を見て、他

12. 無我の境地で細密スケッチ

白水滝の周りは柱状節理の岩壁だ。[1]さらにその周りを微妙な色違いの緑が取り囲むようで美…

kotoyo_sakiyama
1か月前

11. 白水滝、音響の予兆なく

間名古谷出合から20分足らずで滝見台の駐車場である。標高1250m。いよいよ白水滝だ。 階段を…

kotoyo_sakiyama
1か月前

10. 太湖石のスノーブリッジ

間名古谷の右岸に入り徐々に標高を上げる。大白川から少し離れて樹林帯を進む。 昔は勘助平(…

kotoyo_sakiyama
1か月前

9. 幻の箱抜峠と2つのつり橋

対岸に見えるあたりが箱抜峠(950m)だ。アワラ谷への林道の切り通しが見える。 この林道が開…

kotoyo_sakiyama
1か月前

7. これが箱抜の核心だ

アワラ谷林道との分岐点からしばらく進むと、再びトンネルだ。約120m、今度は短い。 これを抜…

kotoyo_sakiyama
2か月前

8. 犬をお伴にシナクラ桟道

「この桟橋、すばらしいねぇ。描くんならやっぱり対岸から見ないとなあ。対岸に渡れますか」 …

kotoyo_sakiyama
2か月前

6. セキレイの巣と母鳥

1年半後の3回目のベンツル通過の際には、阿修羅とは真逆のイメージの逸話が記されている。 なかなか抒情的である。 花鳥画家の面目躍如か。このあと案内人が「荒々しい爪」でその卵に触れようとするのだが、光瑤はそれを制止している。 2024年5月、光瑤の旅した114年後にほぼ同じ空間に立つ。鳥の姿は見えない。鳴き声も聞こえない。 同じ5月でも光瑤の時より約2週間季節は進んでいるから、繁殖期が終わっていたのか。 それにしても光瑤の観察力には感心する。(つづく) ◇ 表紙写