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15. 谷の神秘と森の尊厳

事務所に戻り、朝食を済ませると、光瑤は2人の案内人と同行の新聞記者、石黒劒峯に向かって言った。

白水しらみずの滝を見に行こう、滝壷に降りてみたい」

おいおい、きょうは休養日じゃなかったのか。昨日あれだけ見たじゃないか、また行くのか。滝壷? きょうは水が多すぎる、危いぞあそこは。

同行者たちはそう思ったのではないか。

光瑤は強情な一面のある人だ。どうしても見たいと思えば見に行く。同行者がたとえ行かないといっても行くのが光瑤なのである。

陸地測量部 5万分の1地形図
明治43年測図 昭和5年要部修正測図
赤線は戦前の登山ルートとみられるが、
等高線は現在の地形図と比べて精度はかなり低い

4人は犬のカメとともに出掛けた。残雪を踏んで猿ヶ馬場さるがばんばの森を抜けていく。

500メートルほど進んで、白水谷まで来ると、昨日まで架かっていた丸木橋がほとんど流されていた。激流を渡ることができない。

しばらくすると2人の案内人は近くで木を伐採してきて手際よく丸木橋を架けた。犬のカメが最初に渡り、そのあと4人が次々に渡った。

夜来の豪雨に渓水怒漲してまさに脚を払わんとし、手にたよるべきよすがもない丸木橋の中央に及んだ頃は、先に犬の危うげに四肢に満身の力をこめた渡りぶりに失笑せし一行も、ここにいたって犬以上の醜態を演じ、対岸にあるじ迎え顔に待ちつる犬のさぞやおかしかりつらんなど、語り合う。

『山岳』第6年第1号(1911年5月25日)

犬のカメが4人の間のクッションのようになっていた。光瑤の観察力の凄いところだ。

しばらく行くと、白水滝の「遠雷のようなはためき」が聞こえだした。そして滝の上半分が見える場所に着いた。

横方向から眺める水の落ち口。木々に葉が茂らないこの季節だから見える絶景だった。

筆者がドライブから帰ってYouTubeを検索したら白川村が公開している7月の滝の動画があった。自分が見た静かな滝壷とは全く違う。光瑤の見た春の白水滝はこれを上回る流量があったことだろう。

明治43年春、光瑤は白水滝を見てふと立山の称名滝を思い出していた。立山では明治41年以来、伏拝と呼ばれる滝見台からもっと滝が眺められるように老杉を伐採してはどうかという話が持ち上がっていた。それを白水の滝に置き換えたらどうなのか。

神聖な森に、卑しき人の子の斧鉞の痕を加え山霊愛護の衣を傷けては、どうなるものもか、万重の彼方より、音をのみ洩らし来って、深く姿を現はさざるところに谷の神秘があり、森の尊厳がある。

『山岳』第6年第1号(1911年5月25日)

自然に対する畏敬の念。あの洋画家吉田博もそう語っていた。山を愛する画家に共通する思いだ。

(つづく)

国土地理院地図をもとにした3D模式図

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