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はじめまして。山田と申します。

あいさつ

はじめまして。山田と申します。お時間がある方は、ぜひこの記事を読んでいただけますと嬉しいです。

私は税理士法人で5年ほど起業家支援と採用業務をしていました。激務から適応障害と診断された後に退職して、今ではずっとやりたかった、学校に馴染めない子供の支援や、出版業界で仕事をしています。

noteでは、起業の話しや、パラレルキャリアのお話し、子供の支援、本についての話をしています。

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税理士事務所で働いたら、適応障害になった

私の父親は鈑金業をしている個人事業主です。家に金物のトタンを貼る仕事をしています。私は幼いころから現場に連れていかれて、汗だくで働いている父親の背中をいつも見ていました。現場で職人たちとみんなで休憩しながら笑っている姿や、厳しく他のミスを指導する姿を見ていました。

家での父親はとても優しく、私は怒られたことがありません。私は父親がとても大好きで、将来なりたい姿は、ずっと父親でした。

現場を手伝っているころから、私には父親の仕事が向いていないと感じていたので、大学就職後は税理士事務所で働いて、数字の面から父親をサポートしていました。

私は工業大学卒なのですが、初めて新卒で入社した税理士事務所は、素質があれば入社出来るとかで、簿記も会計も何もわかっていない状態でも入社が出来ました。

私は起業家支援の部に配属されて、日々頑張って仕事をしていたのですが、上司のパワハラで、メンタルがどんどん悪くなっていきました。業務量も非常に多く、会社に泊まることも珍しくありません。また、困ったことに税理士の仕事をいくらやっても興味がわくことがありませんでした。

経営者の方と話をするのは非常に面白いのですが、肝心な税務の勉強に興味がでなくて、やる気が起きません。担当のお客様からはクレームが来たり、売り上げが下がったりと、私はどんどんみじめになっていきました。

不眠が続き、死にたい衝動が抑えられなくなった時に、精神科医から言われたのが適応障害でした。

運命の出会い

適応障害になった私は、税理士事務所を辞めるにしても、何をすればいいのかわかりません。

そんな人生の迷子になっている中で出会ったのが、キャリアコンサルタントをしている恩師でした。

その恩師に事情を話し、今後のキャリアのために1歳からの人生の振り返りをしてもらいました。振り返りをすると、私は数字に全く関わっていないことが分かりました。

どうやら、自分のことなのに気が付かなかったのですが、幼少期から自分を慰めるために元気が出る言葉や温かい言葉を探すことに時間を使い、手先のスキルを身に着けるような勉強は一切していませんでした。また、詩の話や面白い本の話になるとテンションが非常に上がるという人間だったのです。

恩師のすすめもあり、私はさっそく税理士事務所を退職し、出版の仕事をし始めました。

出版の仕事は私に合っていて、今までの税理士事務所の仕事と比べたら労力は1/5、成果は3倍になりました。

そして、心が楽になっていくと、ご縁がご縁をよび、学校に馴染めない子供の支援もしています。

おわりに

ここまで読んでいただき誠にありがとうございました。

これから、毎日noteを更新していって、私が大好きな「言葉」で役に立てれたらと思っています。

インタビュー記事や執筆などもやっていきたいと考えております。

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