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【プラハのドイツ語文学 読書ノート】ヘルマン・ウンガー『切断された者たち』

ヘルマン・ウンガーHermann Unger『切断された者たち』

 前回の投稿からしばらく時間がたってしまったが、今回も続いてヘルマン・ウンガーの中編小説『切断された者たち』を紹介しようと思う。ウンガーの経歴については前回の記事を参照されたい。

『切断された者たちDie Verstümmelten』(1922) あらすじ

 フランツ・ポルツァーは、20歳で銀行員になってから決まった時間に家と職場を往復するだけの単調な生活を送っていた。
 彼は幼くして母を亡くし、商人の父とその妹と共に暮らしていた。父も叔母も彼に厳しく、ポルツァーは幼いころから店の手伝いをさせられていた。彼は、父と叔母の間に身体の関係があるのではないかと疑っていた。
 ポルツァーは、裕福なユダヤ人の同級生のカール・ファンタの親友だった。彼はカールの父の援助を受けて、親友と共にプラハの大学に進学することになる。ポルツァーは優等生だったが、翌年カールが病で療養しなければならなくなったため、勉学を諦めざるを得なくなった。その際カールの父が彼に紹介してくれたのが現在彼が務めている銀行だった。彼は勤め先の近くにある未亡人の家に下宿し始める。
 未亡人クラーラ・ポルゲスは、かいがいしくポルツァーの面倒を見たが、幼いころに叔母の裸体を目の当たりにしたり、女中に性的な悪戯をされたせいで女嫌いになったポルツァーは、なるべくポルゲス夫人と接触しないように気を付けていた。しかし下宿し始めて17年目、ポルゲス夫人は、ポルツァーが自分に親しく接してくれないことを嘆いて泣き始めた。ポルツァーは仕方がなく日曜日に夫人と一緒に遠出する。帰り道、真っ暗な蒸気船内で夫人に抱きしめられて、ポルツァーは思わず勃起してしまう。
 ポルツァーは自分の持ち物が常にあるべき位置に置かれていないと落ち着かなかった。ある日、彼のペン立てがなくなっていることに気付いた。彼が手紙入れを探っている間にポルゲス夫人がノックもせずに入ってきて、自分が盗みを働いていると疑うならば、他の下宿人を探すと主張する。ポルツァーは、毎週日曜日には一人で散歩をしてカフェで過ごす習慣だったが、彼女をなだめるため、行きつけのカフェに彼女を連れて行くことにする。以来二人は日曜ごとにカフェに通うことになる。
 ある日曜日カフェに来ると、そこにはポルツァーの同僚が一人いた。ポルツァーが隣に座っていた医者と話していると、ポルゲス夫人は突然ポルツァーの名を呼んだ。彼が夫人の方を振り返ると、夫人と親しくなった学生が何か言いながら夫人の手を撫でていた。夫人が自分の手をテーブルの下に隠すと、学生は手でそれを追い、夫人のブラウスの中に手を入れて胸を触った。と、学生はカフェを出て行ってしまっていた。
 翌週の土曜の夜、ポルゲス夫人と仲たがいをしたポルツァーは、家を追い出されるのではないかと心配で寝付くことができず、思わず母の形見の聖人画に手を伸ばす。と、聖人画が壁から落ちてガラスが大きな音を立てて割れた。ポルツァーは夫人を起こしてしまったのではないかと思い、寝間着のまま彼女の部屋へ向かい、帰宅後の一連の出来事について謝罪する。するとポルゲス夫人はドアを開け彼を自分のベッドに誘い込む。彼女はそのまま寝入ってしまい、ポルツァーもその隣で眠りにつく。
 翌日、二人は結局いつものカフェに出かけ、ポルツァーは医者の隣に、ポルゲス夫人は例の学生の隣に腰掛ける。医者と話していたポルツァーがふと夫人の方を振り返ると、例の学生がポルゲス夫人の太腿に手を置いているのが見えた。と、その瞬間、カフェにポルツァーの同僚が集団で現れた。ポルツァーには彼らに会釈をすると、ポルゲス夫人を連れてカフェを去る。家に着くとポルゲス夫人はドレスを脱ぎ、ブラウスの首元を緩めてポルツァーの部屋にやって来る。こうしてポルツァーはポルゲス夫人と肉体関係を持つようになり、職場では夫人との関係に関してからかわれるようになった。
 火曜日、ポルツァーは、病で両足を切断した親友カールを訪ねる。カールは、介助人を見つけて、ポルゲス夫人の家に引っ越したいと言い出す。どうやら彼は、身体障害者になって以来自分の介助をしている妻ドラが自分の死を望んでいると疑っているらしい。ポルツァーが家を去ろうとすると、ドラがポルツァーに話があると言って彼についてくる。彼女は、もう夫を愛してはいないものの、世間体のためにも16歳の息子フランツのためにも妻としてカールを見捨てるつもりはないと言い、介助人探しを断ってほしいとお願いする。
 火曜日、ポルツァーはポルゲス夫人をカールの家に連れて行った。ポルゲス夫人は、友人を介して体力のある男性の介助人を探そうと申し出る。次の火曜日には、カールのもとではすでにゾンタクという介助人が働いていた。彼はかつて牛の屠殺をしていたらしい。
 しばらくしてカールはサナトリウムに入院し、さらに片腕を切断することになる。退院後、カールとゾンタクはポルゲス夫人の家に引っ越し、ポルツァーの隣室で暮らし始める。しかし、しばらくしてゾンタクにも不信感を抱くようになったカールは、ゾンタクをポルツァーの部屋で寝起きさせるため、ポルツァーにはポルゲス夫人の部屋で寝てほしいと頼む。ポルゲス夫人の部屋に引っ越したポルツァーは、留守中に、自分が大事にしている聖人画をポルゲス夫人に燃やされる。しかも、同僚たちとの関係がもつれたことをきっかけに仕事もやめることになる。
 ポルゲス夫人の部屋に住み始めたポルツァーは、カールの遺産のことばかり考える夫人にいら立っていた。一体何のために金が要るのか、と尋ねたポルツァーに、ポルゲス夫人は、ポルツァーの子を妊娠したことを告げる。
 ある日ポルツァーが河辺を散歩しているとフランツに出会った。フランツはポルツァーに、父が遺産を使い込もうとしたので、母がポルゲス夫人と協力して、偽造した書類を使って今晩中に父の遺産を取り上げようとしていると告げる。またドラは、ゾンタクが開いているカルト集会に通っており、ゾンタクはその集会に毎回新聞紙に包んだ小包を持ってやってきて、彼女を洗脳しているらしい。
 帰宅後ポルツァーはカールの部屋へ行き、フランツが言っていた小包を発見する。小包を開くと、それは血の付いた白いエプロンに包まれた斧だった。ゾンタクは、かつて自分が動物を殺していたことを恥じており、その恥を忘れないために、同じ罪をあえて繰り返すのだと言う。
 ゾンタクは、ポルツァーがポルゲス夫人やドラやフランツからカールの遺産を手に入れようとしているのではないかと疑っていた。ゾンタクの言うことが分からないと言うポルツァーに、ゾンタクは、翌日教会に行ってから家に帰ってくるよう告げる。翌日、ポルツァーが言われたとおりに教会から家に帰ってくると、ゾンタクは彼をポルゲス夫人の寝室に導き、ドアを開けた。そこには裸のポルゲス夫人とフランツがいた。ポルツァーは、あわてて服を着たポルゲス夫人を連れてカフェに行き、洗いざらい話すよう言ったが、彼女は「全ては終わったことだ」と言ってごまかす。
 その日の夜ポルツァーは、夫人が眠っている間に、ずっと結われたままの彼女の髪をほどく。髪の中からは大金が出てきた。ポルゲス夫人はドラが夫から取り上げた金を髪の中に隠していたのだ。
 翌朝ポルツァーは、夫人が眠っているうちにカールとゾンタクの部屋に行き、二人に、夫人が髪の中に金を隠していたことと、自分はここから出ていくつもりだということを告げる。二時間後、廊下に血まみれの小包が見つかった。ポルツァーはそれを持ってカールの部屋へ行く。小包を開くと、そこからポルゲス夫人の頭が転がり落ちた。教会から返ってきたゾンタクはそれを見て、自分の斧が血にまみれていることを確認し、「金欲しさにポルゲス夫人を斧で殺したのだろう。この過ちを忘れないよう、再び過ちを繰り返すのだ」と言ってポルツァーを責め、彼の手に斧を握らせる。カールににじり寄っていったポルツァーは、結局力なく斧を落とし、膝から頽れる。と、玄関のベルが鳴る。ドラが訪ねてきたのだ。ゾンタクがドラを隣室に通すと、隣室からはすすり泣きが聞こえてくる。ゾンタクはカールとポルツァーを残して去ってゆく。

感想

 前回紹介した話もそうなのだが、ウンガーは気分の悪い話を書くのが巧い。『切断された者たち』は、最初から最後まで読むのが苦しい作品だった。特に終盤は畳み掛けるように胸糞悪いシーンが展開してゆくので、頭がくらくらした。最後の30頁が辛い…。
 前回の記事でも書いたが、ウンガーほど自然に、異常な精神や感覚の持ち主を描くことができる作家はそういないと思う。潔癖症のポルツァーの内面描写や、男性と金にあくなき欲望を抱き続けるポルゲス夫人の行動もさることながら、重病ゆえに誰も信じられなくなり、卑屈になってしまったカールの態度や汚い喋り方にも非常に説得力がある。障害者の鬱屈した感情を描いているという意味でも価値があるかもしれない。「優しくて、素直で、頑張り屋さん」という「都合の良い」障害者イメージがはびこる現代において、健常者にとって「大いに都合の悪い」障害者カールの姿には、単に障害者だけでなく、他人よりも劣った存在であるという自己認識ゆえにねじれた言動をとってしまう全ての人々の姿が凝縮されているように思う。タイトルは『切断された者たち』と複数形を取っている。すなわち、カールだけでなく、この物語の登場人物はみな多かれ少なかれ「切断された」「不具の」者たちなのだと考えられる。
 1922年発表なので、時代背景は第一次世界大戦後のプラハだろうか? ポルツァーは仕事を辞めたい、ポルゲス夫人の家から追い出されるのではないか(あるいは後半では早く家を出たい)と思いながら、この時代に仕事にありつくのがいかに大変か、信頼できる大家さん見つけるのがいかに大変かが強調されている。こうした中でカールの莫大な遺産が様々な人々を狂わせていく様子には非常に説得力がある。皆これといった金の使い道はないにもかかわらず、「とにかくお金がいるのだ」といってカールやドラに近づこうとするのだ。「金に対する小市民の執着」という点では、フランツ・ヴェルフェルの『小市民の死』にも繋がるところがあるように思う。
 カールとポルゲス夫人が、信心深くない同化ユダヤ人として描かれているのも注目ポイントだ。母の形見の聖人画が二人に気持ちが悪く映るのを見て、ポルツァーは「どうしてユダヤ人にはこの絵が気に入らないのだろう」と考える。一体どの聖人の絵だったのかは分からないが、この辺りもどういう意図が込められているのか気になる。この辺りは、ゾンタクのカルト的信仰のこととも関係がありそうだ(ここでもユダヤ人について言及されている部分がある)。
 読み心地は決して良くない作品だったが、完成度は非常に高い作品だと言える。好きな人にはたまらない作品なんだろうな。

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