見出し画像

ブルノ滞在記27 (もうプラハにいるけど)PCRテストと旧友との再会

今朝は6時に起床。昨日は疲れて買い物にも行けなかった。追熟させていたマンゴー(チェコでは150円くらいで手に入る)をブルノから持って来ていたので、それで朝食のようなものをすます。お店で出てくるようにきれいに切れないので、皮をむいてそのままかぶりつく。なんという贅沢……。まるでジャングルの猿になった気分だ。

マンゴーを味わい尽くしてから夫と電話。昨日の疲れが取れていないのか、電話が終わった後も買い物に行く気になれず、なんとなくメールチェックなどをする。と、ふと2018年に若手向けのチェコ文学の翻訳コンテストを受賞した際に仲良くなった韓国人のJちゃんとちょっと会えないだろうかという考えが頭に浮かんだ。今日の夜は空いているし、明日はお昼にチェコ文学センターの方とランチがある他に夕方までは何も予定はない。明後日も渡航前にカフェで一緒に朝食くらい取れるかもしれない。急な連絡だし、迷惑ではないだろうか…?と何度かメールを削除しては書くを繰り返したのだが、送るだけ送ってみようと送信ボタンを押した。

Jちゃんは2018年の夏にコンテストの受賞イベントで出会った。部屋が同室で、お互いに恋話や「東アジアのアイドルがまじで嫌い」という話で盛り上がった。今でも世界的に大人気のK-POPは、少なくとも日本の女性アイドルグループと比べてクオリティも高ければ倫理観も政治意識も高い気がする(自分で見たり聞いたりしないのでわからない)。ただ、少なくともJちゃんは、当時のK-POPをすごく嫌っていた。「だって超スキニーな子ばっかりじゃない? あれが理想と思われたら、普通の女子はやっていけないでしょ」と、彼女は言った。後でわかった話だが、彼女は一時期自分の母に勧められて痩身用のクリニックに通わされていたらしい。わたしの目から見ると彼女は全然太っていないし、小柄でかわいい女性だと思う。というか、太っていたとしても彼女はとても魅力のある女性だ。愛嬌があって、かつ英語もチェコ語も堪能で、学生でありながら通訳や翻訳の仕事もバリバリこなしていた。そんなJちゃんが、K-POP的なアイドルの体型に無理やり押し込まれざるを得なかったと思うと心が痛んだ。

その後わたしは、一度彼女に会いに韓国を旅行したことがある。釜山に入国して海の幸を満喫して、ソウルでは彼女の家に1泊して一緒に韓国料理を作ったりした。そういえばチマチョゴリのレンタルをして街歩きをした気もする。博物館を案内しながら、ヨーロッパ人を案内するときは干支とか歴史とか色々教えてあげなきゃいけないけど、あんたは日本人だから解説が楽だわと笑った。

その後彼女はスロヴァキア人の婚約者と結婚した。何度か絵葉書のやりとりをしたが、その後どうなったのだろうか? 確かソウルでの結婚式は延期にしたと言っていた気がする。

その後日本には韓国フェミニズムの大ブームがあり、何冊も韓国の作家の本を読んだ。そういえばちょうど彼女に会いにソウルに行った時もハン・ガンの『菜食主義者』を読んでいて、感想を伝えたはずだ。彼女も、ハン・ガンはどの作品を読んでもすごい、と言っていた。2018年の翻訳賞の授賞イベントではMoment Joonもおすすめした気がする。もし今回彼女に会えたら、イ・ランの話をしようと思う。

彼女にメールを送ったのち、ふと、帰国後に自分が主宰するイベントが1ヶ月前に迫っていることに気がついた。『翻訳文学紀行Ⅲ』の朗読イベントである。急いでSNSで宣伝をし、会場と朗読者などとの間で打ち合わせの日程調整を行う。

2月頭に一度打ち合わせをしたのだが、いずれのイベントに関しても、朗読者の演技が非常に優れている。我ながらぴったりの配役だったと思う。当日は、訳者本人による解説もついている。イベントは全体で1時間半ほど。対面(大阪)と後日動画配信の二種類が選べるので、もし興味がある方はぜひお申し込みいただけると嬉しい。当日は会場で、『翻訳文学紀行Ⅲ』の第2版を特別価格で販売するつもりだし、もしかしたらいつも好評の有園菜希子による表紙デザインの展示も行えるかもしれない。

そうこうしている間に、PCRテストの時間が近づいて来た。検査所までは徒歩10分。検査は一瞬で終わった。去年病院にかかってPCRテストを受けた夫からは、鼻の奥をこれでもかというほどぐりぐりされてすごく痛いと聞いていたが、チェコのPCR検査は長めの綿棒で鼻の奥をちょんとつついたくらい。本当にこれで大丈夫なのだろうか……?

友人との待ち合わせ時間まで30分強あったので、サンドイッチとコーヒーでも買おうと周囲を散歩する。現在滞在しているプラハ4区のカルリーン Karlín は、元労働者街でロマも多い地域だったが、2008年に大洪水があった際に再開発が行われたため、現在では子育て世帯や若者世代が多く住む地帯となっているようだ。元々住んでいた労働者やロマたちはいったいどこへ行ったのだろう? そういえば卒業論文で扱った、チェコ最後のドイツ語作家と呼ばれるレンカ・ライネロヴァー Lenka Reinerová という作家もカルリーン出身だった。アイスネルと同じく貧困世帯出身でチェコ語とドイツ語のバイリンガル、ユダヤ系の出自だ。子どもの頃に労働者デモを目撃して、そこで初めて「プロレタリアート」という言葉を知ったというようなことが作中で書かれていたように記憶している。そんな元労働者街カルリーンも、最近では小洒落たカフェやブティックが立ち並ぶモダンな街になっていた。

画像1

広い公園もあって、子どもが遊んでいる。Bioを売りにしたすごくかっこいいパン屋兼カフェに入ると広々とした空間に音楽が流れており、パンだけではなくBioの野菜やチーズ、ハムが並んでいた。ベルリンにでもありそうなカフェだ。ブルノ人には口が裂けても言えないが、思わず「おぉ都会……」と思ってしまった。パストラミサンド(パストラミサンドは、エトガル・ケレットの『あの素晴らしき七年』を読んで以来、見つけると買ってしまう。そして、美味しいなぁと思いながら、ちょっと切ない気持ちになる)とカフェラテをテイクアウト。まぁまぁいい値段……。やはり物価は上がっているようだ。コロナのためなのか、ウクライナ危機のためなのか……。待ち合わせ場所に向かいながら分厚いパストラミサンドにかぶりつく。

Jはわたしが2012年に初めて留学に来て以来の友達で、いつもチェコ語の文章を書くときにネイティヴチェックをしてくれる。本当はその仕事の分の支払いをしたいのだが、彼は「友達だから」と言って頑として受け入れない。

まずは、わたしがオンラインで注文していた本を受け取りにプラハ4区のヴィシェフラト Vyšehrad にある古本屋へ向かう。引っ越しの際に紛失した一連のアイスネルの本である。彼はチェコではカフカ の紹介者としてよりも言語学者として知られているのだが、その書きぶりにはチェコ語への親しみや愛着が溢れていて、難しいながら、読み手に「チェコ語ってやっぱりいいなぁ……」と思わせてくれる。彼の代表作は「聖堂と要塞 Chrám i tvrz 」。Jに、「最近の日本語のスラングではこういうのを鈍器本と言うんだよ」と教える。

画像2

鈍器本であることは自覚の上で注文していた。なんと言っても元々持っていたのだから。しかし、まぁまぁの量である。古本なので安かったけれど……。でも、もう流石にこれ以上買うと帰りが大変だから買わないことにする。……多分。

その後近所の教会などを探索して、カフェでお互いにあれこれ積もる話をする。チェコには日本企業の下請け工場が多く、また、音楽留学生も多いため、日本人の人口は多かったのだが、コロナ禍でかなりの人が日本に帰国してしまったのだそうだ。そのためJは、「最近は日本語全然喋ってない」と残念そうに話していた。一方、チェコの劇場で活動している日本人のバレエダンサー(プラハ以外の地域にもたくさんいるらしく、プリマバレリーナすらようだ。すごい!)とも仲良くしているらしく、なんと国立劇場のバレエの演目は大抵友達から招待してもらえるのだと言う。『くるみ割り人形』も『眠りの森の美女も』『白鳥の湖』も『ジゼル』もほとんどの演目を観に行ったらしい。なんてうらやましい……。

3年半で、プラハは大きく変わってしまった。どんどん都会になっていく。中心部だけは、まだなんとか古い雰囲気を残してはいるけれど……。部外者のくせに、勝手に残念な気持ちになってしまう。

帰宅すると、朝受けたPCR検査の結果が届いていた。無事陰性だった。ひとまずほっと胸を撫で下ろす。

今のところ、Jちゃんからはまだ連絡が届いていない。明日は昼間にナームニェスチー・ミール Náměstí míru でチェコ文学センターの方と昼食をとって、夜はルトチェンコヴァーさんの参加するマグネシア・リテラにノミネートされた作家たちの朗読会に足を運ぶ。チェコ最後の夜。とても楽しみだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?