ブルノ滞在記23 諸々の手続きと美術館巡り、昨日のトゥーゲンハット邸見学
今日は疲れた。久しぶりに頭がプスンときそうになった。それにもかかわらずnoteを書いている。書くことで頭が整理される気がするからだ。
今日は7時前に起床。疲れていたのだろうか。ぐっすり眠った。朝食を食べてから夫と電話する。気がついたらチェコ滞在も残すところ1週間。最後の3日間はプラハで過ごすので、ブルノを発つのは週明け月曜日だ。今日はまず帰国の際に必要な手続きの確認を行なった。ちょうど先日チェコに1週間ほど滞在して関空から帰国した知り合いがおり、SNSに関空での手続きの詳細を共有してくださっていた。直接連絡をとって、プラハでPCR検査を受けられる場所や予約方法などを聞いてみる。続いて入国用のアプリのダウンロードし、必要事項を入力。わたしはこうした細々した事務手続きがひどく苦手だ。本当に自分が持っている書類で問題がないのか、時間的に間に合うのかなどといったことが気になって、ひとりイライラしてしまう。これはまずいと思って薬を飲んだ。
知人は帰国に必要なものに関して丁寧に説明してくれた。関空での入国ではかなりの距離を歩かされるらしく、かつ、到着後空港の外に出るまで2時間弱はかかるとのこと。プラハでの入国は1時間もかからなかった。もしかしたらこの旅の1番の難関かもしれない。
彼が到着した時には、ウクライナからの難民の方がおられたとのこと。入国手続きについて、ウクライナ語やロシア語による説明がなく、またデジタル機器に不慣れな方もいたらしく、彼らの入国手続きに付き添って結局外に出たのは到着から4時間後だったらしい。えらい。でも、その場に居合わせたら、そりゃあそうなるよね。わたしは大丈夫だろうか、と不安になる。多分助れば肉体的にも精神的にもかなり疲れるだろう。かといって助けなければ、良心の呵責に苛まれると思う。自分の性格的に、やはり見て見ぬふりはできない気がする。帰国日までに状況が改善されていたら良いのだけれど……。とりあえず機内持ち込み荷物に薬を多めに持って行っておこう。
次に、プラハ移動後の宿泊先についてチェコ文学センターに問い合わせる。出国前の時点では、プラハに住居を用意できると思うという話だったが、以来連絡が届いていなかった。こちらもブルノでの日々に夢中になって、連絡をすっかり忘れていた。時間が経つのは本当に早い。
午後になってからようやく重い腰を上げて、冷蔵庫の残り物で適当な昼食を作り、友人のお母さまに作っていただいたお気に入りの白のロングスカートに着替える。午後は国立美術館に行くことにした。ブルノ・モラヴィア図書館の方から国立美術館に無料で入れるカードを貸していただいたからだ。
ひとつはモラフスケー・ナームニェスチー Moravské náměstí にあるブルノ・モラヴィア国立美術館 Moravská galerie v Brně 。もう一つはフス通り Husova にあるプラハ人の宮殿 Pražákův Palác (なんでこんな名前なんだろう??)。
前者では、「ブルノ ウィーンの郊外 Brno předměstí Vídně 」という常設展示と、「洗練された女性 Civilizovaná žena」という企画展が開催されていた(カバー写真は同展示内にあった女性向けの読書ルームの再現)。常設展示では、ルーベンスの作品や、クリムトやシーレの作品(特にスケッチ)も多く展示されており、とても貴重な作品をたくさん見ることができたのだが、個人的には企画展の方が心が惹かれた。19世期末から20世紀前半にかけての女性向け雑誌のイラストや女性の服の変遷が映像なども交えて展示されていた。
プラハ人の宮殿には、現代美術が多く展示されていた。ボフミル・クビシュタ Bohumil Kubišta やヨゼフ・チャペク Josef Čapek などキュビズムの芸術家の作品や、ミュシャ Mucha の作品などが展示されていた。良い作品はいろいろあったのだが、個人的に特に気に入ったのはフランチシェク・フォルティーン Fantišek Foltýn という表現主義・キュビズムの画家の作品で、その名も『ドストエフスキー Dostojevskij』。
めっちゃ似てる! ちなみにその隣には『ラスコーリニコフ Raskolnikov 』も。
わかるわ……。ラスコーリニコフ、会ったことないけどこんな雰囲気やと思うわ……。
そんなふうに美術鑑賞をしている間に、アテンドの方から連絡が届いた。なんと、今になって、ブルノを発つまさにその日に、ホストHostというチェコの出版社から面会をしませんかという連絡が届いたというのだ。ホストは、チェコで一番と言って良いほど文芸書が強い出版社で、ビアンカ・ベロヴァー Bianca Bellová 、アレナ・モルンシュタイノヴァー Alena Mornštajnová もラトカ・デネマルコヴァー Radka Denemarková もカテジナ・トゥチコヴァー Kateřina Tučková も、近年話題になっている作家のほとんどがこのホストという出版社から本を出している(ここでわたしがすぐに頭に浮かぶ作家がみな女性作家なのは、わたしの趣味が偏っているのか、チェコの女性作家の活躍が著しいのか、どちらなのだろう?)。装丁もいずれも美しく、読者が思わず手にとりたくなるような、そして、「これは多分ホストの本だな」とわかるような工夫がしてある(たまに、「うーん、これは内容と合ってなくない?」とか、「これは分厚すぎるから絶対2巻に分けるべき!」みたいなものもなくはないが)。翻訳者としてはもちろんだが、出版に携わる者として会っておきたいという気持ちもある。しかし、わたしの脳のキャパシティは大丈夫だろうか(すでに頭がプスンときてるんじゃないか?)? そう思いながらも、とりあえずプラハでの滞在先の都合と出版社の都合と相談してみることにした。もうだめだ……と思ったら、キャンセルしよう。向こうには申し訳ないけれど……と脳内で呟きながら、「いや、向こうも今頃になって連絡してきたのだから、申し訳なくない!」と訂正する。
ちなみに、昨日訪れたトゥーゲンハット邸は非常に興味深かった。機能主義建築の代表的な建物で、20世紀初頭に、当時ブルノに住んでいたユダヤ系ドイツ人の大富豪トゥーゲンハットが、当時ほぼ無名だった建築家ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ Ludwig Mies van der Rohe に、「金に糸目はつけないから、良くて新しいものを作れ」と命令して作られたそうだ。デザインがシンプルである代わりに、アフリカ産の木材や当時最新技術だったリノリウム、特別な大理石を用いるなど素材にこだわり、緻密に設計されてる。3階建の非常に巨大な邸宅だが、なんと着工から14ヶ月で完成したという(今のチェコでは考えられないスピードだ)。実は渡航前に、バウハウスにライター・イン・レジデンスとして滞在していたドイツの作家の作品を翻訳したのだが、その際バウハウスの歴史についてかなり調査した。そのため、解説が非常に頭に入ってきやすかった。
トゥーゲンハット一家はこの邸宅に住み始めてしばらく後に、ナチスによる迫害を逃れて亡命。邸宅はゲシュタポに没収され、かなり荒らされたという。その後共産主義時代には、邸宅はリハビリ施設に使用されたりなどしたそうだ。1992年に、チェコスロヴァキアの分離調停が行われたのもこの邸宅。2000年代にユネスコに登録されてからは、かなりの予算をかけて再建が行われ、現在はほぼ毎日見学ツアーが行われている。ただし、予約がいつも半年ほど埋まっているが。
建物ももちろんだが、何よりも庭が広々として美しかった。
明日は午後に図書館に最後の本を返しに行って、その後1ヶ月ずっと世話を焼いてくださったアテンドの女性の家を訪問する。彼女の犬を連れて、自然の中を散歩するつもりだ。良い天気になりますように。
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