変化への恐怖と変化があるから可能になる時間

2024年春から、日本でフルタイムの大学教員になることが決まり、17年住んでいなかった日本への移住という大きな変化を前にして、どうして今の、演奏公演を頻繁に行えて生活していけている割合心地の良いアメリカでの環境で居座ることを選ばないのか、と何回も何回も自分に問う毎日です。でもこの変化を引き起こしたのは自分がそれを引き起こすための行動を取ったからで、この変化というのが実は私が求めていたものだったということ。それを忘れそうになる程来たる変化を恐ろしがっているのが近況です。

つい先日まで本当に、来たる変化に怯えて恐怖の暗闇でそろそろ自分の下した決断に後悔までし始めていました。底をつき始めたくらいのタイミングで、「いやいや、変化が欲しかったのは自分でしょう」、「どんな気分がこの仕事への応募を後押ししたのか思い出してみては」、というところに考えが及び、はっとしました。

このリマインダーは真っ暗な洞穴に差す一筋の光のように衝撃的で(大袈裟なようだけど本当にそんな気持ちだった!)、そこでやっと、クラシックのコンサートピアニストとして演奏していくだけではどこか物足りない感が根深くあったんだという再認識が降ってきました。他のことがやりたくなってきてたんだな、と。
演奏指導のパートタイム大学講師職と一ヶ月に3、4回の演奏会、他のコミュニティ向けの仕事、どれも思い切った挑戦がどれもあまり評価されない虚しい感じがあり、求められているスキルはすでに余裕を持って供給できる経験も積ませていただいたので、ヒリヒリするような学びもあまりないという感覚が後押しになったんだと思います。ピアノ室内楽やデュオの演奏自体はどんどん面白くなってきてるけれども。(←ここが恐怖を後押ししてた)

春からの仕事にイェスと言ったのは、これに就いた方が条件がいいからというよりは、挑戦を評価してくれそうな職が目の前に現れたから、というのがいちばんの理由かもしれない。分野横断的でクリエイティブで、刺激的な音楽を作ってそれをコミュニティの役に立てたい。それを人と繋がる媒体へと昇華したい。そういう私の欲を後押ししてくれそうでありがたいというか。

刺激的な音楽を作ったり、作りながら人と繋がったりするためには、自分がまず融通のきく柔軟な音楽ツールを持っていないと始まらない。と前々から心の底で思っていたことも思い出しました。それが積もり積もって、もっと柔軟な音楽の実力をつけるための環境に向かって、本能的に動いていたのかもしれない。それで出た結果が今なのかもしれません。

これからは、食べていくためにクラシック音楽の演奏をしなくてもよくなったんだから(公演回数よりも公演の質にうるさくなれる)、お金のためにしていた公演をしない分の時間と労力を他のことに使える。しかもこれからの仕事は今まで伸ばしきれていなかった部分のスキルや経験を伸ばしていくことに直結している。ということは、実際に柔軟な音楽ツールを身につけていけばいいんだ!むしろ身につける機会を勝ち取ったんだ!そういうことだったんだ!と閃いて、めちゃめちゃ心が晴れました。一周した感じがしました。笑

もちろんクラシック音楽のピアノ演奏はこれからも自分にとっては原動力で、磨き続けて実践していかないといけないし、いきたいです。それが日本でもまたアメリカや他の海外でもできるようにこれもまた工夫せねば、ということです。

ということで、新しいことを色々と勉強しはじめています。その過程をぜひ共有させてください。

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