fire star
毎年、夏になるとサークルの仲間五人と一緒に海沿いのコテージへ行ってバーベキューをする。夜には花火を楽しんで、お酒片手に星空を見上げるのが毎年の楽しみ。今年でついに四回目、サークルのみんなと過ごせる最後の夏だ。来年にはきっと、みんながそれぞれの環境で新しいコミュニティに身を置いている。
「うっそ、雨?」
バーベキューの終盤、加奈子の声がして、空を仰いだ。曇天。朝の天気予報では晴れのち曇り、だったのだけれど。
ぽつ、と頬に滴が落ちる。
痛い訳なんてないのに、まるで注射をされる時みたいに思わず目を閉じた。
雨はあっという間にざーざーと降る。屋根の下に避難しながら、みんなで深い曇天を仰いだ。
「せっかく花火持ってきたのに」
「ちょっとくらいできないかな?」
「今やればいいんじゃん?」
「まだ明るいよ」
「っつーか見て、波やべー」
うねる灰色は、ふだん泳いで遊ぶ青い海とは全く違って見える。まるで意思を持ったイキモノみたいに、荒々しくうごめく海。その波の動きが自由なのか、自由じゃないのかは、わたしには分からないけれど。
「あ、やっべ! マッチ出しっぱなしだ!」
巧が突然大きな声を出したから、みんな少しだけ肩を揺らして彼を見た。茶色い髪が、湿気に負けてぴょんと跳ねている。
「はぁ? もー、巧ほんっと馬鹿! 花火できないじゃん」
「誰かライター持ってねぇの? 紗枝とか喫煙者だろ」
「あたし禁煙したってば。あんた何回同じこと言わせんの?」
「シンは人の話聞かない名人だもんねー」
「ほんとだよ。心って漢字つけたお母さんが泣くよ?」
「うるせぇな、心ってつけたのは父さんだよ。何回も言わせんな」
加奈子のアシストに便乗した紗枝の言葉に心が応戦する間、加奈子が巧の肩をパシンと叩く。いってぇと大きな声で巧が唸り、それでも即座に「アイス奢るから」と口にして加奈子のご機嫌をとる。二人はいつもこんな感じだけれど、何だかんだで仲が良い名コンビだ。
紗枝と心はお互いに他人の話をあんまり覚えてないけれど、成績優秀で落ち着いていて、わたしからするとちょっと憧れるタイプの人。加奈子と巧が情熱担当なら、紗枝と心は冷静担当で間違いない。
急なトラブルだって、結局は楽しい思い出のひとつに変わるということを、わたしたちはこの四年間でよく知っている。「何であんなとこに置いたのよ」と文句を言いながらも、アイスの交渉に乗って笑う加奈子の声がする。だってさぁ、と唇を突き出しながらも楽しそうな巧の横顔に、なんだかわたしたちまで笑ってしまう。
結局、持ってきた花火は未開封のまま。
湿り気を帯びた海風の匂いは、なんだかほんの少しだけ寂しいような気もする。
雨にさらされてふにゃふにゃになったマッチの小箱は、砂浜の大きな岩の上で雨を浴び続けている。火がつけられなくなってしまったマッチって、それじゃあ、いったい何になれるんだろう。
雨が降り始めてから、急に空は暗くなった。今なら花火もできそうなのに、なんて、ほんの少しだけ思ってしまったり。
「ライター、買いに行く?」
確かちょっと先にコンビニがあった。コテージまで戻れば車はあるから、不可能ではないはずだけれど。わたしの提案に、みんなが少し考えるように空を見る。
「あー、だめだわ。今調べたけど、あのコンビニ16時までだって」
「うわでた、24時間営業じゃないコンビニ」
「そんなの全然コンビニエンスじゃないじゃんね」
またみんなで笑う。そっか、とほんの少し肩を落として、腕の中に抱えたままの花火を見た。
「それじゃあ、雨が弱くなったらコテージ戻ろ」
「うん。もしかしたらコテージにライターとかあるかもだし」
「巧のアイス奢りは帰りだなー」
残っていた缶ビールを飲みほして、巧が「やっすいやつな!」と念を押す。加奈子は聞こえないふりをしているし、紗枝も心も「ハーゲンダッツだな」と当たり前のように口を揃えているけれど。
わたしは花火を抱えたままで、みんなの様子を見て小さく笑った。来年の今頃って、みんなはどうなっているんだろう。
「火、点けられるけど」
諦めモードに入っていた四人とわたしが一斉に後ろを振り返る。一人だけ雨模様も見ずにスマホをいじっていた悠希が、ゆっくりと画面から顔を上げた。
「花火、やるんでしょ?」
こういうときに、ほんの少しだけ目を細めて静かに笑う悠希の顔が、わたしは少し好きだったりする。悠希とは学部も違うし、サークルにも不定期にしか来ないから、直接会話したことは他の子に比べて少ないけれど。穏やかで優しそうな雰囲気とか、何を考えているのかよく分からない感じとかも含めて、もっと仲良くなりたいなと思っている人、ぶっちぎりのナンバーワンだ。
「何だよ悠希ライター持ってんの?」
「早く言えよー」
「あんた煙草吸うとか知らなかったんだけど」
驚きと喜びと安堵、そんな空気が一瞬張りつめてぱしんと弾けた。みんなが投げる言葉の空気が心地よくて、何だか嬉しくて、わたしもふふっと笑う。
「いや、ライターは持ってないけど」
煙草も吸わないしと悠希が緩やかに手を振って否定する。「じゃあ何? 木の棒でごしごしやるの?」と加奈子が揶揄えば、またみんながざわついて。そのやり取りに静かに笑って、悠希がポケットから鍵の束を取り出した。
「これで、火つけられるよ」
悠希が取り出したオレンジ色のそれに、みんなの視線が集まる。ライターじゃないけれど火がつく何か、なんて、わたしの知識の中で正解は出てこなさそう。
「何それ?」
「あー、知ってる。キャンプのときに持ってきてたやついたわ」
「ペン?」
「馬鹿、ペンでどうやって火つけるんだよ」
加奈子の言う通り、見た目は確かにボールペンや懐中電灯にも似ている。悠希がスマホをポケットに入れながら、わたしの方に歩み寄って花火の袋を指さした。
「それ、いくつか貰っていい?」
「あ、うん……!」
袋を開けて、中から二、三本の花火を取り出す。悠希がさっきのボールペンもどきをくるくると回して、中から鉛筆の芯みたいなものを取り出した。反対側もくるくると回せば、今度は小さな部品のようなものが出てくる。
「何か燃やせるものあるかな。紙とか布とか」
「巧のTシャツ」
「おい!」
間髪入れない加奈子と巧のやり取りに、またみんなで笑う。こういうくだらないやり取りで笑えるのも、もしかすると今だけの特権なのかもしれない。だとすると、あまりに寂しすぎるけれど。
「バーベキューの残りの炭とかは?」
「あたし要らないレシート大量にある」
心と紗枝が適当に燃えそうなものを集める。わたしも、花火の入れ物の中にある紙を提供しておいた。
「じゃあ、点けるね」
悠希がしゃがみこんで、さっき分解した部品のようなもので鉛筆の芯を何度か削る。一度みんなを見上げて、それから再び視線を下ろせば、今度はシュッと勢いよくペンの反対側を擦った。
「わ、すごい……!」
火花が散って、それが広がって。まるで魔法みたいに一瞬にして、火が炎へと育っていく。生まれた炎を眺める悠希の顔が照らされて、ほんの少しだけオレンジ色に染まって見えた。みんなが拍手をしている中で、悠希がゆっくりと立ち上がる。
「さ、早くやっちゃおう。花火」
雨音がする中で、わたしたちは身を寄せ合って花火に火をつけた。
荒い波の音と雨音を聞きながら、わたしたちはこれまでの時間を丁寧になぞるように、赤や緑の光の中でたくさん喋ってたくさん笑った。
悠希が持っていた『鉛筆のようなもの』はファイヤースターターという道具で、いわば現代版の火打石だと、物知りな心が教えてくれた。悠希はキーホルダー代わりにいつもつけているそうで、その理由がまた不思議で何となく笑ってしまう。
のんびりしていたら花火自体が湿度に負けそうで、みんな急ぎ足に、少しだけ乱暴に花火を消費する。巧は屋根の下だけじゃ狭いからと、途中からずぶ濡れになるのも厭わずに屋根の外へ出てはしゃいでいた。もちろん、花火がすぐに消えてしまって加奈子に叱られていたけれど。
「悠希、このメンバーでいるの楽しい?」
線香花火に火をつけながら、何となく尋ねてみる。本当はずっと、いつもほんの少しだけ気になっていたことだった。加奈子や巧みたいに賑やかなタイプでもなく、紗枝や心みたいにツッコミを入れるタイプでもない悠希は、このグループの中でちゃんと楽しめているのかなって。わたしと加奈子は同じ学部だし、巧は加奈子と高校が一緒。心は巧が勧誘して連れ込んだ男の子だし、紗枝は心と学部が同じだ。女子三人で遊ぶことも多いし、同じ短期バイトをやっていたこともある。けれど悠希だけはあまり接点がなくて、確か一個上の先輩に誘われて何となく入ったと言っていた。悠希は心みたいにストレートに物を言わないし、巧みたいにころころと表情を変えたりもしないから、わたしは彼が楽しんでいるのかどうかって、余計な心配をいつもしていたように思う。
ぱちぱちと線香花火が燃える。それを見ながら、悠希が言った。
「やりたかったんだ、花火。僕らの夏はもう終わるから」
思わず顔を上げて、悠希を見る。相変わらず静かな表情ではあるけれど、それでも、この時間を大切に思っているということは十分に伝わった。だって、すごく優しくて、凪いだ笑みを浮かべている。寂しさよりは清々しささえ感じさせるような、そんな顔。
「……まだ続くよ。夏休み、あと一ヵ月もあるもん」
なんとなく寂しくなって、膝を抱えた姿勢のままそんな屁理屈を返してみる。本当は「終わってほしくない」だけだっていうことも、ちゃんと奥の方ではわかっているけれど。
悠希は小さく笑って、頷いた。火が弱くなっているのに気付いて、うちわ代わりの花火の入れ物でぱたぱたと空気を送る。悠希の手の動きに従って大きく深呼吸をする炎は、なんだか本当に生きているみたいだ。呼吸して炎が大きくなると、ほんの少しだけ、顔が熱い。
「……火、ついてよかったね」
最後の花火が、できてよかった。
大学生活が終わった後のことなんて、今はまだまだ想像もつかないけれど。妙に気合いだけが先走って、そわそわと落ち着かない心地になるばかりだけれど。でも、その日は確実にやってくるのだと知っている。だからこそ、今日のこの花火を、諦めずに済んでよかったと心底思った。悠希が火をつけてくれて、本当によかった。
ぱちぱちと、しゅわしゅわと、音を立てていた線香花火が静かに消える。ぽたりと落ちるオレンジ色の光の玉は、案外唐突に地面へと溶けてしまうんだ。膝を抱える掌がほんの少し汗ばむ。暗い地面に落ちた光の玉は、いったいどこへいってしまうんだろう。
悠希は、少しでも多くの可能性をその手に持ちたいと言った。その中から選んだ時にこぼれていったもののことにも、きちんと意識を向けられる人間で在りたいのだとも。可能性を多く持てば持つほど、選んだ時にこぼれていくものは多くなる。優柔不断で臆病なわたしは、それって苦しくないのかなと思ったりもしたけれど、何となく、悠希に尋ねることはできなかった。
巧がロケット花火に火をつけて、加奈子がネズミ花火を巧に仕掛ける。
心が巧に無茶ぶりをして、紗枝がそれをどんどん煽る。
加奈子はメイクが崩れるのも忘れて爆笑して、わたしの肩をばしばしと叩いた。いつもなら絶対にマスカラやアイラインの死守を優先させるのに、このメンバーでいるときの加奈子はいつも自然で可愛いと思う。
わたしも悠希も、楽しそうなみんなを見て笑った。打ち上げた花火が消えた後みたいな光の痺れは、もう少し先で味わえばいい。
花火をやり尽したら、雨がマシになるまでたき火をしよう。
四回過ごした夏の中で唯一今年は星空を見ることができないけれど、その代わりに特別なオレンジを目に焼き付ける。星にもオレンジに光る赤い星があって、あれは歳をとった星なんだよと教えてくれたのは、確か二年生の頃の悠希だった。
ぱちぱちと、火は燃えている。
この夏のオレンジを、わたしはいつまでも忘れないでいたい。
そう思うのに、雨に濡れているマッチの小箱を思い出せば、途端に何だか心細くなってしまう。少しでも多くの可能性を持ちたいと望む悠希なら、こういうときにはどうやって可能性を増やすんだろう。
今、わたしの手にはどれくらいの可能性があるのかな、なんて。考えながら、たき火の世話をする悠希をこっそりと盗み見た。
わたしたちは、ちゃんと自分の手で夏を終わらせていかなくちゃいけない。
置き去りにされた線香花火は、たぶん、どんどん湿って使えなくなってしまう。
膝を抱え直して、三角形の頂点に顎を乗せた。分厚い雲の向こう側、海に落ちていく赤い流星たちは、一面オレンジの世界を抱えて消えていくのかな。もしもそうなんだとしたら、たぶんそれはすごく綺麗で、愛しくて、とびきり寂しい光景に違いないと、そう思う。
永遠の夏を閉じ込めて、炎はゆっくりと終わりへ向かう。
***
お題「ファイヤースターター」
ファイヤースターターを扱う防災コラムを書こうと思い、いっそ小説にしちゃえば面白いかしらと思い、防災分野ではないな…と思ったのでこちらに格納。
さらについでに#beORANGE要素も加えてみた。
読んでいただいてありがとうございます。少しでも何かを感じていただけたら嬉しいです。 サポートしていただけたら、言葉を書く力になります。 言葉の力を正しく恐れ、正しく信じて生きていけますように。