【全身性エリテマトーデス】死にかけた話1(1)

今までに私死ぬかもと思ったことが大きく3回あります。

1回目は19歳のとき。腎不全。私は大学生でした。
何がきっかけということもなく、夏の終わり頃むくみが取れなくなりました。むくみは全身に起こり、手足もお腹もパンパン、顔までパンパンに。
毎月通院していたことで、変な言い方かもしれないけど「油断していた」のです。何かあれば気づくだろって思ってた。
体調が不安定なときは1ヶ月足らずで急激に悪化するらしい。

学校は坂の上にあったのですが、学校までの坂道が登れなくなりました。それどころか、数歩歩くと息切れがしてついにもう動けなくなってしまいました。
これはただごとじゃないと思ったけど自分ではどうにもできず、その日は必死に家まで帰り、両親に病院まで連れて行ってもらいました。
体重は一気に10kg以上増えていたので、体調が悪いことよりも太ったとばかり思いこんでいて、心配していた両親にも具合悪いとずっと言えなくて。吐き気も止まらなくて、何も食べられない。

すぐに入院になり、顔がわからないくらいぱんぱんになった私を見て、主治医の先生は驚いていました。
急性腎不全。すぐに人工透析が必要であることを告げられ、ぼんやりする頭で、そういえばずっとトイレ行ってないよねぇって思いながら。
周りがバタバタしている中、なんだか眠たくなってきてそのままたぶん眠っていたのかもしれません。
後で聞いたら、痙攣起こして意識なくなったり大変だったらしい。
激痛で飛び起きると、腕に太い太い注射?をされていて…見たことない太いチューブ付き。シャントなんてつくってないから、そのつど刺すスタイル。首とか鎖骨下とかからも確か刺してた。
それから週3回の人工透析が始まりました。
何回も刺すの可哀想だからって通した管をキープしようとはしてくれたんですが、体が弱りきっているせいか血管弱々で、すぐ刺し直す毎日。
体はいろんなチューブがつながれ、排尿もカテーテル。排便も看護師さん付き添いでしか行けない。何もできず恥ずかしい毎日。

2週間くらいした頃、シャントをつくるかどうかの話にまでなっていました。
このまま腎臓は働かないかもしれないと両親とともに説明を受けました。

週3回の透析。
透析室は温かく、透析が始まるとともに体に血圧計やら心電図やらペタペタ貼られて始まりました。
透析室に来る患者さんは比較的高齢の方が多く、隣の人が急に心拍数少なくなり痙攣し出す…心配蘇生始まる…なんてことがちょこちょこあり、ちょっと気が気じゃなかったです。
終わる頃にはぐったりで、これで社会復帰してる人いるなんて信じられないと思いました。

1ヶ月くらいしたらなんでだか急に調子がよくなり、排尿パックにもそれなりの量が溜まるようになりました。

何だったんだ…ってドクターが言うくらいになぜだかわからない急変でした。
史上最高の体重はすっかり元通りに。というか、むしろガリガリなくらいに痩せてしまって、浮腫であんなに体重増えてたんだって思うとぞっとしました。
シャントもつくらなくてよくなったし、後は少しずつリハビリしながら体調をととのえるだけ。

ただここから、思ってもみなかったことで苦しむことになります。
長くなってきたので、この話は2記事に分けて書きたいと思います。




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