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第3話 兵庫県丹波篠山市~神戸市灘区編|あつかんオン・ザ・ロード|DJ Yudetaro

上方の鯛が關東の鯛と比較にならぬほど美味なことは東京人も認めてゐる。が、鯛ばかりでなく、鰆でも鱸でも蝦でも鮎でも、凡そ上方で獲れる魚は大概東京のより美味だと云へる。

谷崎潤一郎『上方の食ひもの』

日本三大杜氏の地へ

兵庫県は、思っていたより何倍も広かった。
私のような関東の者からすると、パッと思い浮かぶ兵庫県の街はまず神戸、次に姫路、せいぜい明石や芦屋といった程度であるが、これらは県全体にとって瀬戸内海沿いのほんの一部の面積にすぎず、メロンやスイカでいったら皮の部分だけ、プリンでいったらカラメルの部分だけなのである。
神戸や姫路の上部に、遥かに広大な、日本海まで突き抜けるほどの面積の兵庫が存在していたのだ。
たいへんに山深く、大きな都市はない。
だが、そこには幾つかの酒蔵があり、酒を仕込んでいる杜氏がおり、日本酒が息づいている。

私は今回、初めてその兵庫県の山間部に足を踏み入れた。
県の中東部に位置する黒豆やデカンショ節で有名な歴史ある城下町、丹波篠山市。丹波焼きの里でもあるし、日本三大杜氏にあげられる「丹波杜氏」発祥の地でもある。

丹波篠山市河原町の街並み

当地に蔵を構え「秀月」という清酒を造る「狩場一酒造(※1)」が神戸市の灘にある「海蔵」という料理屋に出向いて、海鮮料理と秀月をペアリングするイベントを行う。
それを取材するにあたって前乗りした私は、酒蔵の営業をつとめる岡村さんのご厚意で、丹波篠山市内を一通り案内してもらったのである。

丹波篠山の小さな酒蔵

盛夏のみぎり、盆地の篠山はすさまじく暑かったが、河原町の妻入商家群をはじめとした美しく風情がある街並みに感動を覚えた。俗っぽい観光地に成り下がらず閑静でセンスがよく、住民の生活も息づいているのがよい。
名物の鯖寿司は酢の加減といい鯖の鮮度といい、今まで食べた鯖寿司のなかでベストといえた。

蕎麦屋でいただいた絶品の鯖寿司

続いて狩場一酒造を見学させていただいた。創業時の「亀甲藤醸造」の名前がまだ刻まれたレンガの古い煙突がシブい。
麹室(こうじむろ*)は新しいが、醪(もろみ*)を絞る槽(ふね*)は年季が入っていた。錘を挟んで搾る珍しい装置らしい。
蔵の中は、秀月の本醸造の甘く優しい匂いがぷんぷん立ち込めていて、居るだけで良い気分になってしまうほどだ。

秀月の蔵、狩場一酒造の岡村さん(左)とおかみさん(右)

近くの自社田の圃場(ほじょう*)にも寄ると、酒米の稲が青々と広がっていた。山田錦*より五百万石*の方が生育が早く、もう出穂(しゅっすい*)している。

その日は篠山から山を幾つも隔てた先の、但馬地方にある岡村さんのご実家に泊まらせていただくことになる。
山深い集落にある古民家で、着いてすぐに近くの清流に泳ぎに行った。その後は庭で、手作りの贅沢な晩御飯をご馳走になる。日が暮れると清涼な風が吹いてきて、暑さに疲れた身体を癒してくれた。

狩場一酒造の自社田。酒米の稲が青々と広がる

当日、イベントの第一部は11時開始なので、明け方5時に起き、7時には狩場一酒造に寄って準備を整える必要があった。
途中昨日の田んぼを通ると、そこには草刈に精を出す酒造の社長の姿がみえた。休日のこんな早朝から、社長自らが働いている。
私もそれを見て奮い立ち、酒瓶が何本も入ったクーラーボックスや通函(かよいばこ)を岡村さんのSUV車の荷台に積み込んだ。
朝から陽射しが容赦なかったが、一宿一飯の恩義としてこのくらいの手伝いは当然だった。おかみさんに見送られ、車は一路、灘へと南下する。

日本一の酒どころ、灘へ乗り込む!

灘は日本を代表する清酒の生産地であるが、その本拠地に丹波篠山の小さな酒蔵が乗り込んでイベントを打つというのが面白い。
しかも酒はすべて秀月で統一し、日本酒五種、料理五種、一品ずつそれぞれ異なったタイプの酒を様々な温度帯でペアリングするという。

秀月のラインナップ5種類

篠山は灘の酒造りを担ったといわれる丹波杜氏を輩出した場所としては有名であるものの、秀月ふくめ当地にある蔵の規模は小さく、お酒としては決して有名ではない。
派手さはないが優しく滋味深い味わいの秀月は、あまり他所に出回らず、ほとんどが地元で消費される。神戸市内でさえ秀月を取り扱っている酒屋は僅か一軒であり、同じ県内でも灘では無名な酒といっていいだろう。
秀月の名をもっと外に広めるべく、フェスに出店したり、関東まで営業に回ったりと色々と活動している岡村さんの、積極的なチャレンジといえた。

車は西宮、甲子園を抜け、神戸の市街地に入った。立ち並ぶマンションに4車線道路。丹波や但馬と景色は違い、さすがに都会である。
お店の入り時間までやや余裕があるということで、岡村さんは回り道して、灘五郷の酒蔵街道を案内してくれた。
車窓から眺めただけであるが、日本盛、白鶴、大関といったメジャーなメーカーは、地酒の蔵とは規模が違う。広大な敷地に、巨大な倉庫、タンクが立ち並んで、まるで化学プラントの工場のようだ。

店に到着し車を降りると、盆地の焼けつくような陽射しはないが、海を感じさせる湿った空気がじんわりと身にまとった。山から海へ、景色も空気の性質も変わっていることを実感する。

山の酒と海の幸のペアリングはいかに

旬魚処 海蔵は魚料理のお店

阪神本線の大石駅から少し歩いた住宅街にある「旬魚処 海蔵(みくら)」は、爽やかな感じの大将、中島賢一さんと、大変明るいキャラの奥様で唎酒師のかをりさんご夫婦で切り盛りする、名前の通り魚料理のお店である。
お二人ともとにかく優しくて気さくで、快く迎え入れてくださった。

通常営業時も全国の日本酒が味わえる

案内されたカウンターに座り、縦書きで丁寧に書かれた献立表とペアリング表を眺めて舌なめずりをしているうちに、お客が次々と入ってくる。11時過ぎ、色鮮やかな前菜のお皿とグラスに入った一杯目のお酒が配膳され、秀月の岡村さんのあいさつからイベントがスタートした。

一品目
「前菜五種 ・かわつえびのビスク ・ばい貝 ・かます棒ずし ・うざく ・はもの卵よせ」+「秀月 純米大吟醸」(冷→燗)

これだけで永遠に吞めそうな前菜五種

最初から海蔵のクオリティの高さをまざまざと示す五種で、とりわけかわつえびのビスクが美味しかった。
ところで、かわつえびとは何か? 知らなかったので聞いてみると、瀬戸内で獲れる今(夏)が旬の海老だという。味噌、身ともに甘味があるのが特徴で、今回は酸味も意識してビスク仕立てにしたそうだ。たしかにトマトの酸っぱさが、吟醸香控えめで穏やかな酸味をもつ秀月の純米大吟醸とよく合う。

5勺程度のグラスはすぐに空き、早くも一皿目からお酒が足りなくなってしまう。このイベントは格安の値段でお酒のお代わりが頼めてしまうという、実にけしからんシステムが導入されていた。
その際温度帯を変えることもできるのがポイントで、岡村さんの「純米大吟醸ですがぜひ燗でも楽しんでみてください」の声に誘われ、カウンターの旦那衆は次々にお代わりを注文している。私もつられて頼んでみた。
ごくぬる燗に仕立てられた純米大吟醸は、ミネラルと余韻の甘味がたち、これはこれで乙な味わいだ。

世間的には冷酒で飲むものと(なぜか)相場が決められている純米大吟醸を燗にするというのは珍しく、あまり実践されるものではないが、しかし拒否反応を示す人はおらず、みんな偏見なくニコニコと盃を傾けている。良いお客さんたちだ。熱燗主義者としては嬉しく思った。

二品目
「お刺身盛合せ ・しまあじ ・天然鯛 ・明石たこ ・剣先いか ・よこわ」+「秀月 月の氷室 生」(冷→燗)

例えるなら刺身のバラード

秀月の岡村さんが「衝撃を受けた」というお造りが登場。リースのような盛り付けが美しい。オマケでかつおも乗っていた。
一口ほおばってみると、衝撃を受けるのも頷けた。私は住んでいる土地柄、普段から新鮮な刺身をよく食べる方だが、これはクオリティが違う。特に締め方が巧いのがよく分かる。味わいが優しく甘いのだ。
身体に沁みるというか、例えると、普通の刺身がアップテンポのチャラい曲だとしたら、この海蔵の刺身はバラードなのである。
……何言ってるか分からなくなってきたが、とにかく関東ではこの味は滅多にお目にかかれない。これぞ上方の刺身、と感服した。
大将に感想を伝えようとしたが、焼き物の調理でそれどころではなさそうだ。しかし、なんとも手際とリズムが良く、所作がかっこいい。思わず箸を止めてしばらく見入ってしまった。

ペアになる秀月は、「月の氷室」という生酒を氷温貯蔵した季節限定のお酒だ。爽やかながらほのかな甘みがあって、海蔵の刺身にぴったり。これもお代わりし、お燗にしてもらった。温めると乳酸感が増して、違う表情をみせる。

三品目
「鰆の粕漬けといわしつみれのスモーク(秀月吟醸酒粕使用)」+「秀月 月の氷室 純米生」(冷)

焼き物もしっかりフレッシュ&ジューシー

かなりの大きさの「かつおのスモーク」がオマケとして一緒についてきた。さっきからオマケが太っ腹すぎて嬉しくなる。
プロが作ると、焼き物も煮物も中の身がプリプリと歯ごたえがあってフレッシュなのが凄いよな、と毎回思う。秀月の酒粕は甘くて旨く(後日いただいた瓜の粕漬けも絶品だった)対する「月の氷室・純米」のスッキリした辛口が口の中をさっぱりさせてくれるのが気持ちいいし、いわしスモークの香ばしさとの相性も抜群だった。

店内は満席で、大将もかをりさんも、そして燗付け師となっている岡村さんも大忙しである。
小上がりは女性のグループ、テーブルは二人連れ、カウンターは男性のソロ客ばかりで、年齢層はほぼ40代以上とみられたが、とにかく皆様上品だ。お互いを尊重しつつ和やかに談笑するといった態で、マナーがいい人ばかりなのである。神戸という土地の持つ品格だろうか、と思った。

四品目
「はもフライ タルタルソース(秀月奈良漬使用)」+「秀月 純米生」(燗)

フライとタルタルソースは燗酒の相性抜群

関西の夏の風物詩といえば鱧、湯引きや天ぷらを想像していたが、フライで登場。幸せを具現化したような一品だ。
衣はきめ細かくザラザラした引っかかりがない。かぶりつくと、鱧の身が口の中にほのかな旨みと香りを残しつつ、ふんわり溶けていく。真夏なのに、雪を食べているように感じた。
ぬる燗にした純米生酒のほのかな甘さはタルタルソースとベストマッチ。さらに、お酒のコクは鱧の儚さを補い、同時にフライの油を心地よくすすいでくれる。
成り行きから、カウンターで隣に座った物静かな若旦那と少し会話することになったが、彼の喋り方がまるで鱧の身のように優しいので、私は口でも耳でも鱧を味わった気がした。

五品目
「天然鯛の酒蒸し玉ねぎソース」+「秀月 上撰」(常温)

極上のペアリングが生まれた鯛の酒蒸し

フィナーレを飾るのは鯛だ。色鮮やかなエメラルドの丹波焼のお皿には、スープのようにたっぷりと玉ねぎソースが入っていて、鯛の切り身が浮かんでいた。ソースも鯛で出汁をとっているそうで、濃厚かつサッパリ、〆に相応しい料理である。
これとのペアが「上撰」なのには正直、驚いてしまった。秀月の中でも大衆酒で、普通のおかずと毎日だらだら飲んで美味しいタイプの上撰をここでぶつけてくるか!? しかも常温とは……?
しかし、鯛とソースを口に入れて上撰で追いかけたら、これが会心の一撃、とんでもなくドンピシャな相性だった。
お互いの味が持つクセというか、コクと濃さが、口内で見事にアウフヘーベンした結果、クドくなるのではなく、逆にフレッシュになったのである。蒸された鯛、煮込まれた玉ねぎが日本酒によって新鮮さを取り戻すというか、魔法がかかったような衝撃のペアリングだ。
お代わりで、ためしに上撰を燗にしてもらって合わせてみた。悪くはないが、やはり常温との組み合わせがダントツだと思った。純米酒でもイマイチだろう。ということは醸造アルコールが良い働きをしているのか……? いや、私のレベルではこの配合の妙を分析できない。

これでコースは終了、と思いきや最後、さらにオマケとして吸い物のお椀が供される。ほっと胃を休めながらも、海蔵の料理だったらまだいくらでも喉を通るとさえ思う。
五品も魚料理が続き、さらにお酒も秀月一択だったのに、まったく飽きなかった。これは結構すごいことである。

胃を優しく癒す留椀

真昼間から日本酒を5杯以上平らげている参加者の面々は、さすがに酔いが回り、冷静を装うわけにはいかなくなってきたようだが、しかしその盛り上がり方も、「ヒートアップ」ではなく「出汁がじわじわ出てきた」というような感じだった。体裁上、昼から羽目を外すわけにはいかないということかもしれないが、最後まで場に品格が保たれていたのだ。
皆、満たされた腹をさすりながら、爽やかに席を立って帰っていった。

優しく寛容な空気がつくる場

最後、かをりさんに鯛の酒蒸しと上撰のペアリングの感動を伝えると、「そうでしょう。全種類各温度試したんだけど、上撰が一番合うの、しかも常温が。不思議よね~」とのこと。
なんと、全種テイスティングしていたとは! コロナ禍で唎酒師の資格をとったばかりだというが、かをりさんの選酒スキル、そして日本酒への愛と情熱に舌を巻くしかなかった。
お店では通常営業時も、全国の色々な日本酒が味わえる。最近では地元・灘の銘柄も置くようになったということ。普段はペアリングに特化したコースはないが、かをりさんにおススメを聞いて合わせてもらうのもよいだろう。

篠山という「山の土地」生まれの秀月であるが、瀬戸内海の海の幸も充分引き立てる酒だということが証明されたイベントであり、温度帯、ペアリングの違いによる新たな発見ももたらせてくれた。
美味しい魚に美味しい酒、素晴らしいお店の料理とおもてなしはもちろん、秀月の岡村さんのチャレンジ精神と、気品あふれるお客さん全員でつくられる優しく寛容な空気が、このスペシャルな場を形成していた。
江戸の昔、全国に流通していた灘の酒に貢献した丹波杜氏だが、21世紀の今、丹波の酒が全国に広まる番かもしれない。

駅弁で売ってたら間違いなく全国1位になる気がする海蔵の棒寿司

その夜、関東に帰ってから食べたお土産の棒寿司は、一切れほおばっただけで丹波から灘への今回の旅の軌跡がすべて思い出され、出会った人たちの優しさが心に沁みるような味だった。

今回の取材先:
旬魚処 海蔵(みくら)

兵庫県神戸市灘区大石東町5-6-10
078-882-5228
17:00~22:00
(コースのみ。ドリンクのL.O.21:30)
定休日:火曜、水曜
※変更となる場合がありますので、店舗にご確認ください。

※1
狩場一酒造
1916年(大正5年)の創業。
良い米を選ぶこと、手間ひまかけて丁寧につくること、できあがった製品の品質管理をしっかりすること、をモットーに仕込まれた日本酒「秀月」を製造・販売している。

兵庫県丹波篠山市波賀野500
079-595-0040
10:00~18:30
年中無休

*
酒用語補足
麹室(こうじむろ)…麹を造る専用の部屋のこと。温度、湿度が一定に保たれるようになっている。
醪(もろみ)…酒母、麹、米、水が合わさって発酵された日本酒の完成間近の状態のもの。
槽(ふね)…醪を絞って固形分(酒粕)と生酒に分離する器具のこと。
圃場(ほじょう)…作物が育てられている土地のこと。
出穂(しゅっすい)…茎から緑色の穂が出てきた状態のこと。
山田錦(やまだにしき)…酒造好適米(酒米)の最も代表的な品種で、兵庫県を中心に栽培される。綺麗な味わいの酒が作りやすいため酒米の中でもトップの生産量を誇る。
五百万石(ごひゃくまんごく)…山田錦に次ぐシェアを持つ酒米で、新潟県で誕生し、北陸を中心に栽培されている。爽やかでキレがある酒が作りやすいとされる。


著者:DJ Yudetaro
神奈川県生まれ。DJ、プロデューサー、文筆家。
写真家の鳥野みるめ、デザイナー大久保有彩と共同で熱燗専門のZINE「あつかんファン」、マニアックなお酒とレコードを紹介するZINE「日本酒と電子音楽」を刊行中。年二回、三浦海岸の海の家「ミナトヤ」にてチルアウト・イベントを主催。
Instagram:https://www.instagram.com/udt_aka_yudetaro/
Twitter:https://twitter.com/DJYudetaro/

この連載ついて
日本酒を愛するDJ Yudetaroが全国の熱燗を求めて旅する連載企画「あつかんオン・ザ・ロード」。毎月15日の18時公開予定です。第4回は10月15日18時に公開します。

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