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インターンわかな 2022.06.02

◆6月2日(木)
こんにちは。インターンのわかなです🐈‍⬛
実はこの4日間、私は地元である石川県に帰っていました。祖父が亡くなったのです。新しい環境にやって来てああでもないこうでもないと動き回っていた私の心と体は急に現実へと引き戻され、祖父の死を前に様々なことを思い、考えました。しかし故郷での日々は決して小鳥書房での日々と隔絶されたものであった訳ではなく、私の思索は谷保と石川、二つの土地を越えて繋がり、今一つの形態として、確かな手ごたえを持ち始めつつあるように思います。
まだ自分の気持ちをうまく言葉にする自信はありませんが、今の私から出てくるものはインターン期間に起こったことの一つとして、どうしてもこの出来事の空気を含んできてしまうと思います。そこで今回は、私が少し前から現在にかけてよく考えていた「記憶と記録」についてのお話を📘少しややこしくなってしまいそうですが、自分の気持ちの整理も兼ねて。
過去のインターン日記を読み返してみると、私はみなさんに「忘れていくことや流れ去っていくことへの折り合いをうまくつけられなくなってしまった」ということをお話ししていました。私には一つ一つの感情や出来事、思い出をじっくり、ゆっくり、味わいたいという気持ちがあるようで、そんな気持ちの表れか私は谷保にやって来てからもメモ帳を持ち歩いたり、スマホのメモを使ったり、それでも追いつかないときにはボイスメモに声を吹き込んだりと、何らかの方法で心に浮かんだことを記録に残していました。何もしないでいると何か蛇口を開けっ放しにしているような、全てがよくわからぬまま流れ去ってしまうような感覚を覚えるのです。私にとってメモはもはや一種の習慣なのかものなのかもしれません。
しかし、確かなものを掴みたいと意気込んでやって来た谷保での日々の中で、楽しくやっていたはずの習慣は“やらなければ”と感じるものに、そして“何も取りこぼしたくないのだ”という気持ちや“忘れてはいけない”という気持ちが出てくることも多くなり、その気持ちが自分を縛るようになっていた部分もあったなと思います。
そんな状況の中、私が「記憶と記録」に対する一つの考えを得たときのこと、場面はある日曜日の谷保へと移ります。
◇5月22日(日)
よく晴れたこの日は一橋の学生が運営する「ここたの」のテラス席に座り、ストリートピアノのメロディが流れ、小さな子供が親に見守られながら団地を元気に駆け回る、穏やかで幸福な休日な風景を見つめていました。そうしているうちに私は、そんなに必死に記録を残したって後から振り返るわけでもあるまいし、自分だけでそんなものをたくさん抱えて一体どうするのだと、きっと全て手放すのだし、最後は今日のようなぼんやりとした陽だまりのなかでなんか幸せだったなあと感じていればそれでいいのだと、思い始めていました。あたたかい思い出を誰かと一緒に覚えているような人生、たくさんの人と思い出を共有するような人生になったらいいなあとも。
そして「記憶と記録」についての私の考えは、石川での時間を経てさらに変化します。祖父がどんな人物であったのか、どんな出来事があったのか、祖父との時間や祖父との関わり、その中で感じたことなどを並べ出したら本当は切りがないのだろうけど、親族で語り合っていても案外細部は思い出せないし、思い出さないこともある。でも何かを思い出しては、そんなこともあったねと切ないほどに懐かしく、愛しい気持ちが湧いてくる。私はその様子を見ているうちに、ああこれでいいんだなと思えるようになっていきました。祖父とのことも、別に全て一つ一つ詳細に思い出せなくてもいいんだ、そしてこれからもずっとは覚えていなくてもいいんだ、“忘れていいんだ”。こう思えるようになったことで、心がスッと軽くなったように思います。
そして今は、「記憶」が川を流れる石のイメージで頭に浮かんでくるようになりました🏞最初は上流のごつごつとした大きな石のように、そのときの情景や言葉、感情などが一つ一つはっきりと刻まれています。しかし、川を流れるにつれて石の角が削れ丸みを帯びていくように、きっと「記憶」というものも時の流れとともに細部は削ぎ落とされていくのだと思います。
ごつごつとした石の美しさを鮮明に覚えていたいと思うのなら絵に描くなり、写真に撮るなり、心ゆくまで味わい、記録に残せばいいけれど、川を流れる石と同じく「記憶」そのものは移ろいゆきます。そしてそれはとても自然なことなのだと思います。下流に流れ着いた小石にもまた違った美しさがあるもので、思い出を手放すことによって気持ちが楽になることがあるように、下流の小石は海へ出て、自由に旅を続けます。人はそれを見送ります。手の中に残っていたきらきらとした砂粒のような思い出を、そっと大切に握りしめて。
谷保での日々も細部を覚えていることはできないだろうけど、きっといつまでも素敵な時間として思い起こされるのだろうなという気がしています🕊
それではこのお話はここまで。大切にしたい思い出を抱えこみすぎてしまっていたときの自分にかけてあげたい言葉を添えて🍀
「大丈夫だから 安心して忘れていいんだよ」
今回もお付き合いありがとうございました😌

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