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2日目:今でも22年前の私が隣にいた。

よかった、と旨を撫で下ろす。
自分のデスクの前に座れていることにほっとした。
多分、昨日宣言して、1日気を張っていたと思う。
noteをやり遂げられるかどうか。


いつまで学生時代を引きずっているのと言われたら本当にそれまでなんだけど。
今日の9.11が22年前だと聞いて、信じられなかった。
高校生の頃テレビの向こうで父親に呼ばれて見た9.11の景色が、今やその当時の年齢以上に生きてしまっていることに。
え、もう22年も前なの??


そりゃあ確かに引きずりすぎかもしれない。


書こうと思っていた話を書くと、ダラダラと夢見がちに生きていた10代前半だったので、「歌手になりたーい」「小説家になりたーい」と言えばなれると思っていた。
わかる人しかわからないけど、『3月のライオン』の零ちゃんの担任の先生の昔語りに、すごく既視感を覚えた。
1mmたりとも現実を知らなかったし、誰も教えてくれなかった。
生き方のモデルも…いや、ちょっとはいた。
その人に、生き方には哲学があると教えてもらった。
”生き方の哲学”そのものに飢えていたような気がする。今思えば。


でもそうは言いながら、一人ではそんな意思もなくて。
数学の課題を、さあやろうと言いながらまずは机の掃除を始めて、スッキリしてやり切ったら一回休憩を入れてマンガを読み、眠たくなったら明日の朝早くやろう!と寝て、起きられなかったり、起きても眠気に一切勝てなかった。
その、『できなかった』の記憶は根強い。


だけど、そう言いながら、そうだったよね…?とちょっと疑問にも思い始めている。
ジリジリと焦げるように「できない…!」と呻いていた自分のことを、私は段々と忘れていっている。


良くも悪くも、歳を取るとはこういうことなのかもしれない。
うん、そう思う。自分で自分の傷を癒してきているのかも。


そういうことにしてしまおう。
計算し直したら、あれだけ高校生だと記憶していた22年前は中学3年生だった。
記憶なんて都合よく書き換えてしまえ。


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