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執行猶予に暖炉を添えて。

はい。病みました。


私の中でかなりお気に召すタイトルが付いているわけだが、中身はいつものネガ発信だ。


特にこの界隈ではnoteに限らずSNSでもっと明るい / 楽しい話がしたいと思い続けているが、逃げ場に最適すぎるのか、そのような話が本当に、本当に出来ていない。プラス話は今年の大晦日にやる予定なので一旦もう少し借金することにする。リボ払いは破産への道だろうか?


病んでしまった、とは言っても過去の経験上この程度なら寝て起きればなんてことは無くなっているだろう。『ひっそり放浪記』ほどガチ病みして心が身体を停止させるほどのものでは無い。


とはいえ、だからこそ、筆を取っている。寝て、起きて、授業頑張ろう、なんて事で留めていい話では無いと判断した。今後の自分のことを考え、身体に残ったアルコールを引っ張りながら醜い自分語りをしていこうと思う。良かったら最後までお付き合い下さいな。



…ごめん、追記。この後の雑記を読み返してみて、これはただ自慢してるだけのキモ男だなと感じてしまった。きちい。痛い。


とはいえ、前提の話として出さなければいけないのも事実。少し過剰に自分を上げて、あるタイミングでしっかり下げるので、どうか少しの間我慢して見てほしい。はい、追記でした。じゃっ。



私のことをある程度知っている方なら今更言う必要もないだろうが、私は今、自分でも信じられないほど大学生活を謳歌している。サークルともなれば尚更の話。


自分の人生設計を大きく狂わせる程にはその力は強大なものだった。私はすこぶる偉くなく、とはいえ世間一般的に見ても良いだろうとされる道のひとつを歩み続けている。


小学、中学、高校と引っ込み続けていた私にとって、大学一年生の初期はまさに“爆発”だった。人生の転機となっていたのは火を見るより明らかであり、当初感じていた怖さは自信への反動となった。


一度付いた弾みは勢いを落とすことを知らず、自分の顔が知らぬ間にどんどん広くなっていった。私が一切認知していない相手に(何故か)認知され、声をかけられ、誤魔化しに誤魔化しを重ねながら会話をする、なんてことはザラにあった。


そんな謎の事象が落ち着いてきた頃には、共に居て心地の良い存在が周りに沢山出来ていた。少し天狗になるくらいが丁度良く感じていただろう。


大学生活は順風満帆そのものだった。



自分で言うことではないだろうが、私は今大学内でのカーストが明らかに高い。部活での先輩の立ち位置、なんてものよりもっと大きな範囲でそのような経験をしたのは言わずもがな今までで一度もなかった。


正直言って、この状況はすこぶる生きやすい。強大なアドバンテージが自動的に相手からの信頼に繋がり和が強靭化していく。一度強く固まった和はそう簡単に変形することがない。


「一度出来たグループって、入りにくいよね〜」という常套句。外から見ることしか出来ていなかった私は、大学生にして自らアノンアルファを振り翳す側となった。


私自身は和なんてどんどん広くして変形させていけばいいと思っているが、昔の自分と照らし合わせて考えてみれば、そう見えることは決して無いだろう。アノンアルファの化身だ。



さて、ここからが本題。私は1年前、少し大きめな事件を起こしてしまった。ほんの少し、歯車が狂い出す。


私はお喋りが大好きだ。小中高と隠さざるを得ない環境に自分からしてしまったからこそ、大学に入ってからの私の本性は止まらなかった。自分でも自分のことをあまり知らなかったのだと感じたくらいだ。止まらなかったし、これからも“そこまで”止めるつもりは無い。それが私の魅力だからだ。


私はお酒が大好きだ。親のDNAを引継ぎ、酔いが遅くアルコールが残りづらい私はサークルの性もあり飲み会に行くことが多い。ビール、サワー、日本酒、テキーラ、ドンと来い。


無論、この2つは混ざり合う。めちゃくちゃ酔った私は同じ話を3回繰り返す。らしい。自覚は無い。俺では無い俺がそういう生態である事しか自覚出来ていない。


そんな前提の上で、今年の3月、サークル旅行での出来事。


翌日帰宅の夜、酒を片手に旅館の一室でサークル内の恋愛話をホイホイ聞いていた私。


なんか、思ったより、エグい話、してるなぁ。


サークルには周りにどこか避けていた先輩が居たのだが、その理由の本質を大々的に知ってしまった。私はかなりのショックと少しばかりの高揚感を得ていた。


暴露会が解散し、かなり酔っていた私は話し足りず後輩のいる部屋に突撃。後輩も私たちが集まっていることを知っていたようで、何を話していたのか聞かれる。うーん。秘密だなぁこれは。うーん。うんうん。



気づいたら勢いで、軽く話してしまっていた。



はい、死刑。死刑です。死刑。即追放。死刑。


以後、私はサークルの人から「おしゃべりクソメガネ」と命名されてしまった。これは険しい顔で釘を刺すソレではなく軽くふざけた口調で釘を刺すものであり、愛も感じる。感じつつ、サークル員に対し負のレッテルを思い切り貼られた証拠でもあった。



私はこの一件を大いに反省し、失敗を教訓に変えようと努めた。「秘密を口に出さない」という至極当然の理を大きく意識して人と関わるようになった。


そんな事を意識していたらいつからか、会話相手が私に対して何を考えているのか過剰に気にするようになった。ストッパーが過敏に動作し、不安症が炸裂し、大学一年生の時のように人と話すことが出来なくなってきてしまった。


会話に限らず人は何か物事に取り組む時、「自信」という土台が自身のパフォーマンスを大きく上げるトリガーとなる。大不正解を叩き出した私は自分の会話に自信がなくなってきてしまったのだろうか。自身だけに。黙れ。


「俺と会話するのを躊躇してるのではないか」、「周りは俺を適度にハブろうとしているのではないか」、そんな根拠の無い不安を他所にサークル員は表面上でも私にいつも通り話しかけてくれる。そのおかげでなんとかいつも通りの感じを出しながらこの9ヶ月は会話することが出来た。



飲み会の時は特に気を使って気を使って気を使って会話をしていた私。今日もサークルのクリスマスパーティー帰りに飲み会があり、お酒は飲みつつ気を使って気を使って気を使って会話した。


その帰り、あるサークル員、というかサークル長と2人になり、こう発せられた。



「この前、またおしゃべりクソメガネしてたよ。」



私は笑えない。本当にショックだった。その日は友達の家でしっかり目にお酒を飲みつつ、アルコールの魔法が無いと話せないような話をじっくり進めていた。そしてその会話中に「いや、まぁ話すけど〜」に続いて掟を破ってしまっていたらしいのだ。



話した内容があの頃の殺人未遂に比べれば可愛いものだったのが救いだったものの問題はそういう事では無い。特にヤバイのが、それを話した記憶が無いことだ。私は自分に大きく失望した。


その後も例のサークル長と話し、私は今の自分の立ち位置を大体把握した。私は「カーストが強いし悪いやつじゃないから普段は仲良くできるけど、あまり話すべきでないことを(特に酒が入りまくると)ポロッと言いまくるからそこの信用はできない奴」だった。


救われたのか、殴られたのか。よく分からない感情になった。




私は大学生活の残り1年と少し、彼らの低い評価を全て受け止めて生きなければならないのだと実感している。自分の責任である以上、その器は広くせねばならない。


このことに対して感じたことが2つある。


1つが、自覚出来る人間で良かった、ということ。ぶっちゃけた話をすれば、出来ない人間は思いの他存在する。そういう人間は露骨に避けられ、恐らくその人はその事に気づきつつ、そこに目を背けて再び関わろうとし、避けられ、という負のループを生んでしまう。


そうなってしまえば、懲役判決だ。強い言葉になってしまい申し訳ないが、あまり救いは無いのかもしれない。


そういう意味では、自分でコントロールするのが難しいという点も含めて現状を自覚しており、解決の糸口を探そうとできているのが、普段は気兼ね無く接してくれている理由にも繋がっているのだと思う。



そして2つ。期限が短すぎる。そして、範囲が狭すぎる。


この話はサークル内でしか共有されてない事項だが、逆に言えばそこだけで収まっているだけまだマシだ。とはいえ、だったら隠せばいいか、と言う訳には行かない、と感じる。不意にはみ出さないために、故意にはみ出し、自らをより縛る必要がある。


私は弱い人間なのでカーストに直接関係するところ、要は別のサークル員や学部学科の友達にこの発信はできない。せめて、これを見ていて私の顔を知っている方に私の実情を知って欲しい、少し警戒して欲しい、と感じた。


本当はそんな警戒はして欲しく無い。でもこれでは温いのだ。致命的な一撃を放つ前に私はずっと大人になりたい。罪を自分で償えるだろうという少しの信頼が私を大人に見せているだけなのだから。



というわけで、これを持って私の反省文と致します。特にお酒に対しては酔うことだけを意識せず、自分だけど自分では無い何かを出さない努力をします。


なんか過去記事とかも自分で見返して、想像以上にお酒で厄介人間になっちゃってるなぁと実感しました。ちゃんと記録しておいてよかった。まずは大学卒業までこういうことをゼロに、します。


これからクリスマス、気づいたらもう来ちゃったけど、に年末年始とお酒を嗜むことが増えるかと思います。私が言えたことでは無いですが、皆様もどうか暴走にはお気をつけて…。

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