ゲーム「ゼルダの伝説 スカイウォードソード」感想(完全版)

 アゴの肉をたるませた恰幅のいい小鳥猊下が、「ハイラルの地は楽しくて、もう少女保護特区を思い出すこともありません」と臣下へ回答しては彼らを慨嘆させる毎日である。

 前々回のアレを体験したときには、この分野における進化が間違いなくひとつの階梯を登ったことを実感したものだったが、右腕の筋肉痛に耐える私が今回の率直な感想を諸君へお伝えするとするならば、「しとねに横たわり、もはや抵抗を喪い潤んだ瞳で見上げる絶世の美少女を押し開くと、その色素は沈着し、膜は破られていた」とでもなるだろうか。新しさを機軸にして快楽と陶酔を求める態度が、加齢のうちに色を失ってきたのだと、諸君はしたり顔の無言で指摘することだろう。

 過去という比較対象が人生に大きな割合を占めるようになった悲哀を噛みしめつつ、何の感想も萌え画像も訪れぬ、ホームページとは名ばかりの廃墟を尻目に、小鳥猊下はブログ全盛の今日も右手に握りしめた棒を振りに振り、しごきにしごくのであった。<完>

 すべての事象へ主体として積極的に関わり続けることで得られる濃密なゲーム内体験。シリーズを通じて、基本的にはただひとつ用意された正解を観察と道具の組み合わせで解決していくだけなのだが、それがこんなにも楽しい。しかし同時に脳裏をよぎるのは、はたして現在、この体験をどのくらいの人々が肯定的なものとしてとらえることができるのかという疑問である。

 ゲーム業界では2Dから3Dへの移行で一度大きなプレイヤーのふるい落としが行われた。また、昨今の携帯ゲー流行りはゲーム性の濃淡以前に2D回帰の側面が強いと考えている。ファミコンに原体験を持ち、3D移行の淘汰も乗り越えた30がらみの男以外の誰がこのゲームを手放しで喜んでいるのだろう。

 前作からすでに五年が経過した。たとえば小学校高学年で前作をプレイした新規層がいたとして、携帯電話を買い与えられ、据え置きゲームを卒業していておかしくない年齢だ。世界にふたつとない至高の工芸品を前にして、私に去来する感慨はこうだ。

 『おれたちは滅びていくのかもしれない』

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