漫画「さよなら絵梨」感想

 チェンソーマンの人の、例の漫画を読む。タイトルと設定は、たぶん「ぼくのエリ」からだと思うんですけど、思いついてしまった最後の2ページのオチを描くために、198ページを端正にビルドアップする根性がすごい。これ、ドライブ・マイ・カーで例えるなら、死んだはずの妻が赤いバンダナ、白いタンクトップ、カーキ色のズボンにマシンガンをかついで映画祭に現れ、観客席へむけて銃を乱射しながら「私はこんなにも貴方を愛しているのに!」と絶叫するようなもんですよ(ハーラン・エリスンからの悪い影響)!

 本作には、前作へと向けられた様々の悪意に対する目くばせもまいてあったりして、じつにクレバーな作家だなあと、あらためて感心させられました。すべての作品で同じモチーフ(映画好きの不死の美少女)が登場するのも、ある種の才能が持つ偏執性を感じさせて、とてもいい。私が彼の作品を見るときに連想するのは、川原由美子「ペーパームーンにおやすみ」に登場する少女の部屋です(私の自意識もそこに住んでいる)。ファイアパンチの感想のときにも少し触れましたけど、小説道場なら「君の作品は一見、軽薄で剽軽なのに、どこか自閉症的な拒絶を感じる。君が描く『硝子の部屋』はきれいだが、いつかはそこを離れなければならない。先生は君が『硝子の部屋』から出てくることを、ゆっくりと待ちたいと思う。人生は、そんなに怖い場所ではないよ、タツキ」とか論評しそうな感じ。

 栗本薫ほど人生に期待をしていない私としては、社会の状況や読み手の批判に、それこそ炭鉱のカナリアの如く敏感に反応して、すばらしい作品をアウトプットする書き手であることを確信したので、ファンガスと同じく「二百年を生きる吸血鬼」の自我を保ったまま、映画に幽閉された廃屋に居続けてほしいと心の底から思いました。本作もみんなでガンガン批判して、彼に次の名作を吐き出させよう(ひどい)!

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